相応しい花
河川敷を歩いていると、緑の草地の中に赤茶けた花弁が揺れているのを見つけた。見慣れた緑の中に浮き立つようにして見えるその花の名を思い出すのに、私はしばしの時間を要した。
「曼殊沙華……」
もうそんな季節なのか、と思う私の頬を爽やかな涼風が撫でていった。
彼岸花、という悲しげな響きよりも、天上の花の一つとして挙げられる「曼殊沙華」の呼び名の方が私は好きだった。放射状に咲き誇るこの花に相応しい名だと思う。
同時に、この花に与えられた花言葉を思い出し、私はもう一度、その妖艶さの欠片すら残っていない、枯れた花弁を見た。
彼と別れたのは一体何が原因だっただろう。憶えていない、ということは大した理由などなかったのかもしれない。あるいは、とんでもなく酷い理由があって、脳が思い出さないように蓋をしてしまったか。
どっちだろうか、と記憶を辿るが、これっぽっちも思い出せないので諦めた。
とにかく私は、蒸し暑い熱帯夜に彼と別れ、あてもなく街を彷徨った挙句に、この河川敷の、昼間は野球少年たちが練習に励むグランドに降りていくコンクリートの階段に腰掛けて、朝を迎えたのであった。
もう三年も前になる。
今でもそのときの朝焼けの美しさを憶えているし、胸の苦しさも、生温い朝の風が濡れた頬を乾かしてくれた感触も残っている。
何もかもを失ったのだと本気で信じていたが、日が上り、自分のアパートの質素な部屋に戻ると、何も失っていないのだと気づいた。その、何も失っていないという事実もまた悲しくて、虚しくて、私はまた泣いた。クーラーもかけずに、窓も閉め切って、布団と枕は涙と汗でぐしょ濡れだった。
危うく熱中症になりそうなところで、クーラーをつけて、私は死んだように眠って、起きて、風呂に入って、飯を食って、次の日の朝になったら何食わぬ顔で日常に戻っていった。彼のいない日常は空虚であったけど、案外生きていけるものだ、と私に心許ない自信をくれた。
心許ないから夜になれば恐ろしくて、不安で、私は本当に生きているのか、と布団の中で二時間も三時間も丸くなっていたのだけど。
彼は大した男ではなかった。並みの会社の並みの社員で、出世の見込みもなかった。給料は私と同じくらいで、デートはいつも割り勘だった。それに不満があったわけではなかった。
しかし、そんな男でも失えば心に大きな穴が開くのだ、と私は驚愕した。別れてしばらくした後、あんな男のどこがよかったのだ、と自問した。彼の悪いところ――例えば、私の部屋に来て用を足したときに便座を下げないこと、とか――をあげつらって、彼は大した男ではなかった。失ったところで、私の名誉や誇りに傷などつかない、と考えてみた。
その作戦は、一応功を奏し、数か月は彼のことが頭に浮かんでこなくなった。
しかし、無理やり閉ざした記憶の蓋は、僅かな不可抗力の前に、呆気なく開かれるものなのだ。
秋風は私にとって、禁断の扉を開く鍵であった。
こうして河川敷に立って、秋風に吹かれ、そして真っ赤に燃える曼殊沙華を見つけると、彼と二人で過ごした穏やかな生活の一つ一つが脳内に溢れてしまうのだった。
どうして曼殊沙華なのか。それは、彼が死の花だと言ったからだ。
曼殊沙華の根には毒がある。一緒に歳を取って、お互いにいつ死んでもおかしくない年齢になったら、曼殊沙華の根で死のう。
彼は冗談交じりに、しかし半分以上は本気でそう言ってくれた。私も、そんな死に方ができるなら望むところだった。
もう決して叶うことはないけれど。
花の毒で一緒に死ぬ。
そんな子供じみた、当人たちにとっては本気の約束事を思い出し、私は口元を綻ばせた。
私は草地に歩み寄って、赤茶けた花弁に触れる。
曼殊沙華の花言葉――諦め。
この言葉通り、彼のことは諦めよう。そう心に誓って、三度目の彼岸が過ぎた。
曼殊沙華の花は、葉と決して巡り会うことはないのだそうだ。
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