前田陽汰

島根県立隠岐島前高校卒 慶應義塾大学総合政策学部2年 休学中  NPO法人ムラツムギ代…

前田陽汰

島根県立隠岐島前高校卒 慶應義塾大学総合政策学部2年 休学中  NPO法人ムラツムギ代表理事 株式会社むじょうCEO 葬想式をつくってます。 https://www.sososhiki.jp/ テーマ:右肩上がりを問い直す・死と日常の分断を溶かす

最近の記事

2021年9月3日17時より、前田陽汰の生前葬を執り行います。

葬想式でどんな場をつくれるのか、覗いてみたい!というお声をいただいたので、私の生前葬を開いてみました!
9月3日17時〜9月6日17時までアクセスできますので覗いてみてください! 今は亡き(ことにして)私に向け、メッセージを残してくれると嬉しいです。 私の生前葬はこちら ⇒ https://www.sososhiki.jp/event/uzrF9u5f6Ur7A4w3Fxj5 余談ですが、生前葬はとても興味深い営みだなと思っています。 死(ここでは他者の死ではなく自身

    • 隠岐島前・海士町での島留学の記録が本になりました!

      今読み返すと、拙い言葉が並び、とても恥ずかしいです。 卒業した身である私が編集してしまうと、美化された言葉の羅列になってしまう。
在寮生の等身大の言葉をそのままに伝えられればという想いで、当時の言葉を残しています。 過去を覗く、踏み台になったらいいな今から3年前。
島前高校の寮を退寮する前に、3年間の寮生活の記録を綴りました。 寮ができた頃を知る最後の代に寮長をやらせてもらっていたのだ...と思うと、これからの寮生が過去を知りうる記録を作るのは自分の役割なのではないかと考え

      • 【死んだ父の日展】父親を亡くしたら、父の日に何をしますか?

        天国への想いが集う、父の日のオンライン展示会「死んだ父の日展」を公開しました。この展示会の概要、「父の日ってそもそも何なの?」という問い、そして死んだ父の日展を開催するに至った背景を綴ります。 *死んだ父の日展について・概要 死んだ父の日展は、亡きお父さま宛のメッセージをオンライン上で展示する企画です。
戸籍上の父に限らず、自身が父と認める方を亡くしたご経験をお持ちの方はどなたでもご応募いただけます。
展示されたメッセージは本展示サイトにて閲覧することができます。 展示イ

        • むじょう1期目を終えて

          無事、むじょうの1期目を終えました。 たくさんのお力添えをいただいて、「1年続ける」ということができました。 本当にありがとうございます。 書き出すと長いので、パッと頭に浮かんだ3つの学びを書き残しておきます。 虫の目と鳥の目を使い分ける大学を休学して、睡眠の5時間以外を全て事業につぎ込むという、今までしたことのない時間の使い方をしました。 膨大な知の蓄積を前に絶望しながらも、先人の知を足場に、次の一歩を切り開こうとする営みは、私の性にあっていると気づきました。 最大の学

        2021年9月3日17時より、前田陽汰の生前葬を執り行います。

          葬祭サービス運営者である私が、ご遺族に救われた話

          先日、本当に嬉しいことがありました。 半年程前に葬想式をご利用いただいた方から、メールが届きました。 故人様のお母様から、息子さんが残されたお金をどうするかご家族内で話し合った結果、弊社に寄付をしたいと。。。 実はこの方が1人目の利用者さんでした。プロダクトも至らない点が多々ありました。はじめたばかりということもあり、葬想式に集まった写真をアルバムにする「葬想録」を無料でお作りさせていただいたのですが、それが嬉しかったと、、、 素敵なアルバムまでお作りただき本当にありが

          葬祭サービス運営者である私が、ご遺族に救われた話

          葬式=1 に対して 所属コミュニティ=xx

          一生でいくつのコミュニティに所属しますか? お葬式には生きてきた中で関わってきた人々が参集します。私は「自分のお葬式には誰が来てくれるんだろうな〜」と興味をもってしまうタイプです。きっと棺のなかで「生きてるうちに会いたかったよ!」となっているはずです。その時まで、今の「一般葬」があるかわかりませんが・・・ そんな話はさておき・・・ お葬式は「故人の知人である」という共通点だけをもった見ず知らずの人がいる場です。 お葬式に遺された人々の心の整理をする場という役割を期待した時

          葬式=1 に対して 所属コミュニティ=xx

          2021年MAKER UNIVERSITY U18メンター2年目の気づき

          4年前、自分もMAKERS UNIVERSITY U18に参加していまいした。 島根県の離島の高校に通っていた自分にとって、全国のハミダシがちな高校生が集まるコミュニティとの出会いは今にも大きく影響を与えるものでした。そして昨年、U18の兄貴プログラム、MAKERS UNIVERSITYに参加し、このプログラム期間中に今取り組んでいる葬想式ができました。 昨年から、U18の伴走メンターとして参加させていただき、自分の産みの親であるコミュニティに自分なりの還元の機会をいただけ

          2021年MAKER UNIVERSITY U18メンター2年目の気づき

          死に関わる事業をつくる理由

          「若いのに、なんで死に関する事業をやっているんですか?」 とよく聴かれるので書いておきます。 私は成長を強要する右肩上がり一辺倒・成長至上主義への違和感を持っています。この違和感と向き合った結果、死に関する事業をやることになりました。 なぜ右肩上がり一辺倒・成長至上主義への違和感を抱いたかというと、いわゆる過疎地域に住んでいた経験があるからです。 経済成長していなくて、人間でいう「死」に向かっているようなその地域にも、その地域なりの幸せがあります。 当然、その地域は経済成

