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うつ病のわたし占い師になる〜15個目:科学とのかかわり〜

今回の投稿の副題は「12.5回目:深く入り込む ver.2」
ってしようかなって思ってたけど
話の中心が科学とのかかわりについてだったので、こっちに変えました。
(ver.2 とかわかりやすいけどダサいし)

ちなみに、「深く入り込む」とは
小説や絵画を見て、その世界観にめちゃくちゃ集中する感じのことを言います。
「深く入り込む」の詳しい投稿は以下



これを書き出した今、2024年5月19日 17時12分。
(投稿日は2024年5月20日)

今日はすでに14個目の投稿をしている。

でもそのあとすぐに
友人Nに勧められた村田沙耶香先生の「殺人出産」を読んで、
衝撃を受け過ぎて、この記事を書き始めた。

この作品「殺人出産」を読む体験は、わたしにとって異質だった。
「深く入り込む」その最中に、突然現実世界に振り戻される。

それはまるで、
心が自動的に「深く入り込む」ことにストッパーをかけるようだった。

すごく怖くて残酷で美しく、
観念とか倫理観が揺さぶられるお話。

この
「深く入り込む」その最中に、突然現実世界に戻される感じ、
以前にも経験したことがある。



今から20年以上前、
夜間大学で哲学科を専攻していた。
別に哲学を勉強したかったわけではなくて、
わたしの勘違いで入ったのだけど、
その話はここでは重要ではないので割愛する。


わたしは理系だった。
科学が好きで、全ては科学で説明できると思っていた。
永遠に揺るがない真実というものが存在し、
それを解明できるのは科学だけだと思っていた。
当然、神の存在も信じていなかった。
わたしの中で身近な神とは「キリストの神」だったのだけど、
森羅万丈を神威で説明されるのが嫌だった。
物理現象は何者の影響も受けていない、ただの法則に過ぎないというのが
わたしの絶対的な美学だった。


中学生の頃
学校もプライベートもゴタゴタしていた。
そんな時に、
年間購読をしていたサイエンス雑誌『ニュートン』が
わたしの逃避先になっていた。
中学生のわたしには難しくてほとんど意味がわからなかったけど、
無駄がなくて美しく洗練された科学の世界観に救いを感じていた。
その時のわたしの生きる気力になっていた。

そんなわたしがひょんなことで哲学科に入った。
理系の勉強をし、理系の仕事にも就いていた。
だから、哲学の世界観になれるのに苦労した。


でも、いったんハマると非常に面白い世界だった。
ゴタゴタはしていたけど、ものすごく論理的で洗練されていた。
そして、そんな時、何をきっかけか忘れたけど、
科学哲学と出会った。

わたしはすっかりのめり込んだ。
提出するレポートは、指定された題材が何であれ、科学哲学に結びつけた。
本もたくさん読んだ。
その中の1冊の本がまさに
「深く入り込む」その最中に、突然現実世界に振り戻される内容だった。

夢中で読んでいるのに、ストッパーがかかって、現実に戻される。
でも面白いので更に読むが、ストッパーがかかて、やはり現実に戻される。
それを繰り返していった。

その本の題名は忘れてしまった。
内容としては、
西洋の宗教と科学について、複数の学者が書き下ろしたアンソロジーだったのだけど
主に、産業革命直前の科学革命につながっていた、ような気がする。


わたしは、ニュートンについての論文に一番衝撃をうけた。
ニュートンは高校物理の一番初めに習う、「古典力学の父」である。
そしてその時に知るのだけど「近代物理学の創始者」の1人でもある。

ニュートンの『プリンキピア』という論文の序論が記載されていたのだけど、
それがあまりに衝撃だった。
わたしが愛読していた『ニュートン』のモチーフになった科学を代表する人、
その人が、科学論文の序論で、
まるで神へのラブレターのようなことを記述しているのだった。
わたしには、ニュートンがキリストの神を心酔しているように見えた。
しかし皮肉なことに
彼の論文がやがて宗教と科学を乖離させることになり、
宗教はその力を次第に失っていく。

とにかく、ニュートンがすっごいキリスト者だったこと、
物理現象はまるで神威であるかのように書いてあることに
めちゃくちゃ衝撃だった。


もしここで、この本を読むのを辞めていたら、
わたしは全く違う人生を歩んだかもしれない。
ってぐらい衝撃だった。
だけど、その時はやめることをできなかった。
強烈な引力が働いているみたに、その本から離れられなかった。
「自分で自分のことを壊しているのではないか」
うっすらとそう思いながらながら読み進めている感じだった。

そして、とうとうわたしは、
わたしにとって宗教のようなものだった科学の概念を自らの手で
ボコボコに壊してしまった。。

読めば読むほど、深く入り込めば込むほど
科学は人間臭さを帯びて、
真実や科学は、絶対ではないことを見せつけられた。

敬虔な信者みたいに科学を信じていたので、
わたしを長年支えていたの軸のようなものがなくなってしまい、
そこから心の様子がおかしくなってしまった。
これ以降の話はまた機会があればする、かも。


で、
今日読んだ「殺人出産」も状況が少し似ていた。
「深く入り込む」その最中に、突然現実世界に振り戻される。
ただ、科学の崩壊の時ほど酷くはない。
でも、自分の概念とか倫理観がなんか変わった感じはする。

読んだ直後、紹介してくれた友人NにLINEを送った。
その時に
 これを読むか読まないかで人生が違った。
 もはや読まなかった人生なんて考えられない。
 読まずに死ぬことは考えられない。
って送ろうとしたけど、心配させちゃいそうで遠慮した。


でも、それぐらいの作品だった。

今でも科学は好き。
やっぱ洗練されてるよなーって思う。
だけど、20年前みたいに、
科学に限らず
絶対的な真実があるとは思っていない。
昔は、それにすがっていて、それが慰めだったけど
今は、そうは思えない。
「なんでもいいじゃん」って感じ。
でも、今も何かにすがっているのかもしれない。

だからこそ、今日みたいな体験をしたのかもしれない。



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