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私の道と父の足跡

『フリーターになる?』
「うん、入りたい会社もないし。私夢があるんだ。」


電話口で父に初めてフリーターになることを打ち明けた時、父はとても怪訝な声だった。

『なんだ夢って。』
「私、小説家になりたいんだ。」


私は小さいころから本を読むのが好きだった。心躍るファンタジー、引き込まれるミステリー、胸が締め付けられるような恋愛。そうした本を読むのが大好き。
中学生のころには頭の中でストーリーを毎日のように空想していた。高校の時にはノートにそのアイディアを書き溜め、大学生になった今は実際に書いて賞に投稿したりしている。
結果はまだ残せてないけど。


『…だめだ。』
「やっぱりそう言うと思ってた。」


父は昔から大学を卒業したら会社に就職するか、公務員になれと言っていた。それがお前の為なんだと。


「それでも私はなるから。」

私はそれだけ言って電話を切った。説明をするのも嫌だった。
スマホをベッドの脇に投げ捨て、私はベッドにダイブした。

「お父さんのわからずや。」


応援してくれるとは期待してなかったはずだけど、心のどこかでそうなってほしいと思っていたのかもしれない。
スマホの通知音が鳴った。父からだった。
『ちゃんと話をしよう。』
そう連絡が来た。私は返事も送らず手に取ったスマホをまた投げ捨て、枕に顔を埋めた。
私もその道に進もうと心に決めてはいたが、全く不安がないわけではなかった。本当にそれでやっていける、生きていける保障などないのだ。父がそういう心配をしているのはわかっていた。
只それでも、どうしようもなく私は小説を書くのが大好きなのだ。愛しているとも言っていい。もう本当にどうしようもないくらいに。

それから暫くはいつも通りの日常が続いた。周りの友達は就活の話をしだして、私はその輪から少し距離を置いて。
そんな日常を、少し空虚に感じていた。父に電話する前は心が熱くなっていたのが、電話をしてからは心にぽっかり穴が空いたような感じすらした。
それでも私の日常は続いていて、今日もバイトだった。


「で?オヤジさんには話をしたんか?」

そう聞いてくれたのはバイト先の店主の佐々木さんだった。かれこれ数十年この本屋を続けているご老人だ。私にとっては本当の祖父みたいに感じる、そんな人だ。

「はい、でもだめって…言われました。」
「まぁそうかもな。小説家で食っていけるようになる奴は一握りだ。オヤジさんの言うこともわかる。」
「それでも私は、小説を書いていたいんです。本当にそれが水みたいに、私にとって大事なんです。」

そうか、というと佐々木さんは目線をそらした。
やっぱり私の夢は荒唐無稽で、どの人から見ても肯定されるものではないのだろうか。
そう思うと、私の目から涙がぽろぽろと零れだした。

「オヤジさんにはそういう風に話したんか。」
「えっ?」
「オヤジさんにその心を伝えたんか。」


売り場からすいませんと声がして佐々木さんは腰を上げた。


「ちゃんと話をした方がいいぞ。」

佐々木さんはそれだけ言い残すとそのまま接客に向かった。


私は自室で天井を見つめていた。
佐々木さんに言われたように、私はちゃんと父と話をしただろうか。
私は夢だけ伝えた。それにどれだけの想いがあるか、どれだけ真剣かなんて、これっぽっちも伝えていない。ボーっとしていると、インターホンが鳴った。今は夜の9時。特に荷物が届く予定もない。訝し気にインターホンのカメラを覗き込んだ。
そこには父が居た。


父を部屋に上げ、とりあえずお茶を出した。


「飯は食べたのか。」
「うん、さっき食べた。」

二人でお茶を啜った。この前の電話のことがあったからなのか、ちょっと気まずい。


「ちょっと出かけないか。父さんいいところを知っているんだ。」
「今から?明日の仕事とか大丈夫?」

地元と私の住むこの街はとても遠くて、そもそも平日にここにいること自体驚きなのだ。


「明日は休暇をとった。お前と話がしたくてな。」

真面目に会社に勤めていて、滅多に会社を休まない父が仕事を休むのに驚いた。でもそれがちょっぴり嬉しかった。


「すぐ支度するね。」

私は父と出かけることにした。


父が連れてきてくれたのは近所にあるバーだった。今まで大人の雰囲気が凄くて行くのを躊躇していた。


「昔は母さんとよくここに来たな。」
「昔ここら辺に住んでたの?」
「あぁ、若いころに少しな。」

そんなこと一度も聞いたことがなかった。父は若い時の話をしない人だ。
お店に入るとカウンター席だけの小さなバーだった。


「いらっしゃいませ。」

お店に入ると父は一番奥の席に座った。私もそれに連れられて隣の席に座る。


「昔は貧乏でな。月に一回ここに母さんと来るのが楽しみだったんだ。」
父は私に何にするか聞いて注文をした。
「父さんは若いころミュージシャンを目指していたんだ。」

また父の知らない話を聞かされた。
若いころギターを片手に家を飛び出したこと、鳴かず飛ばずの時にお母さんと出会い、それから私が生まれてミュージシャンをあきらめたこと。それから必死に仕事を探して、必死に働いたこと。


「アーティストとして生きていくのは、並大抵の覚悟ではやっていけない。父さんがミュージシャンをあきらめたようにな。」

私は言葉が見つからなかった。父の過去を聞いて何も言えなかったのだ。

「お前にその覚悟があるのか?」

私は頭の中でぐるぐる考えてしまった。父の過去、私のやりたいこと、私のこれから。
ただそれでも、私は。


「私は小説家になる。私にとって書くことは必要なことだから。」
「そうか。」

父はカクテルを、カクテルの味だけじゃない何かを味わうように一口飲んだ。

「わかった。お前の人生だからな。」

私は自分がこんなに泣き虫だったのかと思うぐらい、またぼろぼろ泣いた。
その夜、父は何も言わずただ傍にいてくれた。ただ傍にいて、私を見守ってくれていた。
私はたぶんこの夜を忘れないだろう。父が何も言わず傍にいてくれた、この夜を。

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