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親に不満があるなら家を出て。会社に不満があるなら起業したらいい。友達、家族、周りの人、身近な人を巻き込まない。始まりは自分で、1人で、生きないといけない。進んだ先にはきっと新しい出会いは待ってるから。

 「自分で選ぶ、自分のやりたい、自分でしたい」っていうのは自分の力、自分の責任で進んでいくって事。
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 令和3年12月11日時点で生活圏内、身近な人で意見合う人、考え方を共有できる人が僕1人になった気がして気がついた事です。
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 今振り返れば親元を離れた日からどんどん1人に近づいてたんだと思う。
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 僕は昔から関わる人に変わり者って言われてきた。でも普通に友達や親友になって仲良くて好きだった。でも、完全に分かり合えている訳ではない気もしていた。
分かってもらえてないの方が正しいかもしれない。変わり者っていうのは考え方の部分で理解して貰えてないって事だと思う。 
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 僕は就活の時期に、仕事に生きる理由を求め悩みに悩んだ末に、直感的におもしろそうって思った「鋏職人」の道を選んだ。
 めっちゃいいやん!楽しそう!
って思っていたら。
 その時僕の周りの人、友達やバイト先、先生達から、
「本当に大丈夫?」「よく考えた?」「数年で帰ってくると思う」
と否定的な意見ばかり。でも僕は進む事を選んだ。
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 就職後は、素敵な社内の人達と仲良くなって楽しく過ごしていた。


 それでも1年たったくらいから、仕事としての従業時間8時間だけだと足りないと考え、朝早く出たり、夜も仕事して技術習得に励もう!仕事をもっと頑張りたいって思うようになってきた。
 すると、従業員の人達から、「体大丈夫?」「早く帰りなよ」「そんな無理しなくても大丈夫だから」って止められ、僕は仕事しずらい空気を感じ、居心地の悪さを感じた。
 しかし、僕は我慢して仕事をする事を選んだ。
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 そして、コロナが来たくらいから僕は家でも、自分のプライベートの時間でも、本を読んだり、動画を見たり、美容師さんに会いに行ったり仕事の為の勉強をするようになりました。
 こうばでは職人仕事に専念して、家に帰ってからは勉強を続けてきました。
 去年、「コロナ給付金の10万円使って研ぎをさせて頂きます」とした時は社内の人から、「そんなんしても意味ないよ」と言われ。その時の結果は依頼してくださった方が3人(しか)で意味なかったやんというような感じで言われ。
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 それでも社長が時々「仕事はおもろいなー」って声掛けてくれて、仕事=おもろいを共有できているような感じで嬉しかった。
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 最近では東京に日帰りでセミナーを受けに行ったり、30万円のコンサルを受けるようになって、さすがに会社の人皆から理解されなくなり、会社の為に何かしようと相談しても全然分かり合えません。会社に迷惑かからないようにしてって感じ。
 洗脳されてるんじゃない?大丈夫か?と心配される始末。


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「これがやりたい!」
「なんでダメなの?」
があるなら1人になればいい。
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 親に不満を抱き反抗してきているけど、今思えば家出して自分で働いて稼いで生活したらいい。
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 学校では、校則があり不平不満を友達と言っていたけれど、別に学校行かなければ良かっただけ。
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 会社では、いっつもやりたい事を阻止されるけれど、自分で考えて自分でしたいなら独立したらいい。 
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 その力がない。自分でできない。できたらとっくの昔にしている。
だから親に頼るし、学校行って勉強するし、会社で雇ってもらう。
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 しかし僕は、前に進みたいから自分の為に、こんな僕でも家族くらいは自分の力で守れるようにこれからも勉強し続ける。


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 毎回進む事を選ぶと、身近な人、仲良い人とは少し距離が離れちゃうけど、進んだ先で新しい素敵な出会いが待ってるから今回もきっと大丈夫。

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