          死に関わる事業をつくる理由

          起業家と社会構築主義のジレンマ

          先日、日本は課題ロスになってない?というお話をしました。 何でも「課題だ!」とラベリングすることへの批判を書いています。 第三者に「課題だ!」と言われると、当事者は重大な問題を抱えているような気になってしまいますよね。 学校の先生に「お前は問題児だ、それは悪だ」とラベリングされた生徒はその時に「自分は問題児であって、悪である」と認識します。 これが社会構築主義です。人間関係が現実を作るという考え方で、現実の社会現象や、社会に存在する事実や実態、意味とは、個人の頭の中で作ら

          起業家と社会構築主義のジレンマ

          「お別れを諦めるしかない」という日常を終わらせる

          緊急事態宣言の発表が決定しました。 第一波の時もお葬式をどうしようかとざわついていました。 葬儀の参列者数を制限する、身内だけで執り行うという対応が広がりました。 家族葬・直葬は家族だけで穏やかに見送ることができる、現代にあった選択肢である一方、故人と生前関わりのあった多くの人々のお別れの機会がない、ということも意味します。 再び、コロナの影響でお別れの機会をつくろうにもつくれない、「お別れを諦めるしかない」という日常が始まりつつあります。 私はスマホで偲ぶ会を開式で

          「お別れを諦めるしかない」という日常を終わらせる

          死との対峙にグラデーションを

          「〇〇さん、亡くなったらしいよ」という会話にリアリティはありますか? 一次情報として亡くなったと認識することは可能ですが、そこに実感を持てる人はそう多くはないのではないかと思います。 訃報を受け取り、亡くなった事を知る。 この前まで生きていたあの人のために何故か喪服を着て、車に乗り込む。 式場へ到着すると、見慣れた名前が目に入る。 式場に入り芳名帳を書き香典を渡す。 棺の中を覗くと、知っている人間が亡くなっている。 こういったプロセスを踏んで初めて死を理解することができ

          死との対峙にグラデーションを

          死という「自然」

          死に対して漠然とした恐怖をお持ちの方は少なくないのではないでしょうか。 その恐怖の正体は 人間の力が及ばない自然に対して、分断することで回避してきたが、死という内なる自然はどうしても分断できないから ではないか、という仮説が立ちました。(高橋博之47キャラバンに同行させていただく中で着想を得ました) 私達は不自然の中で生きています。特に都市部で生活する人々は設計士の頭の中で暮らしているようなものです。直線で溢れています。 一方、農山漁村に足を運ぶと、都市部に比べて直

          死という「自然」

          葬想式LPリニューアル!

          こんにちは。 葬想式のLPが新しくなりました! ⇒https://www.sososhiki.jp/ 以前より明るい印象で、フォントも柔らかく、葬想式のイメージをそのままに形にしてくれました。 デザイナー、エンジニアの2人に感謝です。 「無常ルネサンス!!」 とか 「葬想式は葬儀の代替でも簡素化でもなく、葬儀が小規模になる中で失われてしまう役割を補うんだ」 とか 「死が身近でなくなった今、死に触れるハードルを下げ、死を通じて芽生える生きるリアリティを」 とか。。。 デザ

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          葬想式は訃報の定型を変える

          昨今、家族葬が増えています。 コロナの影響でその流れも加速しました。 家族葬で執り行う場合、葬儀の後に訃報をお送りすることも多いです。
 「家族葬 訃報 例文」 で検索すると以下のような例文がいくつか出てきます。 誠に勝手ではございますが 通夜・葬儀につきましては家族葬にて執り行いました ご連絡を差し上げなかったご無礼をどうかお許しください 文中に謝罪の言葉が含まれていますね。 これは 1.報告が遅れた事への謝罪 2.きちんとお別れしたかった相手の気持ちに添えない事

          葬想式は訃報の定型を変える

          「理解できる」は暴力だけど、理解する試みをやめてはいけない

          先日、私が運営している「葬想式」のご利用がありました。 葬想式は、お葬式の思い出コーナーをスマホ上につくりだすサービスです。 私と同い年か1つ下の男性が亡くなり、その方の葬想式でした。 男子学生の多くは、友達と遊びに行った写真を親に送ったりしないと思います。私もそうです。 たまに親から 「〜〜行ったの?写真送って!」 と言われたら送ります。 すると親は喜んでくれます。 今回の葬想式は故人様のお母様が開式されました。総勢120名近くの参列があり、故人様のご友人や知人から

          「理解できる」は暴力だけど、理解する試みをやめてはいけない

          生の側と、死の側

          死が怖い方? 結構いらっしゃるじゃないかと思います。 私の場合は「死に別れること」に漠然とした恐怖があります。 自分の死よりも、身近な他者の死です。 「世は無常である」 と日々言ってますが、他者の死を無常観の中で捉えると、 「その人がいる世界から、いない世界への変化」 とでも言えるでしょうか。 今までこのような解釈をしていたのですが、京都大学の広井良典先生が書かれた「死生観を問い直す」の中で、腑に落ちる解釈を教わったので紹介したいと思います。 それは「生の側」と

          生の側と、死の側