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海外生活で外国人として生きる「孤独から得られるもの」


こんにちは、ヒデです。


当たり前ですが日本に住んでいると自分が外国人であると意識することなど、全く無いと思います。僕も海外に住むまで、自分が外国人であるなど考えもしなっかったです。

ですが、一歩でも外に出ると私たち日本人は、その国の外国人となります。そうなる事で今まで見えなかった世界が見えてくる事があります。


なので今日は、海外で生活し、その国で外国人として生き、僕が外国人として何を感じ、経験してきたかを皆さんにシェアしていきたいとと思います。




外国人としての経験


僕は4年前にオーストラリア に来て外国人になりました。日本を出て違う国で生活すると言うのはその国の外国人となります。

僕は、外国人になったことで人の心を慮ったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分が現れました。この体験というのは、本を読んだり、情報を取ることができたとしても、体験しないと自分の中からは生まれないものだと思います。
孤独を感じて苦しんだことは、数えられないぐらいありました。

ありましたけど、その体験は未来の自分にとって大きな支えになるんだろうと今は思います。だから、つらいこと、しんどいことから逃げたいというのは当然のことなんですけど、でもエネルギーのある元気のある時にそれに立ち向かっていく。そのことはすごく人として重要な事ではないかと感じます。

「違う国で暮らす外国人」というの立場を経験することで、日本にずっといるのでは見えないものが必ず見えてくるし、社会的弱者の気持ちが少し理解できるようになります。


こうした自分の経験から僕は、異国で旅行者としてではなく、外国人として生活する体験をすることで、個人的にも人間の内面の成長にとってもれなくプラスだと思います。



孤独を知る



会社、親、友達の後ろ盾などもなく、単なる一個人としてその国に飛び込む方が、ハードルが高い分、得るものも多いし。慣れ親しんだ環境や人々から切り離され、それまでの人生で築いたものを一旦全てリセットし、完全に一人ぼっちになって、自分と向き合い孤独を知る。


さらに、そういった「アウェイ」の状況で、現地の言語とルールで、現地人に揉まれて仕事もしてみると良いです。

なぜなら、日本でなら問題なくできることも外国では半人前以下しかできず、周りに助けてもらわなくてはならないかもしれないし、大きな失敗をする可能性もあります。
そのような立場に身を置いてみると、自分がそれまで常識と思っていたことの多くがどれだけ特殊だったか、一人の裸の人間としての自分の力がどれだけのものか、否応なしに認識させられ、謙虚になることを余儀なくされる。自分がこれまで日本でどれだけ守られてきたかということも身をもって実感できると思います。


そして、今まで知らなかった、自分が現れ出会うことができます。


この体験が僕自身を人間的にとても成長させてくれたと思っています。そう言った経験は私達にとっては究極プラスになるのではないかと思います。




自分を意識する


人間は慣れ親しんだ環境から切り離され、家族や友人たちからも離れ、一人になってみて初めて本当に「自分って誰」という問いを突きつけられます。日本にいても自分にちゃんと向き合える人もいますが、外国に出てみることで、いろいろなものがリセットされクリアになり、自分という人間を意識することになります。

つまり、こう言う環境というのは自分自身の『弱さ』『未熟さ』に気が付くことができ、自分自身を中身から変えていくことができます。

確かに、社会が勧める道とは違った道を選択するのにはとてつもない勇気と努力がいると思う。留学、海外移住というのはまさしくそのひとつ。なおさら日本のような環境に慣れすぎてしまうとなかなか勇気を出して大きなことに挑戦するのは難しいのかもしれない。

けれど、自分の弱さを知り、迷いながら、失敗しながら、自分自身を少しずつ軌道修正していく。まさに『失敗を修正して行く』という考え方。を身につけるのことはとても大事だと気づいた。

