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読書記録(いくつめか) トニ・モリスン「ビラブド」

「人から人へ伝える物語ではなかった」

トニ・モリソン作「ビラブド」の最後のパートで繰り返されるこの1文。この文には、どんな意味が込められているのでしょうか?

人から人へ伝える物語「ではない」

説教や、音楽などで、人から人へと、口伝いに文化が継承していたのが、アフリカ系の民族だそうです。

ここであえて「黒人」と書かなかったのは、トニ・モリスンが別の著で

「アメリカでないと、『黒人』という言葉は生まれないし、アメリカでしか『アフリカ系アメリカ人』という表現にもならない」

と述べています。

つまりこれは、「アフリカ系」とつく時点で、本当の意味でアメリカ人になっていないとも感じられるし、黒人というのも「白人」との対比でしかなく、そこには「出身の国」など全く関係なくなっていますよね。

このお話では、登場人物がおよそ親子3代にわたります。おばあさん、お母さん、娘たち。

その娘たちの中で、昔お母さんが殺したのが「ビラブド」ではないか?と言われています。このあたりは、明確に表されていません。

作品の中では、あるときビラブドがこの家族の前に現れて、自分の要求を次々と言い始める、それについてお母さんは、まるで自分の消し去りたい過去を覆うかのように、その要求に対応します。

僕のよんだ感覚だと、このビラブドは、昔「私と同じように奴隷になるくらいなら、死んでいた方がまし」ということで、お母さんに殺されている人の亡霊、という解釈です。

人から人に語られる物語「ではない」という部分に関して

・奴隷に関連して、同じ民族同士が殺しを働いたなどと言うことは、語るべきではない
・こんな悲しい物語は、伝える意味もない

というような意味でしょうか?

差別はなくせる?

このように、黒人と白人、といった関係の差別はもちろんのこと、

同じ人種同士でも争ったり、ひがんだり、殺したりする。そんなことが起きるのが人間だと思い知らされます。

差別の仕組みなんて、あなたたちに簡単にわかるわけがないわ。でも、わかろうとし続けなさい。わかろうとし続ける先に、本当に解決しなければいけないポイントが見えてくるはずだから。

自身もアフリカ系✖️女性作家 というマイノリティ的な立場のトニモリスン。

彼女の見えていた景色は、一体どのようなものだったのでしょうか。

雑記

1度読んで見て、「よく読み切ったな」というのがまずは感想です。

何層にも渡って、人の物語が重ねられている「ビラブド」

元々僕が興味を持ったのは「高橋源一郎 跳ぶ教室」の放送からでした。

Black matter livesの話がニュースで盛んに報道されているころ、「差別はなくすべきだ」と言う論争に対して、トニモリスンのハーバード大での講演記録を紹介したことがきっかけでした。


トニ・モリスンの作品では、「青い眼がほしい」もタイトルとして衝撃的ではありませんか?

これからも気にながら生きていきた作家さんと出会うことができました。


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