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Re:孤独なグルメは美味いもの知らず

つまらなかった。あの頃はつまらなかった。何をやっても、つまらなかった。
一人でやる事と言えば、一人で入れるようなB級グルメ屋に行くしかなかった。
好きでやってたわけではなかった。ただただ毎日がつまらなかったのだ。

その頃、テレビで孤独のグルメと言う番組が始まっていた。
何となく画面に目が行って、そのままボヤッと見ていただけだった。雰囲気は明るくなく、一人の営業職のサラリーマンが仕事で様々な街に訪れる際に、その土地の何かを1人で食べて、店の雰囲気や料理の味などを孤独に表現すると言う、誰に発信するわけでも無い独りよがりのストーリーと言う企画。
これがウケたらしくシーズン7くらいまである。

その頃は、同じような番組が深夜帯に放送されていたのを覚えている。

あれは確か、深夜食堂。新宿の片隅にある食事処で深夜の0時にオープンし閉店は朝の7時。メニューは無く、何処ぞで飲んで来た疲れた客に食事を提供すると言うもの。カウンター席しか無いので料理人とも会話をするわけで、そこに客の生き様が映し出される。
これを見て、楽しいとか癒されるとか共感すると言った類の物は私には一切無かった。
だが、こうして知っているわけだ。
つまり見ていた事の証明になるわけである。
見たいとも思わないのに、見ている。そんな餌に私も騙されて食っていた部類なんだろうと、思った。

最近の世の中には、こうした類のドラマが動画で漫画で発信されている。元々、大ウケを狙っているものでは無いから、有名な役者も多くの人間も大袈裟なセットも予算が無いから無い。登場人物が少ないのが特徴とも言えるかも知れない。
逆にそれが、視聴者には情報量が少なくて、見ていても頭を使う事もなく疲れた夜には丁度良いのかも知れない。
そしてそれなりに自由度が感じられる番組作り。緩いとも言えるその感覚は、常に脳疲労の自分には丁度良かったのかも知れない。

かくして私は孤独なグルメ旅に出たのである。
旅と言っても、そんな気合いは無いわけだから、当然その辺の飯屋になった。

毎日、ああ…今日は何を食べようかなと、ヤル気もなく独りつぶやくのである。
これが意外と悩む作業になってしまう。

武蔵野付けうどん、とんかつ、カレー、ラーメン、中華屋か。
どれもイマイチ食べたいと思わない。 
そうなると、吉牛か松屋か。いやいやそれも飽きた。

そう言えば近くに中華屋があるのを発見していたのを思い出した。
どうするか、行ってみるかと自分に問う。
行ったとして、では何を注文するのかと、また自問自答する。
そのやりとりが数十分間も続く。
そのうち疲れる。

もういいや。要らない。

食べたい物が無い。

それからまた数十分間が経過すると、やはりお腹が空いているのかも知れないと思う様になって来る。
また何を食すか考え始めると、答えが出ないのが分かっているだけに、半ば半べそをかきたくなる。

いよいよ更に時間が経つと、それまでの条件に店までの距離がプラスされるようになって来る。

どんどん店は絞られていく。

究極は隣のコンビニか、近所の例の中華屋かに絞られて来る。
中華屋にはまだ入ったことが無い。そこでググって口コミを探す。
のだが、こんな辺境な場所の中華屋に口コミなんぞがある訳もないのだが、2件だけあった。

1人は、老夫婦が厨房に入っていて昔ながらの味を出していて量も多い点と。
もう1人は、冒頭に味は美味しくはないと結論づけている評価文。

なんと悩ましい事か…。これでは決められないではないか。

しかし此処に行かなければ、コンビニになってしまう。それだけは避けたいと思った。
その事を自分に強く念じてお尻を上げ、いざ謎の中華屋へ。
果たして老夫婦なのか、そして美味しくは無いのだろうか。
私は腹が空くよりも、そちらの評価の方を確かめたくなった。

中華屋が近づくと、あの独特の料理香がして来た。稼働しているんだなと少し胸を撫で下ろした。

暖簾を別けて店内に入ると、古めかしい。はいいらっしゃい!と掠れた声がした。
いい加減取り換えろ的な椅子がチラホラ。床は何故が凹凸があって踏み心地が悪い。座れそうなテーブルを探して、取り敢えず一番清潔そうな所に座った。
美的センスは当然ゼロだ。分かっていた事だ。
壁を見渡すと当然の如く手書きメニューがヒラヒラとぶら下がっていた。
私はそのヒラヒラメニューを見つつ店内を探った。
ちょっとしてお冷らしき金属のコップがテーブルにトン!と置かれた。
テーブルはこれも中華屋常識でヌメヌメしていた。
メニューにはどれも魅力的な物が無かった。
仕方なくこう言う初めての店での手始めである、焼肉定食を注文した。
はい〜焼き定!と掛け声を狭い厨房の中へかけていた。
中から、あいよ〜!と声。

