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宗教二世がフランスで考えた中上健次と社会物語学のこと : 物語=差別のメカニズムを探る:開かれた豊かな文学 2/2

(連載の続きになります。これまでの記事はこちら。)

オイディプス王の目にあいた穴

 中上健次の考える「差別」はとても抽象的なものだ。中上によれば、差別とは差別/被差別の区別そのもののことであるという。ジャック・デリダの影響を受けた中上は、やがてそれを「差異《ディファレンス》」とも「ずれ」とも呼ぶようになるけれど、これまでの議論を踏まえれば、さしあたりは、差別とは差別するコトと差別されるモノとの分化のプロセス、なんらかの不特定的の働きが特定の物や者の形をとるプロセスである、とでも言えるだろうか。
 中上はこのような抽象性を持った差別の概念を部落問題の読みかえのために用いたが、さらにはそこに物語論的な裏付けを与えようとする。連続講演会「開かれた豊かな文学」では「物語は、差別、被差別の中から生まれる」(Œ12)という考えをもとに、次のように述べている。

物語というのは、ひょっとすると科学じゃないかと思うんですよ。科学って言うとサイエンスってことなんですけど、物語とは科学じゃないか。[…]物語がなぜ科学であるのかってことを、はっきり定着させるとすれば、物語の定型ということに行きつく。もちろん、現代作家として物語の定型を作って、物語をある枠組みの中に閉じ込めようとは思いませんけど、物語にあるコードがあるなら、そのコードまでつかみ出してこそ、新しく次の物語を、新しい文学を展開することになるんじゃないかと思うわけなんです 。ここでやろうとすることは、物語の定型あるいは物語の構造の科学みたいなものを暴露してやるっていうことなんですよ。[…]物語の暴露っていうことは、自然の暴露ということじゃないかと思うんです。[…]もう一つ考えられることは差別、被差別のその秘密の暴露じゃないかって、そういう気がするわけなんです。(Œ12)

 中上が1976年の時点で短編小説=フリージャズをコード=法との闘いとして連想したということはすでに見た。ここでの議論はその延長線上にあるとともに、創作論が同時に差別論にもなりえるという認識がはっきり示されてもいる。ただし、ここには注意すべき点がひとつある。一見したところでは、物語論という科学的なアプローチをとおして、物語=自然=差別の仕組みについて考える、と宣言されているようにも見える。しかし、ここでの中上は、物語論は科学の一分野であるという一般論を述べているわけではないようだ。むしろ、物語=科学という短絡がなされている。これは中上の議論を追う上でも見過ごすことのできない点である。というのも一面においては、中上は物語というものを「知《サイエンス》」とその裏返しである「無知」の分化のシステムとして理解していた節があるからだ。
 当時の時代背景としては、科学的な言説も物語のひとつであるとするような議論がフランスを中心になされていた。その紹介者のひとりとして日本におけるポストモダニズム・ブームの立役者になったのが蓮實重彦だった。たしかに「ある問題(問い)への解決策(答え)の探求において生じる一連の出来事」(Olson 2015)として物語というものを理解することが許されるのなら、ある意味においては、科学という知の営みもそうした物語論的構造を持っているということができるかもしれない。たとえば、中上のいう物語とは何かという問いに答えようとするこの文章もまた、ひとつの物語であると言えるだろう。実際、中上自身、無知な者による知の探求として、つまり問題解決のプロセスという意味でのサイエンスとして物語というものを捉えていたようなところがある。
 中上の場合は、物語=サイエンスの働きを「親子」の分化という切り口から説明しようとする。とても抽象的な意味での「親子」である。イメージとしては、マトリョーシカ人形のような入れ子構造を指すときに使われる「親子」に近いだろうか。一例として、コンピューターのファイルシステムが持っているような構造(親ディレクトリ、子ディレクトリ)を思い浮かべてもいい。そこには階層の違い、すなわちメタレベルとオブジェクトレベルの違いがある。それを中上(Œ8)は次のように図示してもいる。

