記事一覧

宗教二世がフランスで考えた中上健次と社会物語学のこと:路地=物語を読みなおす 2/3

(連載の続きになります。これまでの記事はこちら。) うつほのうつろい  中上健次の前期物語論は「コードとの闘い」を掲げて既存の音楽の枠組みを突き崩そうとするフリ…

niho
17時間前
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宗教二世がフランスで考えた中上健次と社会物語学のこと:路地=物語を読みなおす 1/3

(連載の続きになります。これまでの記事はこちら。) 中上健次の後期物語論(1983-89) 中上健次の物語論はつねに何かを読みかえるため、何かをまったく別の切り口から…

niho
9日前
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熊野大学の思い出(2024)

家に帰るまでが遠足、という慣用句(?)がある。もともとは学校行事の締めくくりの訓示にでも使われていたのだろう。祭気分のまま下校して羽目を外してもらっては困る。気…

niho
2週間前
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宗教二世がフランスで考えた中上健次と社会物語学のこと : 「物語の系譜」(1979)をめぐって 2/2

(連載の続きになります。これまでの記事はこちら。) 物語のブタを礼賛  中上健次はことあるごとに谷崎潤一郎のことを推していた。「近代百年の最も大きいと思う大作家…

niho
1か月前
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宗教二世がフランスで考えた中上健次と社会物語学のこと : 「物語の系譜」(1979)をめぐって 1/2

(連載の続きになります。これまでの記事はこちら。)  前回は、中上健次が文化や物語というものの働きをとても抽象的な意味での「差別」と捉え、1978年の連続講演会「開…

niho
1か月前
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山上徹也さんへの手紙 2

〒534ー8585 大阪府大阪市都島区友淵町1-2-5 大阪拘置所気付 山上徹也様 (前回の手紙)前略 あなたはガルシア=マルケスの『百年の孤独』を読んだことがありますか。…

niho
2か月前
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山上徹也さんへの手紙 1

〒534ー8585 大阪府大阪市都島区友淵町1-2-5 大阪拘置所気付 山上徹也様 拝啓 盛夏の侯 七夕の日がまた近づいてまいりました。 七月八日に起きた事件の前夜に見た天…

niho
2か月前
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宗教二世がフランスで考えた中上健次と社会物語学のこと : 物語=差別のメカニズムを探る:開かれた豊かな文学 2/2

(連載の続きになります。これまでの記事はこちら。) オイディプス王の目にあいた穴  中上健次の考える「差別」はとても抽象的なものだ。中上によれば、差別とは差別/…

niho
3か月前
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宗教二世がフランスで考えた中上健次と社会物語学のこと : 物語=差別のメカニズムを探る:開かれた豊かな文学 1/2

(連載の続きになります。これまでの記事はこちら。)  前回は中上健次が自身が部落出身であることを打ち明け、差別というものについて語りはじめた時代背景を見た。そこ…

niho
3か月前
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宗教二世がフランスで考えた中上健次と社会物語学のこと : 物語論の時代背景

(連載の続きになります。これまでの記事はこちら。)  中上健次の物語論はそもそも何のためのものなのか。どのような意味において中上はそれを物語との「闘争」と呼んだ…

niho
3か月前
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宗教二世がフランスで考えた中上健次と社会物語学のこと:「中上健次」ができるまで

(連載の続きになります。これまでの記事はこちら。)  中上健次のいう物語とは何だろうか。前回まではこの問いを扱うための枠組み作りとして、物語という語にまつわる日…

niho
4か月前
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宗教二世がフランスで考えた中上健次と社会物語学のこと : アーサー・フランクのいう物語とは何か

※ 連載の続きになります。これまでの記事はこちら。  前回は、中上健次が物語というものについて論じた1970-80年代の時代背景を押さえておくために、同時代のフランス思…

niho
4か月前
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宗教二世がフランスで考えた中上健次と社会物語学のこと : 蓮實重彦のいう物語とは何か

※ 連載の続きです。これまでの記事はこちら。 1.3.2. 蓮實重彦のいう物語とは何か  前節では、藤井貞和の議論を手引に「物語」という語についての意味論的な考察をする…

niho
5か月前
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静かなストライキの起こし方 3

コモン、コモナー、コモニングをめぐって、マルクスを読みなおす  マルクス主義研究者の斎藤幸平さんは「コモン」というものをキーワードのひとつにしてカール・マルクス…

niho
6か月前
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静かなストライキの起こし方 2

物騒な革命、静かな革命 万国の労働者よ、団結せよ、という有名な煽り文句がある。マルクスの『共産党宣言』(1848)によって知られるようなった言葉だ。Wikipediaによれ…

niho
6か月前
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静かなストライキの起こし方 1

生活保護についての覚書 1. 全国の若者よ、無職になろう そんな煽り文句がふと思いうかんだ。  いつものようにコタツのなかでみかんを頬張りながら漫然とツイッターをな…

niho
6か月前
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宗教二世がフランスで考えた中上健次と社会物語学のこと:路地=物語を読みなおす 2/3

