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夜の帷にひとり想う

夜の帷であるのに、一人思い悩む。
今日は何も出来なかったこと。
ただただ眠たかった。
何かしようと思うのだが、身体が言う事を聞かない。素直で無い私の身体。

逆に思いが弱いのか。それだから身体が動かぬのか。いずれかは分からぬ。
ただ眠いのと身体が動かぬこと。それと気力と言うものが失せていること。これだけで私はダメ人間に成り下がってしまうのである。
自己否定が強いのか?
ただそれだけで?

頭も回らぬ。錆びていると言うよりも、粘度の高い油を間違って入れてしまったエンジンのよう。

いろいろ想う。
あれは果たして、あれで良かったのか?とか。
想いを回らすと、総じて後悔ばかりだ。

何か食べようかとも思った。
食べれない。
あれこれと料理を思い浮かべては消えてゆく。

喉の渇きはどうだ?
渇いていない。
でも外は29度もあるのだから、何か飲んだ方が良くないか?と自分に問いかける。
が、身体が動こうとせず、肝心な一歩が出ないままで終わる。

はぁと溜息をつく。

煙草はどうだ?
別に吸いたくもない。
そうなのか…。

ふぅと溜息をつく。

ずっとさっきからこの繰り返しではないか。
自分に問い詰める。
しかし想いはそのまま部屋の天井の方に浮かんで消えていった。

虚しいのとちょっと違う。

私は疲れているのか?

そうかも知れぬ。
だが、それも自覚できない。

では、何だいったい。
少し威勢よく自らに問いただす。

しかし、その問も空中にふわふわと消えて行った。

無気力なのだろうか。
これが無気力と言うものなのか?
私は無気力を知らない。
これが無気力と言うものなら、子供の頃からずっとではないか。

やる気が出ない。
やる事はたくさんある。
しかしどれもが優先順位と言うものが、同並列化していて決めかねる。

でもしかし、食べる事は本能なのであるから、きっとこのままじっとしていれば、何処からともなく欲というものが放出して来て、お腹が空いたと思うに違いない。
そう思っていた。

数時間が経ち、少しお腹が減ったと感じた。
これはしめたと思った。
が、頭に浮かんだのは惣菜パンだった。あとせいぜい牛乳くらいだった。

どうして?
何故あれから数時間も経っているのに、ちゃんとした料理が浮かんで来ないのだろう。
ハンバーガーとか、かつ丼とかラーメンでもいい。そんな他愛もない物が浮かんで来ても良いのに、残念ながら浮かばなかった。

朝は愚か5、6時間も食べていないのだから、多少は料理っぽい物を食べた方がいいだろうと言う事は分かっていたが、ただの理屈であって実践力に乏しかった。

それにしても、ずっとソファーに横になっていると言うのも良くないだろう。そう思って無意味に立ち上がってみた。
五、六歩ほど歩くが用も無いので直ぐにまたソファーに座る。

窓から外を眺めてみると、交差点に路線バスが止まっていた。
あれは京王バスか。
人はそれほど乗っていない様だなどと、つまらぬ事を想う。
信号が変わり路線バスはゆっくりと動き出した。
乗用車も数台バスの後をついて行く様に走って行く。
今日は暑いせいか、歩道にも人が少なかった。向こう側にラーメン屋が見える。
まる太。
なんのラーメンなんだろうか。豚骨かもしくは家系、はたまた最近流行りの味噌か。
黄色い暖簾がゆっくり風に靡いている。

まぁ暫くは行く事もないだろう…などと想いを馳せる。

隣りがコンビニで、その気になればいつでもオーウェイズ開いているので食べ物などが買えるのだ。
ジュースもスウィーツもあるぞと、自分に言い聞かす。

返事が無い己の心。

いっそ眠いのなら寝てしまえと、また強めに進言してみる。

返答の無い己の心。

ああ…しかしほんとに私は嗚呼だな。

もしかして自分は、こんな様態の自分に焦っているのか?
そんな事を急に思い立った。が違った。焦ってなどいなかった。
焦ることなど何も存在していない。
私は自由なのだろうか。
この場合の自由は意味がまったく違う事も知っていた。

