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炉心の曰く

 金属と金属が擦れ、ぶつかり合う音が響く。粗末な骨組みと薄い鉄板の壁で作られた巨大な箱の中は薄暗く、様々な機械が並んでいる。その傍では工夫が忙しなく働いていた。
 それぞれの機械から伸び、工夫たちの頭上に張り巡らされた配管の上を走り去る一つの影があった。淡い照明に少年の横顔が一瞬、照らされる。工夫たちの統率を任されている憲兵が、配管を伝う影にさっと視線を走らせた。
「鼠か……?」
 憲兵は怪訝に呟くも、その正体まではわからず、目の前の仕事に戻っていった。
「あっぶねえ……」
 配管の継ぎ目のネジに指を掛け、イアソンはほうっと息を吐く。下では憲兵が怒鳴り声を上げて、工夫を杖で打っていた。あまりの痛さに膝を着く工夫に、憲兵はさらに追い打ちを掛ける。
 肉を打つ鈍い音が工場内に反響する。他の工夫は、苦しむ同僚の姿を見て見ぬふりを決め込み、自分の仕事に没頭していた。
 誰も彼の身代わりにはなりたくはないのだ。下手をすれば自分も死んでしまう。憲兵の執拗な懲罰に、これまで何人もの工夫が命を落としてきたのだった。
 イアソンの父が死んだのも、ついふた月ほど前のことだった。
 冷たくなった父の遺体には杖で打たれた痕が蒼い斑になって、体中に残っていた。イアソンの母はその遺体にしがみつくようにして重なって、声が枯れるまで泣いたのだ。
 その母も、ひと月後に病に臥せってしまった。
 イアソンは怒りに燃えていた。父を死に追いやった憲兵を、そして彼らを雇う工場の主を許さない。いつか必ず、滅ぼしてみせる。そんな決意に燃えていたのである。
 憎しみの炎を燃やすイアソンの耳に「工場の主」に関する噂が舞い込んだのは、復讐の策がちょうど百を超えたあたりであった。
 〝工場の奥には秘密がある。そこにこそ、真の主が眠っている。〟
 その噂の真偽は定かではなかったが、その〝真の主〟こそ自分の復讐すべき相手ではあるまいか。イアソンの直感がそう告げていた。
 果たして、彼は工場の奥を目指して、鼠の如く配管を這い伝っているのであった。
 配管の継ぎ目からは機械の熱を奪った蒸気が噴き出して、イアソンの顔に掛かった。歯車が忙しなく回転し、轟々と鳴っている。その回転を滑らかにする油が漏れて、配管の上に落ち、熱され、独特の臭いが充満していた。
 噎せ返りそうになるのを堪え、イアソンは芋虫のように体をくねらせ、先を急いだ。
 工場の奥は、機械から吐き出されるベルトが集まり場所の、さらに向こう側であった。イアソンは次第に、天井に張り巡らされた配管の配置から、奥へ通じる一本を探り当てた。
 「ようし……このまま行けば……」
 そのとき、彼の足が外れかけていたネジに引っ掛かり、靴が脱げてしまった。ひらひらと揺れながら落ちた靴は、よりにもよって、憲兵のしなびた帽子の上にぽすりと着地したのであった。
「やべ……」
 呟いた直後、鋭い怒声が反響した。
「侵入者だ! 摘まみだせ!」
 その声に呼応して、幾人かの憲兵がこちらに向かってくる。イアソンは急いで配管を伝い、奥へと急いだ。丁度照明の明かりが届かない背の高い機械と天井の間に、配管が潜り込んでいる。後ろを振り返ると、壁をよじ登ってきた憲兵たちが次々に配管に乗り移っていた。
「待て! そこから先は、行き止まりだ! 諦めてこちらへ来い!」
 その憲兵の言うことが本当ならば、こちらへ来るよう指図せずとも、奥へと追い詰めればよいはずである。彼らは獲物を追い詰めた、というよりも、何か焦っているように見えた。
「へっ! 行き止まりなら、こっちまで追い掛けてみろってんだ!」
 そう言い捨て、イアソンは配管の潜り込んでいる陰に向かっていった。それを見た憲兵が凄まじい形相で追い掛けてくる。体格的に、彼らでは機械と天井の間には入ってこれまい。
 イアソンは震える手足を叱咤して、懸命に這った。
 背後に迫る憲兵の指先がイアソンの足を掠めるのと、イアソンの体が陰の向こう側に滑り落ちていくのとは、ほとんど同時であった。

