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「スタンポンの穴」 第三話

*** みいちゃん 2 

 はあ、はあ、
 息が切れる、水とうもどこかに落としてしまったようだ、のどがカラカラだ。
 木の根につまづき、石ころに足をとられて、あちこちすり傷だらけ。土によごれたひざからは血がにじんでいる。
それでもボクはがんばって走った。
 ようやく、さんかく山の頂上に着いた。急に青い空がひらける。
「きもちいいねー!」
 いつの間にか、みいちゃんが横に立っていた。ぼくの心臓はさらに速く打つ。
「あれ、ひざ」
 みいちゃんが、ボクのひざに気づいて、かがみこんだ。
「ころんだの? ドンくさっ」
 そう言いながらも、自分のリュックから白いハンカチを取り出して、そっと上からぬぐってくれた。
「はい、いつものやっといてあげる。いたいのいたいの、とんでけ~」
 あまりにも軽い言い方だったけど、ボクの心も少しだけ軽くなる。
 頂上の風は、とても冷たくて気持ちがよかった。
 水とう、落としたの? やっだ~、みいちゃんはオバサンみたいな言い方をしてから、自分の水とうを開けて
「ひとくちだけだよ」
 そう、渡してくれた。
 みいちゃんの麦茶は、まだ冷たくて思わずひと口、もうひと口、そしてついついボクは一気にのどに流し込んだ。
「あー! ひとくち、って言ったのに!」
 みいちゃんが怒ったのはほんの一瞬で、すぐに
「暗くならないうちに帰らなくちゃ。じゃ、いっくよ~~!」
 元気に叫んで、今度は下り坂を、ずんずんと駈け出していった。
 泣きそうになりながら、ボクはまたあわてて後を追いかけた。


* one 2


 スタンプ・オン実験が始まってから三日。

 開始直後の放課後はもう大騒ぎだった。
 校内では仲間うちで『クエスト』が流行った。
 数人がふた手に分れ、一組はモニター前にたむろして、もう一組が少し離れた教室や廊下を歩きまわる。そんな連中が校内にあふれかえっていた。
「はい理科室到着ねー」
「そこでグルグル回ってみ、そうそう」
「音楽室、カギかかってたわ」
「図書室~全部の棚の前通るから。ちょっと走ってみるわ(司書の先生にたしなめられ)はーい、すみませーん」
 しばらくのうちは足跡が消えないと判ると、今度はみんな揃って、『前人未踏の地』探しと称して、学校内の隅々まで歩きまわるグループが多発した。
 彼らは、校舎内のとんでもない場所に行ってきては、またホールの大型モニターのところまで帰ってきて自分たちのつけた足跡を指さし確認してはああだこうだと大声で話しあっている。
 あまりの騒ぎに、ついに教頭が飛びだしてきて生徒たちを片っ端から追いかえす。
「用事がない者はさっさと下校!」
 そのうちに誰かが立ち入り禁止の屋上に上ったとの報告があり、教頭が飛んで行く。
 足跡は縦横無尽に学校内のここかしこにはびこっていった。


*** みいちゃん 3

 明るいみかん畑の間を通り抜け、小さな木の橋を何度か渡り、また、森のようなうす暗い場所にさしかかった時、ようやく一度、みいちゃんに追いついた。
 みいちゃんは、ボクがぜいぜいと息を切らせているのにもおかまいなく、右手にこんもり茂る木立ちの中をじいっと見つめながら
「あそこ」
 少し奥まったあたりを指さした。
「大きな杉の木が二本、あるでしょ、あそこに古い神社があるんだよ」
「えっ、神社?」
「ここにさ」
 自分たちのいる場所から右の草むらに向けて、腕をのばし線を描く。
「道があったの、そんでみんなお参りしたの」
 草ぼうぼうの荒れ地の中、みいちゃんが腕で描いた通り、ボクにもなんとなく、古くて細い道が見えた気がした。
 よく見ると、足もとに転がっている石はみょうに白っぽくて、角ばっていた。
 元々何かの目印だったのかも知れない。
 なぜか急に、足が震え出した。みいちゃんが次に言うこと、わかってしまった。
「見に行ってみたくない?」
 やっぱり。
 ボクを、大きな目で覗きこむ。
「なんでさ」ボクは声まで震えていなかっただろうか。
「なんで神社があるって知ってるの? だれから聞いたの?」
「え」
 みいちゃんは首をかしげた。
「名前なんだっけ? 何とかって言うおにいちゃんが教えてくれたんだけどね、山本さんの親せきだって言ってたよ、休みにとまりで遊びにきたんだって、でもこの辺のこと詳しくて、ええと……まあいいや」
 みいちゃんはあまり深く考えない。
「行ってみたくない? 井戸もあるらしいよ」
「いやだ」
 ボクは即答だった。こんな山の中の草も木もぼうぼうに生い茂った中に、もう誰も行かないような所に神社が?
 それに井戸?
 ぜったいに行かないよ、みいちゃんも行っちゃダメだ。
 そう、確かに言ったのに、ボクは。
 みいちゃんは神社のあるらしき方に向かって、また駆け出して行った。
 背たけ近い草を押し分けて。
 白い背中がまた、ぐんぐん遠ざかる。
「みいちゃん!」
 今度はボクは、追わなかった。
「よわむしぃ」
 遠くで元気に叫ぶ声が、風に乗って届いた。