ジャンジャンと中華鍋を振る音が聞こえて、トレーにのって焼肉定食が出て来た。
これが焼肉定食なんだ…。ふう〜ん。

丸い皿に野菜たっぷりの餡かけの中に肉がチラホラ見えた。

取り敢えず食べるか。
すこし曲がった割り箸を取って食べてみた。
薄いな、味。
きっと餡かけのせいだろう。
野菜は玉ねぎとピーマン、ニンジン、それと筍だ。
肉は、ん?
もしかすると薄いけど牛肉の様な味がした。
もう一度口に運んでみると、やはり薄い牛肉だった。
珍しいな、牛肉なんて。

白米はどんぶりで盛られていて形が悪い。スープは卵スープなのだがこれも薄い。付け合わせの搾菜は、これはそこらのスーパーで買って来た物だなと直ぐにわかった。

評価は、全体的に不味くはないが絶対に美味しくはないラインをキープしていた。あとちょっとで不味いとなるのだが、残念だがギリギリセーフ。

老夫婦がと言う口コミだったが、老兄弟の間違いで、兄と弟のような老人兄弟らしかった。

さて、この美味しく無い中華屋だが、私はそこに三度も通ってしまったのだった。注文はいつも焼き定だった。
何故に三度も行ったのか。自分でもよく分からないのである。


しかし、私の好むB級グルメと言うのは実に多彩だ。
ラーメンは昨今値上がりしてしまったので、敢えて1,500円以内で食べれる1人でも入れる店としておこう。
ラーメンから始まり、牛丼、カレー、うどん、蕎麦、焼きそば、お好み焼き、スパゲッティ、とんかつ、たこ焼き、すき焼き、ステーキ、ハンバーガー、唐揚げ、スタミナ丼、ガスト、サイゼなどなど、多彩極まりないのである。
そのどれもが1人でも入れる店なのである。男性が多いのだが。女性客もかなり増えて来ているが基本はテイクアウトが多い。

そして私に言わせると、どれも味はイマイチなのである。10点満点でせいぜい7点ほどだ。
じゃあ今まで過去に満点を出したB級グルメがあっかと聞かれると、それはゼロ。
どれも美味いけど、こんなもんかと言う感想になってしまう。
かと言って私が普段から高級素材を口にしているのかと言うことは決して無く、そりゃ仕事の付き合いとかでホテルレストランとかにも行った事はある。
しかしホテルレストランと言う所は、味が美味しいのは当たり前であって、盛り付けも美しくされていて申し分ない。しかし私には堅苦しいのである。時間もかかるし、他人目も気になる。そのストレスが全てを台無しにしてしまうのであった。
気難しい男なんだなと、つくづく思う。

ある日、東京駅の八重洲地下街に平日の午後に行ったことがあって、平日の午後と言うのは本当に空いていた。だからゆっくりと地下街を散策する事が出来たのである。
小腹も空いたので何か食そうと思い辺りを見回すと、一軒の居酒屋なのか食事処なのか不明だが、そこに入った。カウンター席しか無いのだがスノコの白い木が美しかった。
お品書きは壁に筆文字で書かれてあった。たった五品だけだった。
その中のとろろ昆布うどんと言うのを注文した。おにぎりが2つ付いている。
お待たせしましたと器が運ばれて来て、竹の割り箸でうどんを食べた。
これがビックリするほど美味しかったのである。付け合わせの、おにぎりも固くなく柔らかすぎる事もなく丁度いい握り具合で、巻いてある海苔もとても上品だった。
この時ばかりは、店を出てから美味しかったなぁと感嘆したほどだった。
また来ようと思い場所を覚えて帰ったのだが、その次に来たのが2年後になってしまった。
店はもう無かった。 

残念に思った。すこし悔しさも上がって来た。

その記憶が今でも残っている鮮明に。
白い暖簾、スノコの白いカウンター、誰もいない客。
その光景が昨日の事のようにしっかりと脳裏に焼き付いているのであった。

あれも、B級グルメなのかなぁと時々思うが、あの賓の良い味はそれを超えていたのだった。
値段は高くなく確か千円以下だった気がする。

また会いたい、あの店に。
東京駅の八重洲地下街に行く度に、あの白い暖簾を探してしまうのである。

B級グルメと言うと、どれも味にパンチがあるものだが、それらを削いだシンプルな食事は逆に際立って見えるのだった。これも発見だ。


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