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「おまえは感受性が豊かだ」-Y先生のこと《エッセイ》


Y先生のこと。
そして、彼からもらった大切な言葉について。

私の母校は私立の中高一貫女子校だ。
Y先生は、当時高等部の、私の学年を受け持つ英語科の教諭だった。授業は習熟度別で、彼の受け持ちは一番優秀なクラスだったため、実際に彼の指導を受けたことはほとんどなかった。一度、うっかりそのクラスに入ってしまい、質問に答えられず「一生立ってろ」と言われたことは、今ではいい思い出である。

私はY先生に惹かれていた。
振り返ると恋とすら呼べない、恋に恋するような子どもっぽい感情だった。そしてやはり、あれは恋ではなかったように思う。

私が彼に惹かれた理由。それは彼の言葉や表現の選び方、読書に対する姿勢、感性に深く共感したからだった。(この理由がはっきりとわかったのはだいぶ時間が経ってからだ)
彼のリーダー(当時)の授業で訳される日本語、言葉のセレクトは毎回私の感覚にピタリとはまった。

例えば。
ある定期考査で、英文の1フレーズを訳す問題が出題された。作成者はY先生だった。

解答欄には
「(  )がやわらかい」とあり、括弧を埋める。
正解は「(物腰)がやわらかい」だった。

正解したのは私を含め2名程度で、大半のクラスメイトは「そんな言葉聞いたことない」の大ブーイングである。私はその騒ぎに驚き、教壇の彼も明らかに当惑した様子だった。


クラス担任でも教科担任でもなかったが、先生とはよく話すようになった。特に読書、本の話をする時、彼は対等に私を扱ってくれた(と自負している)。
私はもともと読書が好きで国語が得意、だか英語は苦手だった。先生は、英語の先生だったが膨大な読書体験を積んでいるのが会話をしているとよくわかった。


本の話ができる人か否か。私にとって、人付き合いをする上での重要な要素だ。


私達は、共有し、わかり合えていた。立場も世代も全く違うけれど、本の話、日常の瑣末なできごとについての感想、たわいもない話をする中で。あの放課後の職員室で。
それが、本当にうれしかった。そしてあの時間だけは、Y先生も同じ気持ちだったと信じたい。


高三の夏休み前のある放課後、いつものように職員室で先生と話していた時だった。受験や将来に対する不安、鬱屈した日々のもやもや。誰もが抱える10代の感情の吐露を聞いたのち、彼は私にこう言った。


「おまえは感受性が豊かだからな」



前後の会話は覚えていない。あとに続く言葉が「だから、心配だ」だったのか、「だから、考えすぎるな」だったのか。もうわからずじまいだが、その言葉をもらった時はただただ、本当にうれしかった。


私の、私という人間の奥深くまで知り尽くして、そうして出てきた言葉に思えた。一人の人とわかり合えたと実感した初めての体験だった。


「私は感受性が豊かなんだ」-Y先生に言われたことにより、以前にもまして私は自らの中に言葉を蓄え、それらを使い、臆せずに表現することを楽しみ、喜びを見出すようになった。

****************

あれは子育て中、毎日疲れ果てささくれた心を持ちながら久々に入った本屋で、たまたま茨木のり子の詩集を手に取った。
「自分の感受性くらい
 自分で守れ
 馬鹿者よ」
という言葉を目にした瞬間、頬を張られたような衝撃とともに、Y先生の言葉を思い出し、私はしばらく立ちつくした。

私の感受性。いつの間にどこに置いてきたんだろう。あれだけ憎んでいた鈍感であることに慣れてしまっていた。いや、むしろ鈍感にならないと過ごせない日々を送っていた。


言葉を。言葉に触れて、蓄えなきゃ。私の感受性を守る方法は、活字に触れることだ。

でも、睡眠すらままならない、ましてや読書なんてする時間なんて、ない。

だが、同時に先生は言っていた。「忙しいから本が読めない、なんてことはない。どんなに忙しくても、読書する時間は作れる。」と。

実際に、まとまった読書ができる時間が持てたのはもっとずっと後、子ども達が大きくなってからだ。
それでも、先生がくれた言葉が時々私を私に引き戻してくれた。

私には豊かな感受性がある。時に砂漠のように乾ききり、涙もでない時も、浮かび上がれないような深みにはまり身動きが取れない時も。
私の心は、あの言葉で潤いとしなやかさ、軽やかさを取り戻すことができる。
しっかりと大地に根を下ろし、ぐんぐんと幹を伸ばし、瑞々しく青葉を茂らせる一本の木のように。


疲れ果て、倒れ込むように眠りにつく日々。ままならない日常。膠着した現状。全てを投げやりな思いで見つめる時、私を救ってくれる言葉。

そう、まるで道標のような。


ありがとう、先生。


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