 中上はこのような次元の区別のことを「親子」と呼び、「子」が「親」というメタレベルにある者のまなざしに関しては決定的に無知な存在でしかないこと、まなざしの対象となる受動的な存在でしかないことの意味を問題にする。中上によれば、物語は典型的に、そのような意味での「子」が、みずからを包みこむようにまなざす「親」を知ろうとする知の探求のプロセスとして展開する。中上がその一例として引きあいに出したのがソフォクレスの悲劇『オイディプス王』だった。劇のあらすじを簡単に紹介しておこう。
 むかし、テーバイの地にオイディプスという王がいた。しかし、オイディプスが王座について以来、疫病などの祟りに見舞われるようになっていた。神託を求めたところ、テーバイには先王殺しの罪人がまだ罰せられず野放しになっているという。祟りを治めるためには、その罪人を追放することで穢れを取り除かなければならない。そこで、オイディプスはいかなることがあっても罪人を探し出すことを誓う。そして、罪人探しの結果、オイディプス自身がかつて知らずしらずのうちに先王を殺害していたことが判明。真実を目の当たりにしたオイディプスはみずからの目を刺して盲目になり、テーバイから追放されて、幕が閉じる。
 中上はこの悲劇を早くからある種のアレゴリーとして受けとっていた。中上は文学という物語の営みに携わっている。オイディプスとはそんな営みのただなかにあるこの「私たち」自身の無知を映しだす鏡なのではないか、と中上は考えたのだった。その背景には作家の小島信夫の影響があったようだ。中上が1975年に発表したエッセイ「文学における私とは誰れか」(Œ4)において、小島が『オイディプス王』について語っていたことがまるごと引用されている。その一部を孫引きしておこう。

私はこの劇から二つのことをいおうと思う。その一つは、芝居だから当り前といえばそれまでだが、彼がさがし出して殺すといっている相手が自分自身であるということである。そのことそのものが、私には今の文学というものにも求められていいはずのものであり、しかも欠けているのも、このことだと思えるということである。今一つは、見えはじめることが、自ら眼を刺すことになり、盲人となって漂泊の旅に出るというこの筋は、私が向う側が見えてくることによって、今までの「私」の位置を自分の手によって捨て去ってウロウロとあてもない旅に出なければならなかったのと、どこか似たところがあるということである。(小島 1971

 私が私自身を探しだすということ。それは同時に私を捨て去ること、私自身の無知を認めるということでもある。オイディプスは知らずしらずのうちにそのような自省的な探求を強いられることになった。つまり、無知のまま、無知の知を追い求めることになった。小島の見立てによれば、まさにそのような自省的な探求こそが戦後文学という物語の営みに欠けているものだった。いわゆる「知識人」に数えられることもあった戦後文学の語り手たちは、自身の足元に目をむけなようとしない。そして、自身の物語の営みがある種の無知に支えられていること、もっといえば、自身もまた物語の登場人物にすぎないことには無自覚でいる。そのような語り手の側の奢りを小島は指摘するのだった。
 中上は小島がオイディプス王に仮託して語ったことを踏まえつつ、物語のメカニズムに関する一つの仮説を立てる。物語の主人公というものはそもそも物語論的な次元において根本的に無知な存在である、という説である。つまり、無知こそが主人公であるために必要な条件になっている。中上によれば、オイディプスはテーバイの王を名乗ってはいるものの、主人公としては無知な王子でしかありえない、という。

ここでみなさんに考えてもらいたいのは、物語がですね、[…]たえず子としての位置、子としての視点からできてるんじゃないかっていうことなんです。[…]親が何とかした、誰々が何とかしたと書いたとしても、それは物語の中の親ではなしに、物語の中の王子の位置を占めるもんではないか。つまり、ことごとく子供が主人公になってるんじゃないかっていうことなんですよ。だから、大人とか親とか、あるいは治者とか王様とか、そういう王の視点から書かれた物語は、ほとんど皆無じゃないかと思うのです。 ところでですね、原型として物語が子供の視点をもってるっていうことを、もう少し分解しますと、子供っていうのはここではまあ弱いものと、あるいはその被差別者ととってもいいと思うんですね。つまり、差別者の視点から物語が書かれたことは一度もないっていう、そういう物語はありえない、存在しないんだっていうことなんです。[…]物語の主人公が王子であり、弱いものであり、被差別者であるっていう。それをもとに物語は展開せざるをえないっていうことなんです。(Œ12)