(連載の続きになります。これまでの記事はこちら。) うつほのうつろい  中上健次の前期物語論は「コードとの闘い」を掲げて既存の音楽の枠組みを突き崩そうとするフリージャズへの共感とともに始まった。物語と音楽とを類比的に重ねあわせながら自分なりの創作論を試みた中上にとっては、両者はともに「うつほ」というがらんどうの穴から響いてくるものだった。アルバート・アイラーのサクソフォンも、セビリアの飲み屋で聴いたフラメンコギターも、かつてジプシーが暮らしたというスペインの山中の洞窟も、

宗教二世がフランスで考えた中上健次と社会物語学のこと:路地=物語を読みなおす 1/3

(連載の続きになります。これまでの記事はこちら。) 中上健次の後期物語論(1983-89) 中上健次の物語論はつねに何かを読みかえるため、何かをまったく別の切り口から捉えなおすためにあった。そして、それはつねに何らかの危機感に突き動かされてのことだった。前期の物語論の背景には、1977年ごろから行政が推し進めた「路地」の取り壊し事業があり、土建屋である中上の一族も一役買っていた。中上健次はそれに強く反対した。そこで部落青年文化会という組織を地元で立ちあげ、部落問題や近代文学

熊野大学の思い出(2024)

家に帰るまでが遠足、という慣用句(?)がある。もともとは学校行事の締めくくりの訓示にでも使われていたのだろう。祭気分のまま下校して羽目を外してもらっては困る。気を引き締めろと。それがいまでは学校の塀を越え、物事にあたるときには事後処理もふくめ最後まで油断してはならない、といった意味あいで広く用いられるようになった。 僕はそこで、こんなふうに思う。遠足後にまっすぐ帰ってゆける場所があるなら、それでいい。しかし、もし帰るべき場所がないとしたら、どうなってしまうのだろう。あるいは

宗教二世がフランスで考えた中上健次と社会物語学のこと : 「物語の系譜」(1979)をめぐって 2/2

(連載の続きになります。これまでの記事はこちら。) 物語のブタを礼賛  中上健次はことあるごとに谷崎潤一郎のことを推していた。「近代百年の最も大きいと思う大作家」(Œ12)なのだという。そんな谷崎を「崇拝」(̇Œ21)しているとさえ公言していたから、札付きの谷崎信者だったのだろう。それがいつからのことなのかはわからない。ただ『枯木灘』の出版の年にはある種の因縁めいたものがはじまっていたのは確かである。  中上の代表作『枯木灘』は、1977年に毎日出版文化賞と文科省芸術選奨

宗教二世がフランスで考えた中上健次と社会物語学のこと : 「物語の系譜」(1979)をめぐって 1/2

(連載の続きになります。これまでの記事はこちら。)  前回は、中上健次が文化や物語というものの働きをとても抽象的な意味での「差別」と捉え、1978年の連続講演会「開かれた豊かな文学」のなかで、そのメカニズムを物語論の枠組みで記述しようとしたところを見た。「うつほ」をめぐるレトリックにも見られたように、中上はひとつの着想をさまざまな文脈で変奏しなおす。中上のいう「差別=文化=物語」は、原理としては、なんらかの分化の働き、境界線の発生のことを指していて、それが文脈に応じて、差別

山上徹也さんへの手紙 2

〒534ー8585 大阪府大阪市都島区友淵町1-2-5 大阪拘置所気付 山上徹也様 (前回の手紙)前略 あなたはガルシア=マルケスの『百年の孤独』を読んだことがありますか。ぼくは一度だけならあります。もうほとんどの内容を忘れてしまいましたが、なぜかある一場面のことだけは記憶に焼きついています。ホセ・アルカディオという男が寝室にこもり、自分の頭を銃で撃ち抜いた直後の場面です。血の滴りが寝室のドアの隙間から流れてきたかと思うと、そのまま居間を横切って道に出て、一切の迷いのない

山上徹也さんへの手紙 1

〒534ー8585 大阪府大阪市都島区友淵町1-2-5 大阪拘置所気付 山上徹也様 拝啓 盛夏の侯 七夕の日がまた近づいてまいりました。 七月八日に起きた事件の前夜に見た天の川のことをぼくはよく覚えています。いまでも目をつむり耳をすますと、耳の奥の闇のなかを光り輝く川の流れてゆく気配がするのです。 七夕は遠く隔てられた二つの星がもっとも接近する日。織姫と彦星のお話の伝わる東アジアの国々では、むかしからそう考えられてきたようですね。ぼくはその日、日本から海で隔てられた大陸

宗教二世がフランスで考えた中上健次と社会物語学のこと : 物語=差別のメカニズムを探る:開かれた豊かな文学 2/2

(連載の続きになります。これまでの記事はこちら。) オイディプス王の目にあいた穴  中上健次の考える「差別」はとても抽象的なものだ。中上によれば、差別とは差別/被差別の区別そのもののことであるという。ジャック・デリダの影響を受けた中上は、やがてそれを「差異《ディファレンス》」とも「ずれ」とも呼ぶようになるけれど、これまでの議論を踏まえれば、さしあたりは、差別とは差別するコトと差別されるモノとの分化のプロセス、なんらかの不特定的の働きが特定の物や者の形をとるプロセスである、

