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金物屋系100均とデジタル

金物屋系の100均と言うのがある。店内に入っていきなり孫の手が置いてあったりする。
隣にはせったや竹箒があり、ずっと眺めていくと亀の子たわしがあったりする。
何と言うノスタルジックな光景だろうか。昭和そのものである。逆にスマホグッズやオーディオグッズなどは苦手。そのアナログさこそが人の心を癒す。デジタル社会と言っても人々は竹箒も塵取りも使うし、孫の手に至っては欲しいがあまり1000円もする物を大型スーパーで購入したりもする程だ。人間社会と言うのはいつも一番身近に何かしらのアナログを置くものだ。かく言う私も腕時計は絶対にアナログの長針短針秒針のある物を身に着けている。考えなくて良いからだ。見た瞬間に何時かが直ぐに分かる。デジタル化と言うのは、たぶん時間短縮のために日進月歩して来たのてはないかと、ふと思う。確かにデジタル処理は演算速度も格段に速く、それは人がコンピューターと言われていた紙とペンとガチャガチャ音を立てる電子計算機で複雑な計算をやっていた頃よりは、回答を生み出す時間が数千倍は短くなったことだろう。しかし、それは計算の話しであって普段の日常生活に於いてはその速度は本当には必要かと考えると、そうでもない事が分かる。
そうなると金物屋系100均は、私にとっては必要なものなのである。何故なら置いてある物が、ほぼ全てアナログだからである。

金物屋系100均は面白い。洗濯用石鹸まである。いったいどう言った人が使うのだろうと思いを馳せると楽しくなる。
季節物では麦わら帽子と虫取りネット、そして虫籠だ。更に浮輪まである。いったい今の子供達が夏休みの宿題とやらでこれらを使うのか謎である。
お皿関係は和柄の物が多く、どれを取っても重い。当てるとガチガチとヘビーな音がする。つまり薄くて丈夫なの反対を行ってるわけだ。分厚くして丈夫にするという風に。これも嬉しい。昭和の食器はどれも重たかった。グラスも厚くズシっと来る物が多かった。
昭和というのは中国製品が多く入り始めた時期でもある。廉価品ばかりだったが、庶民は安さに負けてよく購入していた。その影響で燕三条あたりの洋食器の金属加工業の工場はたくさん潰れてしまった。残ったのは匠のブランド品を作る工事だけだった。全盛期の燕三条の食器工場は機械のよる大量生産ではなく、人の手による仕上げだった。それも殆どが地元の女性達だった。プレス機で押し出したスプーンなフォークには、必ずバリと言うギザギザが縁に残ってしまうため、人の手によって目視し確認しながらピカピカの鏡面仕上げにするのだ。だから日本製の洋食器は工芸品に近く、しかも丈夫だった。今の100均で売ってる様な薄くて直ぐに曲がってしまう物など全く無かったのである。
私が子供の頃、昭和40年頃は街に洋食屋があって、何かの祝い事があった時に家族で出掛けハンバーグを頼んだものだった。その際に並べられる洋食器は、どれもが重たく銀色に光っていて、表面には細かい模様が型押しされていた。家庭では決して作れない美味しいデミグラスソースは絶品だった事を思い出す。スープはポタージュと言う名で、それもとても美味しく不思議な西洋の味だった。
世間には祝い事となると、当然日本文化であるから、とんかつとか鰻、河豚料理などあったが、子供の私は西洋の味がとても好きだった。
ただ珈琲だけは子供の私には美味しく感じられなかったのを思い出す。珈琲は高校生くらいになって、格好つけるためにすすっていた。美味しいと思った事は無く、それが美味しく感じられるようになったのは、実は30歳くらいになってからだった。時代は平成になっていた。

平成と言えば、昭和の後半から世の中にはスーパーカーなる自動車が増えて来ていた。ランボルギーニやフェラーリ、ランチャ、ポルシェやアルファロメオなどなど。
表参道辺りを流していると、極たまにカウンタックを見かけた。何故か決まって赤だった。同じ奴がぐるぐる回っているとも考えられたが、そこは深く考えなかった。しかし今思うと、それはたぶん同じ人間が脚光を浴びたいがために表参道から青山、渋谷辺りを回っていたと思う。ずいぶん大人になってから、六本木ヒルズが出来た頃だか欅坂をピンクのロールスロイスのオープンカーがよく見かけられるようになった。まあ知っている人は知っている事であるが、そんな車を持っている人物はたぶん日本に一人しか居なかった。深くは突っ込まない事にするが。
その光景を目の当たりにし、あの頃の赤いカウンタックは、きっとピンクのロールスロイスの持ち主と同じ様に注目行動だと、思ったのである。
現代ではランボルギーニもウラカンの時代になり、カウンタックはもはや旧車で、非常に乗りにくいし性能も劣るビンテージカーとなってしまった。電子制御など皆無だったアナログ時代の集大成だったのかも知れぬ。