 ここでは、主人公=子=王子=被差別者という一連の概念が親=王=治者=差別者と対比させられている。この図式的な連想は単にそのようなものとして受けとめるだけでよいものの、ここではそのうちの「治者」という語に着目してみたい。日常的にはあまり使われない言葉である。そもそもこのテキストは、春日の連続講座において中上が「ほとんど文字の読み書きも出来ぬ集まった聴衆にむかって語りかけた」(Œ8)内容を関係者が中上の死後になって書き起こしたものである。講座当日には、口頭で「チシャ」と言われても即座には意味のつかめなかった者も多かったはずである。実際「チシャ」にはさまざな漢字があてられる。「治者」であると同時に「知者」でもありえる。中上の議論はまさにこの多義性をうまく利用しているようだ。
 中上が古代ギリシアにおける哲人政治の伝統を意識していたかどうかはわからない。プラトンによれば、国を治める君主(=治者)は、知者でなければならなかった。つまり、知こそが王位を保証するものであると考えられた。このことを踏まえると『オイディプス王』の幕開けにテーバイにふりかかる祟りをめぐって、二重の解釈ができる。祟りは単に、テーバイから罪の穢れが取り除かれずにいることに起因するばかりか、治者=知者であるべき王が無知であるということ、いわば裸の王であるということにもよるのではないか。このように、テーバイの安寧を脅かす祟りが治者=知者の無知の暗示にもなることで、王位の正当性に疑問符がつきつけられる。オイディプスは祟りの原因を知らないばかりか、その原因が自身の無知であることも知らない。悲劇の幕開けに主人公がこのような無知の状態に置かれるからこそ、知の探求=問題解決のプロセスとして、物語が駆動する。つまり、無知こそがオイディプスに主人公という「子」の立場を保証しているということになる。
 中上いわく「政治っていうのは、つまり親の側のもの[…]。物語に現れた政治っていうのは、要するに子供が親になる過程そのもの」(Œ12)であるという。ここでの「政治《ポリティクス》」という語の使われ方に癖があるものの、子が親=知者=治者になる過程とは、ようするに、メタレベルに立つということ、物事、物語を俯瞰できる立場になるということ、まなざされる側からまなざす側へ移行するということになるだろうか。たしかに、この点に関して『オイディプス王』には創作論《ポエティクス》の次元において特別な仕掛けが施されている。
 オイディプスを問題解決の主体としての主人公たらしめるもの。それは自身の無知であり、それによって引き起こされた問題である。オイディプスは真の知者=治者になるために、知を獲得して問題を解決しなければならない。ところが、その結果として獲得されるのが無知の知であることによって、オイディプスは二重の意味で自身の立場を追われることになる。一つは知者=王の地位であり、もう一つは無知の者=主人公の地位である。それゆえにこそ、問題解決のプロセスとしての物語もそこで内容と形式の二重のレベルで終結することになる。オイディプスはテーバイから追放されるとともに、舞台上から姿を消す。

オイディプスは、自分のことをどんどん掘っていくわけなんですよ。人のことだと思って、誰か罪を犯した人間がいるんだと思って探っていくと、つまりそれは、王様になる以前の王子としての、あるいは子供としてのオイディプス自身だったわけなんですね。で、ここでのオイディプス王は、要するに王様、ってことは親ですね。親の視点から、自分の過去の子供である自分を引っぱり出してきて、大きな親、つまり神の視点っていうんですか、そういう位置から見られているみたいな、そういう形が読みとれるわけなんです。[…]オイディプスというのは、王様のずうっとはるか上にあった神の位置から落ちちゃった。王子としてあった自分の昔の罪を探り明かし、自分がその罪の張本人であるってことを分かった時に、一挙に落ちてしまったということだと思うんです。(Œ12)

 こう言ってよければ、オイディプスは、ある種のメタレベルに立とうとした。物語というプロセスにおける物語るコトの次元に立とうとした。しかし、どうあがいたところで、物語られたモノ、舞台上で剥きだしにされたまなざしの対象、つまりは裸の王に過ぎない。オブジェクトレベルを抜け出ることはできない。というのも、無知が物語の主人公であることの条件であるのなら、メタレベルに立つことは物語を成りたたせる仕組みへの侵犯にほかならないからだ。オイディプスはまさにそのような禁忌を犯したために視力を失い物語から追放された。そのような去勢の力が物語という「親」にまなざされる「子」に働いた、と言うこともできるだろうか。
 このような分析それ自体は、さして重要ではない。中上は創作論それ自体を目的にして語っているわけではないからだ。中上にとって問題だったのは『オイディプス王』という創作物のなかに見出されるのと同様のロジックが、社会的、文化的な現実にも働いている、ということだった。それゆえにこそ中上は小島信夫の議論を念頭に起きつつ、戦後文学という物語の営みもまた物語論的な無知によって支えられていると考えたのだった。