◆*◆*◆*◆

 固い床に体を強かに打ちつけ、イアソンはもんどりうった。息がうまい具合に気道を通らず、血の気が引いていく。二転三転して悶えるうちに、ようやく空気が肺に入ってくるようになる。
 何度か咳き込むと背中がぎしぎしと痛んだ。何とか立ち上がって、自分が落ちてきたであろう天井を見上げた。薄い光が差し込み、その向こうから憲兵たちの慌てふためく声が聞こえていた。
 何を喚いているのかはわからなかったが、彼らにとっては非常に拙いことになっているのだろう。それを思うと、くつくつと笑いが込み上げてくる。
 気を取り直して、イアソンは前を向いた。
 黄色いランプがぽつりぽつり、と間隔を開けて灯っている。淡い光が続く先にあるものを見て、イアソンは言葉を失った。
「これは……」
 見たこともない機械がそこにあった。
 一見、巨大な鉄の箱に見えるそれは、真ん中に丸い小窓のようなものがあり、その中で炎が煌々と燃えているのであった。
 恐る恐る近づくイアソンを引き留める者はいない。
 手の届くところまで来ると、小窓に見えていたものは巨大なガラス質の球体が嵌められているのだとわかる。大きさは小柄なイアソンの十人分ほどはあろう。
 呆気に取られて見上げると、どこからか声が響いた。
「何奴だ」
 イアソンは思わず、腰を抜かした。辺りをおろおろと見渡して、声の主を探すが、そこは意外と狭く、視界の先はすぐに壁や天井になっていた。
 目の前に聳える機械も壁と一体になっていて、少しの隙間も見当たらない。人が隠れられる場所はどこにもなかったのだ。
「ハンブルめ……こんな子鼠の侵入も防げぬとはな」
「あ、あれ……?」
 次第に声の出どころに見当がついてきたイアソンは、怪訝な声を上げた。声は目の前の機械――ガラス質の球体から発されているように思えたのだ。
「何だ、今頃気づいたのか。ここまで辿り着いた割りには、頭の出来はそれほどよくないらしいな」
「何を……」
 言い返しそうになって、彼は気づく。こんなことをしている場合ではない。
 早いうちに目的を達成しなければ、憲兵がやってきて捕まってしまう。
 工場の真の主の正体はよくわからないままだが、天井から続く配管の全てが目の前の機械に繋がれているところを見れば、何を為すべきなのかは容易にわかった。
 イアソンは足元に転がっていた鉄パイプを拾い上げ、慎重な足取りで一歩、機械に近づいた。狙うはその本体らしき、ガラス質の球体である。
「ほう……我を破壊しに来たか」
「おうよ。父様の仇よ」
「ふん。自分の為すことの恐ろしさを理解していないようだ」
「何?」
「よい。気にするな。我もここには飽きた。汝らはいずれ滅びる定めにある。それが幾万年か早まったところで、誰も悲しみはしない。さあ、我を打ち砕くがいい」
 どこか達観したような機械の物言いに、イアソンはいくらか躊躇った。滅ぶ、という言葉は嘘ではない。彼の直感が告げていた。この機械を壊してはならない。
 それではどうすればいいのか。
「お前を壊さずに、ここの主を懲らしめる方法はあるのか?」
「もちろんだとも。方法などいくらでもある。まあ、どれも人の力だけでは長い時間が――それこそ数世代に跨るほどの時間が必要だがな」
「それじゃあ駄目だ。もっと早く、今すぐにでも復讐してやりたいんだ。どうすればいい? 教えてくれ!」
「教えろ? 我に向かって、指図するか? よかろう。面白い。ここにいれば、人々を繁栄させよ、なんていう大雑把なご命令を寝てても叶えられるというから手を貸してやっていたが退屈で仕方がない。汝の復讐に乗ってやろう」
「どうすればいい?」
「何もしなくていい。汝はさっさと帰って眠ることだ。明日には全て終わっている」
「本当か?」
「信じずともよい。ここに残って、事の次第を見届けるのも楽しいだろうよ。最後まで生きておれるかは、知らんがな」
「……」
 怯えるイアソンを見たからか、機械が空気を震わせるほどの声量で笑い始めた。不気味な低い声がその空間に響き、イアソンは恐ろしくなって慌てて逃げ出した。
 気づけばイアソンは、自分の家の布団の中に潜り込んで震えていた。機械の笑い声が耳について離れない。固く目を閉じている間も、暗闇に輝く球体が浮かんでは消え、消えては浮かんでいた。
 夢を見ていたのか、それとも眠れず起きていたのか、いつの間にか昼になっていた。
 誰かが扉を叩く音で、イアソンはようやく布団から顔を出した。
 寝ぼけ眼で開いた扉の向こうに立っていたのは、隣に住むニムルであった。彼は父の同僚だった男だ。今の時間は工場であくせく働いているはずだが。
 ニムルは言った。
「大変だ……工場が、止まっちまったんだよ。機械が止まっちまったんで、俺たち昼前には家に帰されちまって」
 イアソンはそれを聞いて、一気に眠気が吹っ飛んでしまった。ニムルはこの先の生活をどうするのか、と嘆いていたが、イアソンはもう聞いてはいなかった。
 彼の心には、この先の不安よりも復讐を成したという一条の光が眩く差し込んでいるのだった。

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