見出し画像

辛いときは俺を見ろとは言えない

エガちゃんかなんかが辛い時は俺は見ろみたいなことを言っていたじゃないですか。あれを言えるって相当すごいですよね。自分ははっきり言って言えないですよ。辛い時は自分のような底辺を見ろなんて絶対に言わないです。

普通に嫌じゃないですか。下に見られて他人に安心されるってどうなんだろうと思うんですよね。まあ気分の良いものではないですね。まあエガちゃんはお笑い芸人なので他人を笑顔にしていますけど、自分の場合は底辺として見なされて嘲笑されているんですよね。

同じ笑顔でもまったくの別物です。純粋な笑いなのか汚い笑いなのかの違いですね。自分も誰かを純粋なお笑いで笑わせたいですよ。大体自分が絡むと汚い笑いに変わりますからね。

まあ人間の心理として自分より下の人間を見て安心をするってのは普通のことなのかもしれないですね。自分ですらそう思うわけですからね。誰だってそう思うのかなと思います。

他人の不幸は蜜の味って言うじゃないですか。これってもう人間の奥底の部分に絶対にあるものだと思うんですよ。人間として生まれたからには絶対にそうなっている考えといっても過言ではないと思います。

現代ってすぐに他人と比較できてしまいますからね。どういうものが幸せの形かっていうのがはっきりと見えるわけじゃないですか。その幸せを目指す過程でいろんな人が劣等感に苛まれるわけです。

そして自分は他人よりはマシだと思って安心するんです。カイジとかウシジマくんがよく売れているのもそういうのがあるのかなと思ってしまいます。現在なんて簡単に相手がどうなっているかっていうのがよくわかってしまいますからね。

とくに現代なんてSNSが発達していて自分のことをSNSにアップするなんてよくあります。そういうのあってなおさら比較が簡単ですよね。本当に今良くない時代だと思いますよ。

逆に自分のことを見て笑えって言ってる人はめちゃくちゃいい人間だと自分は思います。自分は絶対そんなこと言えないですもんね。意図的に笑わせているのかもしくは笑われているのかはまったく違いますね。

自分も良い笑いで笑える人間になりたいです。こいつ自分より不幸じゃんって比べるのは本当に嫌ですね。まあ過去に遭遇した嫌なやつが痛い目にあってたらよっしゃーとは思いますけどね。

でも過去の嫌な人間のSNSをあえて見に行ったりとかは絶対にしません。そんなものを見たって1mmもプラスにはなりませんし、毒にしかなりません。そんなやつに時間を使うことすらもったいない。

これからは周りに左右されることなく自分のペースで生きていきたいです。

頂いたサポートは活動費に使わせていただきます🥺