物語のコード、物語の定型から見ると、戦後文学、第一次戦後派の文学は非常に浅いところで書かれていた。例えば、軍隊批判を書いているわけなんですけど、たえずこう自分を弱者の立場、被害者の立場に置いている。すると、主人公は自動的に全て純潔になるわけなんですよ。[…]日本は様々な所へ出かけて行ったんですが、その小説の中には朝鮮に行って、あるいは中国に行ってやったその本当の加害の戦争ですか、そういう加害者の文学はないわけなんですね。これはけして、文学者が怠慢であるとかに、物語の定型として、加害者の文学は書けないという定型があるわけなんです。(Œ12)

 物語には、特定の主人公がつきものである。なぜならリオタールやフランクのいう「大きな物語」という意味でのナラティブを別にすれば、物語《ストーリー》はつねに、特定のだれかにとっての、いま、ここでなければならないからだ。そのとき、主人公は、特定の「私」という立場を離れることができないゆえに、原理的に、無邪気な存在であるざるをえない。無邪気であるとは、自身の存在がだれかにとっての悪であるということ、加害者であるということを正しく認識できないということだ。どのような悪人をどのように描いてみたところで、その人が物語の主人公であるかぎり、つまりその人の目を通して世界を見るかぎり、加害を加害として完全に描き出すことができない。なぜなら、加害は主人公の死角にあるものだからだ。もっといえば、死角を持つ無知な存在であるということが、それ自体でひとつの加害であり、中上はそれを「原罪」とも呼ぶ。
 それはなぜなのだろう、と中上は思う。なぜ私たちは死角を背負ってしまうのだろう。つまりところなぜ「私」は、この「私」なのだろう。この問いは、すぐれて物語論的であると同時に倫理的であり、答えがない。中上もそれに自分なりの答えを与えることができなかった。しかし、そのかわりに中上はただ、問いを問いとして掘り下げ、問いを開かれた豊かなものにしようとする。そこで中上の試みたのが、物語の主人公の条件、物語の成立の条件をめぐり、物語の定型という切り口から問いをさらに具体化してみせるということだった。

物語をうつす物語

 物語の主人公というものは物語の仕組みにおいて、視野が限定されているという点、いわばなんらかの「人称」を背負ってしまうという点で、根源的に無知なモノである。中上はそのような存在をさしあたり「子」と呼んだ。さらにその上で、「子」は物語の定型において「みなし児」という原型的な形をとってあらわれるという。つまり、知の探求としての物語を駆動させる無知というものが、親子関係という具体的な姿を借りて、物語の内部に書きこまれることがある、ということであるようだ。
 みなし児とは文字通り、身よりのない子のことである。中上によれば、それは象徴的な意味での「子殺し」(Œ12)にあった者、なんらかの離別を契機にして発生した存在、いったんむこうの世界に送られてから回帰してきた存在である。その子が今度は反対に象徴的な意味での「親殺し」を企てることがある。つまり、みずからの手によって離別を再演する。中上はその具体例としてすでに取りあげた『宇津保物語』や『竹取物語』のほかに、苅萱や、山椒大夫、信徳丸、信太妻、小栗判官といった説経節の演目に登場する主人公を挙げつつ、次のようにいう。

彼らは一度、親から殺されてある。[…]それから、親が死んだとしても、それは同じですね。[…]殺すっていうのは、いわゆる近代的な法律の概念で、人を殺傷するとか、そういうあれじゃなしに、あくまで文学の、古代から現在まで続いている文学の、ある人間の中に起こるドラマみたいなものとして喋ってるわけなんです。[…]人為を超えた、人間の力の限界を超えた、人間のことでないことを経験した者、それがつまり小さい神みたいなものになってしまう。それがヒーローの形だと思うし、もう一つ、いったん殺されてあるってことは、神話の中でこれは典型的な人物なんですね、神話のヒーローとしては。いったん死んで、もういっぺん甦って、それで主人公は元気に活躍して何かを退治する。(Œ12)