* one 3

 部員たちは四宮部長のもと、開始日と翌日と、学校閉門二〇時ギリギリまで懸命にデータ解析を行っていた。

「まあ……とんでもないアイディアだったよな、これ。よく実現できたね」
 三年の元部長・貴船信一郎がのっそりと現れ、四宮に声をかける。
「さすがシノ部長だわ。いいよねこれ」
 優しい目をさらに細めて、自慢の後輩をにこにこと眺めている。
 つい先ごろ、部長を二年の四宮に譲ったばかりで既に引退していたのだが、何かというと、こうして部室に寄ってくれていた。
「いえ……元はと言えば成島さんのアイディアから端を発していて、たしか」
 四宮としては珍しく、少し赤くなっている。
「そうだっけ?」アタシそんな難しいこと言ってなかったよー、と成島がもっと赤くなって両手をぴらぴら降っている。
「教室の床で、一回も踏まれてない所とかあるのかなー、って言っただけだよ。それに元々、部長、住環境デザインに役立つ素材探してたじゃん」
「まあね……」
 いっしゅん、四宮の目が遠くをみる。何かを思い出そうとするよう、眼鏡の縁に指をかけて、口を開きかけた。
「どしたの?」
 貴船が問いかけたが、
「いえ別に、」
とまたモニタの数値に向き合った。
 貴船はそんな四宮を、嬉しそうに見やっている。

 先代部長の貴船がおっとりのんびり型だとすると、今度部長に就任した四宮敬介は、常にクールなイメージを周囲に与えていた。
 二年の中でも成績は常にトップクラス、まつ毛の長い切れ長の目が銀縁の眼鏡の奥で強い光を発し、落ちつき払った口調でどんな難問にも冷静かつ明快に答えるさまは、科学部員のメンバー内でも一目おかれていた。
 端正なマスクにさらりとした前髪が風にそよぐさまが絵になる、と女子からの人気も高い。
 本人はあまりお構いなしだったが、校内でも何度か手紙をもらってもいた。もちろん返事は書いたことがない。理由は案外簡単だった。
 女子の手紙というのは
「何だか論理的ではなくて、読んでいるうちに主旨を見失ってしまい、返答に窮する」
……からだと、泣いていた子に強く尋ねられた時にしぶしぶそう語っていたことがあった。
 それを他の部員から聞いた時も、元部長の貴船は「四宮だからね」とどこかうれしそうに笑ってうなずいていた。

「部長、この人たち見てよ」
 成島が設置されたいくつかのモニタ画面を切り替えながら、四宮を呼ぶ。
「一年だよね、この教室。わざわざ机を脇に寄せてさ、隅からずっと床を踏んで歩いてる。まんべんなく」
「ほお」貴船も覗きこんだ。
「データはどう?」
 四宮が慣れた手つきで、その教室の俯瞰図を呼び出した。
「一〇二教室ですね、モードを『リアルタイム』に切り替えて、スパンを……ここ一時間までとしよう」
 一〇二の床、廊下側半分が淡い光で埋め尽くされ、まだまばらにしか光っていない床との境が少しずつ、淡い緑に覆われ、床は足跡の光に浸食されつつあった。
「うっわ、マメだなあ」貴船が笑っている。
「ばかだなー」成島が鼻を鳴らした。四宮はわずかに口の端を上げただけだった。
「でもさ」
 画像をみながら、成島は眉をひそめる。
「データ的に、どうなんだろう?」
 成島が首をひねる。
「もともとは、どこのスペースが活かされていないか、無駄な動きがないかを調べるためのものなんだよね? なのに」
 四宮部長は薄く目元に笑みを浮かべ、キーボードを叩きながら手元の小さなモニターを見ている。
「データをとるということで、変化するデータ……そういうのも面白いんじゃあないのかな」
「なのかなぁ?」
「まあそのうちに落ちつくさ」