背中がむず痒い。
あれ?孫の手は何処だろう。
無いな。
見当たらない。
無くしたのか?
いつも同じ場所にある筈だがね。
何故だろう不思議だ。
どうして無い?
そんな筈は無いのに、まるで誰かの嫌がらせのようじゃないか。

ふぅと溜息をつき、またごろごろとしながら天井の方をぼんやり見ている。
スマホもちょっと飽きたし。
NetflixもHuluもDisney+も、今は観たいものが無い。

右斜め上の方に籐で編んだ籠があって、我が家のもう一人の同居人である三毛猫様が寝ておられる。
彼女には悩みがあるのかどうか知れぬが、いつもマイペースであって、自分の事は自分で完結出来る方だ。
たまには会話もするが、基本彼女はマイペースを崩さない。
彼女は、ペットなんかでは全然無い。部分部分で人に近い感覚を持ち、基本的にテレパシーの様なもので要求等々を伝えて来る。
しかし鈍感さに自信のある私には諦めて声を出して要求を言ったりもする。全く負担になどならない存在の我が家の三毛猫様。

そう言えば、私は二十代の頃から家には猫様が居た。それ以来ほとんど途切れる事なく猫様がずっと側に居る人生だ。
結婚や就職などで実家を離れても、アパートにマンションには、いつも猫様が居る。
一度5年くらい猫様が居なかった事があったが、あれは辛かった。まるで心に穴が空いた様になり、生活が徐々に崩れて行ってしまい、そのうちペットロスと言う症候群になってしまった。
その時、以前一緒に暮らしていた黒猫様に、どうか猫ちゃんを下さいと真剣にお祈りした事があった。
不思議と程なくして我が家に今の三毛猫様がやって来たのである。
不思議と言うより奇跡と言うべきか分からぬが、小さい赤ん坊の猫様が来て下さったのである。

不思議と言えば、例の以前一緒に暮らしていた黒猫のチビちゃんにお願いのお祈りをしてから間も無く、夢に黒猫のチビが現れて、そりゃ楽しく笑って遊んだ。
滅多に心から笑うことの無い私だが、あの時は本当に楽しくて楽しくて仕方なかった。そんな夢を見て、私は起きて直ぐに妹に電話して内容を話したのだった。

こちらの三毛猫様は、きっと天国のチビちゃんが私を気の毒に思って可愛い子を連れて来てくれたんだなと思うことにしたのだった。

猫と私。
なんの因果なのか、ずっと共に人生を歩んで来ている。
誰よりも自分をよく知っている我が家の猫達。すごいなと心底思う。

我が家では、と言っても妹とだが、先に他界している歴代の猫様の話を頻繁にしている。そしちゃあ思い出して笑っている。彼女らには心から感謝をしている。
ありがとう皆んな。これからも宜しくお願いします。

人間が死ぬと天国とか地獄とか煉獄とかいろいろな世界の事が言われているが、私もいずれかに行くのだろうけど、きっと歴代の猫様達は待っていてくれると思うのである。
これは確信に近い感覚がある。
私は直感的ではなく鈍感ではあるが、これだけは分かる気がする。彼女達はきっと待っていてくれるって。
今は姿も無い実態の無い存在だが、確かにエネルギーは存在していて、今もずっと黒猫チビちゃんを度々感じている。実態が無いぶん自由に飛び回って過ごしている気がする。
妹の話では、黒猫チビちゃんは何やら猫天国で出世したらしく、肩に小ちゃな羽が生えてるそうだ。それを自慢げに夢で見せに来るそうだ。
それを聞いて、私はじゅうぶんにあり得る話しだなぁと思った。

猫と人間の関係って不思議だ。
何も判明していない猫と言う生き物。人間並みの理解力を持ち、また超感覚の持ち主。こんな不思議な生物は他に居ない。
私は猫とずっーっと共に生きて来て幸せだなと本当に思うのである。

物を書く人の傍に、猫が居る

そんな番組があったね、そう言えば。

ではではまた。

アーメン

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