 ここでの中上の議論は、20世紀前半の民俗(民族)学における議論、とりわけ「貴種流離譚」という折口信夫の説をベースにしている。貴種流離譚とは、高貴な生まれの子が身寄りのない状態でさすらうという物語の類型のことである。現代においては、たとえばハリー・ポッターやスター・ウォーズといった物語がそのわかりやすい例に挙げられるだろうか。折口は論考「愛護若」を発表した1918年にはすでにこの類型への関心を寄せていた。また、柳田國男も1920年の論考「流され王」のなかでそれに類する議論をしていた。さらに視野を広げてみると、ウラジミール・プロップやカール・ユングの仕事に先立つ形で、20世紀初頭のフロイト学派においても同様の物語論的なアプローチがとられていたようだ。具体的には、大塚英志(2000)の指摘するとおり、フロイトの高弟にあたるオットー・ランクが1909年の著作『英雄誕生の神話』のなかで、イエスやモーゼ、ヘラクレス、ペルセウス、ジークフリード、ギルガメシュ、ロムルス、オイディプスといった英雄のあり方を分析した上で、共通の特徴を次のように抽出していた。

1.英雄は高貴な生まれであり、たいていは王子である。
2.出生には困難が伴う。[…]妊娠前かその最中に、夢や神託によって誕生を危険視される。父親に害が及ぶと危ぶまれることが多い。
3.そのため父親やその代理の意向により、産後、殺されかけるか棄てらる。概して籠などに入れられて水に流されることが多い。
4.その結果、動物や卑しい者に拾われて養われる。
5.成長後には、高貴な両親に再会する。再会には様々な形がある。父親に復讐を果たすこともあれば、子として認められて名声を獲得することもある。(Rank 2015, 拙訳)

 仔細はともかく、大筋としては中上や折口が取りあげた日本の物語にも同様の構造が認められる。また、折口の場合は、男性だけではなく「さすらいの女君」と呼べるような女性の類型にも着目している。折口によれば、日本には高貴な娘が「うつぼ舟(虚舟)」をはじめとする乗り物に入れられて流されてくるという形がある。たとえば桃太郎の桃もその亜種ということになるだろうけれど、流されてくる乗り物は二つの世界を仲介する物語論的な装置として機能する。宇津保物語に登場する「うつほ」も、竹取物語における竹と同様、二つの世界を仲介する乗り物であるとも言えるだろう。

貴種流離の発端はすでに、俊蔭の波斯国漂流の前後の叙述にも現れている。が、その女の代になって、本格のさすらい物語になる。ことに、この譚の型の中、女性にかたよったものには、うつぼが纏綿する傾向がはなはだしい。[…]この物語では、船を言わぬが、近代にいたるまで、女の流離譚は、たいていうつぼ船に縁を引いている。(折口 1943[1995])