*** みいちゃん 4

 急な下り坂だった。
 杉林の中、足もとは尖った石がゴロゴロとしている。
 沢の音がみょうに響く。
 夕方が近くなって、闇がまた少し、濃くなってきた。
 
 あの時、神社を見に行く、と言って一人で草むらに入って行ったみいちゃんは、なかなか帰ってこなかった。
 何度も呼んで、何度も一人で帰ってしまおうか、と山を降りかけては戻り、しまいにはその場に座り込み、目からじわりと熱いものが湧いてきた頃、ようやく。
 みいちゃんは戻ってきた。
 でも何故なのか、戻ってきた時の記憶はあまりない。
 次に覚えている場所は、もっとずっと下った辺り、もうすぐ山道が終わるという頃にさしかかった、暗い森のしょっ口だった。

 尖った石や崩れやすい岩を避けながら小さな沢沿いをおっかなびっくり下り、ようやくあとは、この森を抜けるという所まで来て、ボクは立ち止まった。
 暗がりの中、右脇の沢はほとんどが大きな岩と倒木とで覆われ、ただ水の音がむやみやたらに響くのみだった。
 歩道とも言えない左側はガレ場となっていて、これまた大きな岩や、ごつごつした石が散らばり、その頭上は雲をつくような杉の巨木や枝の絡み合った広葉樹などで別世界を作り上げていた。
 みいちゃんが寄り道をしたせいで、すでに日が暮れかかっていた。
 斜めに差し込んでいたはずの黄色い日射しもいつの間にか消え、辺りは藍色の闇を深くし始めていた。
 みいちゃんによると、ここを通り抜ければもう車の通る道に出られるはずだった。
 しかし、その下り道はただでさえ暗いのに、勾配もきつく、足場が悪すぎた。
 ボクは、少し離れてしまっていたみいちゃんの後ろ姿に何度もさけぶ。
「待ってよ!」
 白いシャツのみいちゃんは、ようやくゆっくりとふり向いた。
「こわいよ」
 言いたくなかったけど、ここで言わなかったら、置いて行かれてしまう。
 永遠に。
「こんな急なところ、どうやっておりたらいいのか、わかんないよ」
「こわいの?」
 みいちゃんの静かな声が、水音を消す。やさしい声に、ボクは涙目でうなずいた。
「次にどこを歩けばいいのか、分かんないんだよ、だって石がいっぱいで」
「うん」
 みいちゃんにまた
「よわむし」
 と言われるかと、少し肩に力を入れたボクだった。
 元はと言えばオマエが無理やり誘ったせいだ、オマエが勝手に寄り道したせいだ、そう言ってやろうと身構えた。
 が、意外にもみいちゃんはやさしく笑って、それからゆっくりと、ボクのいる近くまで戻ってきた。
「じゃあさ、こうしよう」
 みいちゃんはかがみこんで、何かを拾い上げる。
「これをね」
 ツバキの花だ。
 今年はなぜか、とてもツバキの花が多かった。
 杉林の中にも、どこから散ったのか、ツバキの赤い花が点々と散らばっていた。
 みいちゃんはそれを両手にささげ持って、言った。
「アタシがね、このお花を置いていくから」
 そう言いながら、ボクのすぐ斜め前の石に、それを置いた。
「アタシが置いたように、お花を踏んで、降りていけばいい」
 確認するように、ボクの顔を見てから、みいちゃんは、また、脇に落ちていた花を拾い上げた。そしてそれを、また少し先に置く。
 散った花を拾い上げ、また少し先に置く、
 拾っては、置く。
 何度も繰り返し、みいちゃんの白い姿は薄暗がりの中に消えつつあった。
「待って」
 ボクはそのうしろ姿に叫んだ。
「お花を、ひとつずつ」
 遠くからみいちゃんの声が届く。
「ひとつずつ踏んで、降りて行ってごらん」
 ごくり、とつばをのんで、ボクはまず一歩、みいちゃんが最初に置いたツバキの花を左足で踏んだ。
 ぐじゅり
 音のない音が、足の下からひびく。
 赤い染みが、白っぽく乾いた石の上に広がった。
 染みを目にしたとたん、ボクは理解した。
 やらねばならないこと、これがそうだ。
 赤い花を、彼女が敷いてくれた花を踏んで、ボクは進む。
 そして、うちに帰るんだ。
 ボクは次の一歩を、ふみ出した。そしてまた、一歩。
「そうそう、」
 みいちゃんの甘い声が下から聞こえる。
「じょうず、さあ、もう一歩、ほら」

 とっぷりと日も暮れた頃に、ボクたちはようやく家にたどり着いた。

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