たった一度きりの人生のなかであなたにしか歩めない人生はどんな人生だろう。大事なのは『どう歩みたいか』を自分自身で分かっていることだと思います。

それを知るためには『自分の弱さ』に気づき、真っ直ぐに『自分と向き合う』必要があると感じます。




つらい時に助けてもらったことは忘れない


僕は、オーストラリアでとんでもない失敗をしてしまい、心底落ち込んでいましたたし精神的にも大変な時期がありました。


僕はその時、まずどんな時もまわりに影響されない状態に自分を持っていくのが一番だと、ぼくはその言葉で感じました。

その時期、私は毎日Barで死にそうな顔でお酒を飲んでいました。そんな時、数人の酔っ払った男性4人が私に「元気がないけど、どうしたの?」と声をかけてきました。

そして「ぼくは、今けっこう落ち込んでいるんだよ」と言うと、その男性4人は「じゃあぼくらが神様に祈るよ。いい事が君に訪れるようにって」とぼくの肩に手を置いて、英語で祈ってくれたんです。(ちなみに僕は、号泣していましたww)
5分くらいでしょうか。ずいぶんと長い間でした。オーストラリアに来て、こういう事が数回ありました。

見ず知らずの彼らが、ぼくに対して祈ってくれてる。今はちょっとつまずいてるけど、これから良くなっていく予感がしました。そうなるように胸張ってやっていきたいと強く感じました。


当時の私は、この事で本当に私は救われました。


人の縁にぼくは恵まれているとこっちに来て心から感じました。



仕事で良い結果が出なくて悩んでいる時にも、全く知らない人からアドバイスをもらったりなども何度もあります。今でもその内容を覚えています。

1人でお酒を飲んでいると、1人の男性が声をかけてくれました。


彼は、僕に

自分の力を出し切っても失敗するときは、失敗するから。そんなことで悩んだり自分のことを責める必要はないよ。

むしろ、全力を尽くした自分を褒めて誇りに思うべきだ

そんな、君を僕は同じ挑戦を続ける人間として誇りに思うよ。

さあ一緒にビールを飲もう!!


と言ってくれたのを今でも覚えています。


そうやって外国人ならではの情けない思いや、,嬉しかった思いを経験したことがあると、日本で働いている外国人に対して、「日本なんだから、日本語ちゃんとしゃべれよ」とか「何でそんなこともできないんだ」「自分の国に帰れ」など、そう言った気持ちがなくなります。

でも海外で外国人として働く経験をしていなかったら、そんな気持ちを持てないかもしれません。



本当にやりたいことに気づく


よく私は、『自分が将来何をしたいかが分からない』という人を見かけます。それは別にダメなことでもなんでもない思っています。『本当にやりたいこと』を見つけるのはそう容易なことではいし、だからこそこの現代社会で『やりたいことがない。』ことが悩みになってしまうんだろう。

そうなる原因が多々あるとは思うけど、一番の原因は私たち日本人特有の固定観念にあるのかもしれないと思っています。

例えば、『こうしなければいけない』とか『周りの期待に応えなければいけない』とか『大学には行かないといけない』とか『上司に気に入られる為に仕事を頑張らなければいけない』とかあげたらキリがありません。もしかしたらそういった固定観念が私達の人生を縛っているのかもしれない。

私の場合、この固定概念が海外で外国人として生活していくうちに変わっていったのではと感じています。

外国人として生きると言う事が、私に自分と向き合う機会を与えてくれ本当にしたい事を気づかせてくれました。



最後に


自分と向き合うというのは、ただ良いか悪いかを判断するものだけのものじゃなく辛くても自分と向き合い、自分自身を知っていくことで将来、悩んだ時、迷った時に必ず役に立つ。

時には周囲からの期待やプレッシャーに押しつぶされそうになることもあるけれど、それでも自分と向き合い、本当にやりたいことが明確なのであればそんなもの達が意味がないことに気付く。

つまり、『自分と向き合う』とは、『人生をどう歩んでいきたいかを考える』ことだと思う。とヒデは言いたい!!


ではまた!!



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