ビンテージカーは良い。大好きだ。
私にとってはビンテージなどではなく、今だに彼らは輝いている。
アルファロメオ・2000ベローチェ、同じくジュリエッタ。ランチャストラトス、同ランチャデルタHFインテグラーレ。フェラーリ・デイトナ。デイトナは知る人ぞ知るマイアミ・バイスでドン・ジョンソンが乗り回していた車だ。
国産車だとトヨタ86、SOARA、スープラ、セリカ。日産スカイラインGT-R32、フェアレディーZ。三菱ランエボⅢ。いすゞにはこれより前になるが117クーペと言う名車があり、当時先輩がそれに乗っていて凄く憧れていた。そしてMAZDAのRX7、少し遅れてロードスター。HONDAはその頃は市販車でスポーツカーと呼べるものは販売しておらず、もっぱらF1でセナ様が優勝を掲げていたのだった。しかしHONDAには名車が幾つもあった。レジェンド・2ドアクーペ、初代インスパイヤ5気筒などなど。私はトヨタ86に始まり最後はレジェンド・2ドアクーペに収まった。それ以来車には乗るものの、あの頃のような感動は無く、ただの移動手段に成り下がっいった。

アナログだったスポーツカー。ライトウェイト・スポーツと言うのがコンセプトだった日本の昭和のスポーツカー。もちろんセダンも素晴らしかった。
いつかはクラウンと言う言葉が昭和にはあったのを思い出した。庶民の憧れの車。トヨタクラウン。容易に買えない高価な車だが、なにかの都合で乗る機会があると、あまりにも静かで揺れなくて凄いと感動したものだった。アナログの技術だけである。
これなら遠くへ旅行に行っても疲れないだろうな…と思った。自分の1600ccのカローラレビンでは、狭いしエンジン音は煩いしエアコン効かないし、もう長距離となると耐えるしか手段が無く、彼女と2人で頑張ろうねって励まし合って旅行に行ったものだった。ようやくの思いで日本海側に着き、はるばる来たな…と感動したものだった。余談だがその頃はマニュアル車がメインだった。
今じゃオートマが当たり前で、それこそスポーツカーまでオートマが設定されている。上級車種になるとパドルシフトと言うクラッチの無いオートマのマニュアルモードのような機能まで付き出した。
時代はどんどん変わるのである。
デジタル社会。
ハイブリッド。
タッチ決済。
サイバーアッタク。
ソーラー計画。
スマートシティー東京。 
女帝ゆりこさんバンザイなのだ。

そんな事を思い浮かべている時、我が家の姫の三毛猫さまは外に出たいと要求して来た。
今は夏。7月だ。
世界は温暖化とやらで各地で恐ろしい熱波が人々を襲っている。
黄河が干上がった。
メッカでは50度になり数百人が亡くなった。
カリフォルニア州では熱波のために山火事が起き治る気配が無いとか。
デンマークでは夏なのに寒すぎて暑い地域を探して日本に旅行に来たとか。
グレートバリアリーフが海水温度が上昇して珊瑚礁が3割以上死滅したとか。
コロナ禍が終わり世界の観光スポットでは、オーパーツリズムが深刻な問題となっているなど。
昭和のスーパーカー世代としては、当時は誰も、どの学者もこんな時代は想定していなかった。
私が大学受験したとき、地理を選択したのだが、世界で最高気温を出したのはデスバレーと死海で、そもそも雨のまったく降らない場所で海抜ゼロメートル以下の所ばかり。日本の気候も真夏でも最高気温が33度くらいだった。
今は普通に39度とか上がる。人間が順応出来る気温をかるくオーバーしているのである。

時代は想像してたよりずっと過酷になった。
これらに対応して順応するには、もはやデジタル技術しか無くなったわけである。スーパーコンピューターの凄い演算力で気候を予測して、いかにすれば人間の住める環境になるかをアナログ構造である人間が模索している。 
人間の身体にデジタルな部分は存在しない。

デジタル社会。
爆発的な地球人口64億人は、毎日何かを食べなければならないし、彼等の食糧を生産し続けなければならないと言う致命的なスパイラル。
私が大学受験の頃に地理で習った世界人口は46億人だった。日本の総人口は1億人だった。今は1億四千万人だ。
ニュースで問題になっているのは温暖化を防ぐためのカーボンニュートラル策でSDGsとか言うもの。食糧問題についてはたまにしか報道されない。
個人的に思う大問題としては、64億個の口に毎日入る食糧の方である。
いまロシアのウクライナ侵攻でウクライナ産の小麦粉が激減した。その為に世界中で物価が高騰し、ロシアからは天然ガスが入らなくなった。燃料費の高騰である。 
今世界は地球は、もはや限界状況にあって、何か少しでも異変があると途端に人間の生活が危機に陥る。
であるのに、日本は少子高齢化が深刻な問題になってしまっており、近未来の日本の国力の低下が引き起こす日本沈没論が本気に稼働し始めているのである。

さあどうするデジタル社会。超演算能力のスーパーコンピューター富嶽よ、人類が生存できる道はあるのか否か。
アナログ構造の自然物である人にどうか生き残る道を教え賜えーー。

アーメン

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