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2.そもそもについて。

こんにちは〜、Takenoyaです。


今回は、障害者福祉の上に貢献したい!と思い立った経緯についてです😊

 

私が物心ついた頃から、2つ年上の姉は、まわりとは少し違っていたように思います。

それが証拠に、小学2年生から地域の学校から離れ、特殊学級(当時)のある学校へ通う事となりました。


いじめ…、と言うほどのものではないですが、からかわれたりだとかは、少なからずありましたかね〜。

子供は素直であるが故に、残酷ですね。


(姉の事は、Facebookに結構細かく書いています)


で、

(かなりすっ飛ばして)


そんなこんなで、私も良き伴侶と出合い、有り難いことに、3人の子供を授かりました。


そして、真ん中の次男坊(ゆうき)が3歳3ヶ月のときだったか、発達が定形でないことがわかります。

現在は、特別支援学校の高等部3年生。
(写真は中学部入学時)あどけなさが残る。


知的障害の程度は、姉よりかなり重度です。




我が家は、その土地に代々続く天理教の教会でして、私が5代目の教会長になります。

ゆうきが生まれたとき、私は後継者という立場でした。

まだまだ若い私は、こんなふうに考えていました。


『信仰していたら、その姿が結構になってくるのが本当なのでは?一生懸命やってて、良くなるどころか悪くなるって、どーいうこと??』


と。

しかし厳密に言うと、気にしぃ(繊細ともいう)な私は、

『周りの人にこう思われてるのではないか?』

と思っていたというのが、正解かもしれません。

うちの周りには、実際はそんな人いません(たぶん)。
みんな優しい人ばかりです(のハズ)。


しかし、当時の私は、心のモヤモヤがありましたねー。


でもある日、ハッ!と気付きました。

『これは、【同じ境遇にあって苦しみ悩んでいる人たちの為になることをしなさいよ。あなた達夫婦にはそれができるんだよ】という神様からのメッセージだ!!』

と。


実際には、ひとりの障害児を抱えるということは、それだけでもとても大変な事です。

現実に、隔離された施設に入ってそれっきり…という人も居られます。
※決して施設批判でも親御さん批判でもありません。施設ってそういうところ(だと思う)なので。


まあそんな中、うちの両親も頑張って姉を抱えて通ってきてくださっておりました。
しかし、私達夫婦にも障害児が授かったことで、

『あ〜そうか。うちは、自分の子を抱えてるだけじゃダメなんだ!そもそも人だすけが仕事の家業じゃあないか!』

と思えました。

なんでウチばかり…😢と、只々不幸に打ちひしがれる方向に行ってもおかしくなかったと思うんですが、何故かそういうふうにはならなかったですね。
真逆のほうに行きました。
ありがたい(笑)


シングルで障害児を育てている人(めっちゃ大変)

更にはきょうだいで障害児というケースのご家庭(マジで大変)



いや、うちより全然大変な人、メッチャおりますやん!
ゆうきが大きくなるにつれ、段々とそういう「周囲の現実」にも気付かせてもらいました。これはゆうきのお陰です。
彼は神様のメッセンジャーボーイでした。



こりゃーやるしかない!
やったろうやないか!!



長くなりましたが、これが経緯です。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

つづく。

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