宗教二世がフランスで考えた中上健次と社会物語学のこと : 物語=差別のメカニズムを探る:開かれた豊かな文学 1/2

(連載の続きになります。これまでの記事はこちら。)  前回は中上健次が自身が部落出身であることを打ち明け、差別というものについて語りはじめた時代背景を見た。そこで中上が1976年に匿名性と固有性、現実と虚構のあわいを揺れるような「路地」という言葉づかいを発見していたことや、1977年の『枯木灘』の完成から間もなくして現実の「路地」の取り壊しが始まったこと、中上が差別を日本文化の核心にあるものとして読みかえ、賤なるものの「発揚」を試みたことなどを確認した。ここでは、ルポルター

宗教二世がフランスで考えた中上健次と社会物語学のこと : 物語論の時代背景

(連載の続きになります。これまでの記事はこちら。)  中上健次の物語論はそもそも何のためのものなのか。どのような意味において中上はそれを物語との「闘争」と呼んだのだろうか。前回は作家としての下積み時代とも重なる1976年までの来歴を見た。そこから確認できたのは、中上の物語論はなによりもまず創作のための方法論であったということだ。東京でフリージャズに出会った中上は、そこに従来の音楽的な規範となっていた「コード(進行)」との闘争を見てとり、同様の試みを短編小説を通して実現しよう

宗教二世がフランスで考えた中上健次と社会物語学のこと:「中上健次」ができるまで

(連載の続きになります。これまでの記事はこちら。)  中上健次のいう物語とは何だろうか。前回まではこの問いを扱うための枠組み作りとして、物語という語にまつわる日本語ならではの問題や、物語をめぐる日本語圏や英語圏での議論を取りあげた。そして、物語の力というものを問題にしつづけた中上の物語論は「社会物語学的」とでも呼べるような特徴がある、という作業仮説を立てた。  この仮説を検証するためにこれから中上の議論に立ち入ってゆくのだけど、あらためて留意しておかなければならないことがあ

宗教二世がフランスで考えた中上健次と社会物語学のこと : アーサー・フランクのいう物語とは何か

※ 連載の続きになります。これまでの記事はこちら。  前回は、中上健次が物語というものについて論じた1970-80年代の時代背景を押さえておくために、同時代のフランス思想に通じた批評家の蓮實重彦もまた物語に関心を持っていたこと、蓮實のいう物語は「法」として私たち人間を含めたこの世界を物語論的に組織するような働きであるということを確認した。そして、中上が蓮實の議論に刺激を受けつつも対抗心を抱くようになり、ついには蓮實のような俗物の考えるものと自分の物語論とは違う、と息巻くとこ

宗教二世がフランスで考えた中上健次と社会物語学のこと : 蓮實重彦のいう物語とは何か

※ 連載の続きです。これまでの記事はこちら。 1.3.2. 蓮實重彦のいう物語とは何か  前節では、藤井貞和の議論を手引に「物語」という語についての意味論的な考察をすることで、中上健次の物語論をこれから読んでゆくための補助線を引いた。そこでさしあたり立てた仮説は、中上の物語概念の元ネタのひとつとして折口信夫のいう物語があり、それが単なるモノともコトともつかないもの、ある種の不特定性としての力=マナ=霊がモノやコトとして現働化するようなシステムであるというものだった。中上は

静かなストライキの起こし方 3

コモン、コモナー、コモニングをめぐって、マルクスを読みなおす  マルクス主義研究者の斎藤幸平さんは「コモン」というものをキーワードのひとつにしてカール・マルクスの思想を読みなおしている。斎藤さんによれば、資本とはそれまで商品として扱われてこなかった公共財であるコモンを占有して商品化する運動なのだという。その典型として、かつて数度にわたってイギリスでおきた土地の囲いこみ(エンクロージャー)がある。資本家が利益追求の仮定で農民を土地から追い払い、その結果として都市に流入した農民

静かなストライキの起こし方 2

物騒な革命、静かな革命 万国の労働者よ、団結せよ、という有名な煽り文句がある。マルクスの『共産党宣言』(1848)によって知られるようなった言葉だ。Wikipediaによれば、初出はフローラ・トリスタンという女性フェミニストの『労働者連合』(1843)だという。気になったので、英語版に目を通してみた。しかし、それらしき煽り文句は見つからなかった。そのかわりに、エピグラフには「Workers, unite-unity gives strength」とあった。「労働者よ、団結せよ

静かなストライキの起こし方 1

生活保護についての覚書 1. 全国の若者よ、無職になろう そんな煽り文句がふと思いうかんだ。  いつものようにコタツのなかでみかんを頬張りながら漫然とツイッターをながめていたときのことだった。 「オーストラリアにワーホリで来てから4年3ヶ月目。ついに2000万円貯まりました」というつぶやきがまず目にとまったのだった。  この手の話は特に円安のはじまった2021年以降、様々なところでささやかれるようになってきている気がする。たとえば、2023年の2月には「安いニッポンから海外