 作家としての創作論上の動機からも、中上はこうした定型に興味を寄せていた。しかし、差別=物語論の枠組みにおいては、中上の関心はむしろ、定型の発生のメカニズムそのものにあった。つまり、そもそもなぜこのような定型=差別の形があるのか、ということが中上にとっての切実な問題だった。
 物語の定型は親子の葛藤として展開する。ただし、それは物語の与件として親と子という登場人物がいて、両者が葛藤を起こすということではない。そうではなく、親子が親子として分化するプロセスこそが物語=差別=文化なのだと中上は考え、その意味を掘り下げようとしたのだった。
 中上はこのとき、連続講座の登壇者でもあった吉本隆明が『共同幻想論』で論じた幻想としての家族概念を念頭においていた。ジェンダーという語が語源的には「発生」を意味するとおり、人間界には社会的な分化として生じる性差というものがある。二つの個体、特に性的に成熟した個体間において、生物学的な性差とは別に、男女という二つのグループを人為的に隔てるセミオティックな境界線、幻想の境界線がある。これと同様のことが親子関係にも言える。つまり、遺伝上の系譜関係とは別に、親子という二つの世代を人為的に隔てる境界線がある。性の境界線がいわゆる異性愛規範やその裏返しである同性愛嫌悪を設定するのと同様に、親子の境界線は親子相姦を禁忌とする。つまり親/子がたがいに性愛の対象としての男/女と見なすことを禁じる。人はそのような社会的現実のなか、ひいては「人倫」と呼べるような掟のなかに、知らずしらず生まれ落ちるものである。人は知らずしらず男女としての差別を受け、親子としての差別を受ける。
 中上はこのような幻想のことをカギ括弧つきで「自然」とも呼んだ。そして、物語の定型は、親子の軋轢というアレゴリーを通して、そのような「自然」を形作る境界線の力学そのものを開示している、と考えたのだった。
 この点については、吉本が『共同幻想論』の下敷きにしたエディプス・コンプレックスの概念にも関わってくる。フロイトによれば、男子は自身を生んだ女への性欲を抱き、その夫への殺意を抱く。しかし、成長の過程で夫への同一化を試み、つまり自分も大人の男になろうと試み、その欲望を抑圧する。これが母子相姦というタブーの内面化である。フロイトは、このプロセスを通して親子という二つのグループを分け隔てるセミオティックな境界、すなわち親子関係が成立すると考えたようだ。
 では、なぜこの心理劇のことがエディプス・コンプレックスと呼ばれているのだろうか。それは、父殺しと母子相姦こそオイディプス王が王子=無知な存在のときに犯した罪だったからである。物語の定型のとおり、いつか父王の命を脅かすことになるという予言により、オイディプスは生後すぐに山中に棄てられ、卑しい羊飼いに拾われる。そして成長後には、知らずしらずのうちに予言通りに父王を殺してしまう。さらには、スフィンクス退治によって自身の知恵を証し、テーバイの治者の地位を与えられたことで、母を娶ることになる。
 このとき、オイディプス自身は、フロイトのいうエディプス・コンプレックスを持たずして、父親の立場になっている。つまり、知らずしらずのうちに父殺しと母子相姦の欲望を成就してしまっている。まさにその無知ゆえ、欲望の抑圧を経ることなくして親=治者になってしまった子=無知な者の無邪気さゆえに、物語の主人公になることができたのだった。中上自身の言葉を引いておこう。

フロイトという精神分析学を学問として打ち立てた人は、この父殺し、母犯しっていうそれを、性衝動というものと結びつけまして、オイディプス・コンプレックスという形にして出してきたわけなんです。僕はそれと同じような形が、物語の中で定型として出せるんじゃないかと思うんです。つまり、物語の主人公が、本当の物語の主人公として登場してきた時には、親殺し、親犯しという二つの原罪というものを持って出てくるってことなんですよ。それ故に物語は、深く根源的に展開するっていうことなんですけど。こういう物語の定型みたいなものから見てみますと、物語のストーリー、筋書きっていうのは、つまり親と子がいて亀裂がぎゅっと生じてくる。そのズレをたえず確認するための装置じゃないかという気がするんです。物語のヒーローたちの宿命で、彼らは呻くわけなんです。罪にこう呻いてる。つまり、物語の闇の中で、どっかこう表情が明るくても、奥の方でこう呻き声をあげてる。要するに物語の主人公たちは全て、穢れてないってことなんです。その純潔、物語の穢れのなさ、王子の穢れのなさ、ヒーローの純潔さっていうのは、罪の深さに呻くその声の強さとか、罪深さの強さみたいなもの、そういうものによって保証されるんじゃないかっていう気がするわけなんです。[…]子供がどう親を殺し、無き者にし、あるいは許していくか、そういうことが何かこう感動を誘うのではないか。その親を殺す、無き者にするってことは、子殺しの目に合ってて、捨てられてあった子供が逆に、どこかで親殺し、親捨てみたいなことを行う。つまり、親と子の差異、親と子の中で起こるそういう葛藤、引っくり返しがたえずあって、それが全てのタブーの発生なり、倫理の発生なりにつながっているんではないかと思うんです(Œ12)

 中上が言いたいのは、象徴的に親から殺されたにしろ、親を殺したにしろ、物語の始原においては、何らかの死の境界線が引かれ、二つの世界の分化が起きている、ということだ。みなし児という原型にはそのような始原の分化を物語の内部に書きこむような働きがある。第一に、棄てられたあとに復活して親元に帰ってくることを通して、第二に、親をなきものにして親の立場にとって変わることを通して、死と再生を物語の内部で再演する。つまり、物語の定型とは、中上が「原罪」とも呼ぶ物語の始原にある分化の働き、境界線の発生の働きをファミリー・ロマンスという形で模倣してみせる物語であるということ、物語の物語であるということだ。あるいは物語をうつす物語といってもいいかもしれない。中上のいう「うつほ」というものが無数の穴へと形を変えてボーダーを錯乱させたように、物語もまた、形を変えてその内部や外部にうつろう、と言えるだろうか。
 親子をめぐる中上の議論は、受動性と能動性の観点からも読みなおすことができるかもしれない。中上のいうみなし児とは、根源的なレベルで受動的な存在である。アーサー・フランクにならえば、物語によって「キャスティング」された者であると言えるだろうか。すでに見たとおり「Cast」という動詞には、配役をするという意味のほかに、棄却する、投獄する、という意味があった。物語の主人公は、みなし児として、物語のなかに棄てられている。あるいは、囚われている。物語られるモノとして受動的な立場、物語るコトの次元については無知な立場に置かれている。しかし、逆説的には、まさにそのようなモノとしての受動性ゆえに、物語の内部においては主人公という能動的な役回りを担わされる。ラトゥールの言葉をふたたび引けば「行為を強いられる者」の受動的な能動性を通して、物語は展開する。このメカニズムをアレゴリーとして体現したのが、象徴的な子殺しの被害者であるみなし子が親殺しという加害者に転じる、という物語の定型ということになるだろうか。
 中上は物語に主人公としてキャスティングされた者の受動的な能動性のことを「輝き」と呼んだ。この輝きは、モノがモノとして無知であり無垢であること、つまり自身の存在が別のだれかにとっての害悪でもあることを自覚していないことによる。だからこそ中上はその輝きを原罪に無自覚なモノに押された「闇の刻印」とも言いかえた。主人公の輝きはその死角に果てしなく広がる闇に裏付けられている。闇を覗こうとすれば、主人公はもはや主人公ではなくなってしまう。盲目だからこその主人公なのだ。だからこそ『苅萱』の石童丸は、目の前にいる男が父であるということに気づかない。逆説的ではあるけれど、気づいた瞬間に物語論的な「親子」の別が失われてしまう。そう考えてみると、失明したオイディプスの眼孔を満たす闇は、主人公につきものの根源的盲目性をうつす鏡でもあったのかもしれない。
 中上は盲目の主人公が背負いこんだ闇のことを「自然」の「秘密」や「謎」とも呼んだ。柳田國男が『山の人生』の序文の代わりに報告する子殺し事件に言及しつつ、物語の始原には「物深いとしか言いようがない[…]人為を超えた」力、「人間の範疇を越えた何かこう大きな力」、「悪と言っても善と言ってもいい奇妙な、わけの分からない大きな力」が働いているのだという。物語のなかに棄てられた子の目にはそれが「邪悪な自然」のようにも映る。無垢であればあるほど、邪悪に映る。だからこそ、主人公の偏狭さゆえにこそ、物語は「秘密」を餌にして人をその内部に引きこむ。

秘密ってのは、生まれ、生活し、死ぬっていう自然過程と、それから親がなぜ親であるか、子が何で子であるかっていう人間だけがもつそういう秘密だと思うんです。物語本来のエンターテインメントとは、人間本来の持つ何て言うんですかね、自然に対する謎、それに対する興味ではないかと思うのです。(Œ12)

 中上はここで単なる創作物としての物語の仕組みを語っているわけではない。この私たち人間もまた、物語の内部に書きこまれた存在、物語に織りこまれた存在だと中上は考えていた。そして、すくなくとも前期の物語論においては、そのような受動性をごく素朴に「受苦」として受けとめていた。それゆえ、創作の次元においては、なんらかの方法で物語というトリックスターの裏をかこうと画策する。その一方で、物語論の枠組みにおいては、作家としての自身の営みを可能にしている日本語文学や日本語というもの、さらには近代という枠組みへと目をむけ、問いをさらに掘り下げようとする。そこで、連続講演会「開かれた豊かな文学」の翌年に着手をしたのが「物語の系譜」という連載形式のエッセイだった。

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