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死との対峙にグラデーションを

「〇〇さん、亡くなったらしいよ」という会話にリアリティはありますか?

一次情報として亡くなったと認識することは可能ですが、そこに実感を持てる人はそう多くはないのではないかと思います。

訃報を受け取り、亡くなった事を知る。
この前まで生きていたあの人のために何故か喪服を着て、車に乗り込む。
式場へ到着すると、見慣れた名前が目に入る。
式場に入り芳名帳を書き香典を渡す。
棺の中を覗くと、知っている人間が亡くなっている。

こういったプロセスを踏んで初めて死を理解することができるのではないでしょうか。

しかし、家族葬や直葬が増えてきた昨今、さらには新型コロナウイルスの影響で参列者数を制限するなど、葬儀の小規模化が進む中で葬儀に参列できる・できないの0か100しか選択肢がない状況に陥っています。

ここにグラデーションをつくれないか、ということで開発したのが葬想式です。

葬想式はスマホで偲ぶ会を開式できるサービスで、LINEやMessengerなどのSNSを通じて故人と生前関わりがあった方を招待することができます。

ご遺族のどなたか、スマホに使い慣れた方に喪主になっていただき、葬想式を開式していただきます。

72時間、葬想式上に思い出の写真をアップしたり故人様宛のメッセージを送る事で、ご遺族・参列者の双方で思い出を共有しあい、故人様を偲ぶ機会をお作りいただけます。
ご遺族がお持ちでない写真が共有されるなど、お葬式の「思い出コーナー」を双方向的にしたシステムです。

葬想式を通じて、

「葬儀にはいけないけど、故人に思いを馳せてメッセージを綴り、写真を振り返って共有できた」

という方が増えるといいなと願っています。

当然、大切な人を亡くされたご遺族の心情は想像が及びもつきません。
一方で、生前関わりのあった方々に一切のお別れの機会がなく、亡くなったかどうかの実感も湧かない、という状況も辛いです。
全くもってお別れの機会がない、という状態から、インターネットを通じたコミュニケーションであれど思いを馳せることができた、という実感を感じていただくことが「死との対峙におけるグラデーション」になりうると思っています。

ご遺族が落ち着いてから、四十九日や一周忌にご利用いただく、という形もいいと思います。

「死と対峙する」ということは人が生きる上で欠かせない瞬間だと考えています。
これは自然を分断した現代において、生老病死という内なる自然にも蓋をしてしまうという流れへの警告でもあります。詳しくはコチラの記事を御覧ください。


今日は葬想式と死の関連について、「死にグラデーションをつくる」という役割を担いうるのはなぜなのか、というお話を綴ってきました。
今日はこのへんで。

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手掛けている事業
・スマホで偲ぶ会を開けるサービス 「葬想式
・家の記憶を記録に 「家史
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お問い合わせ
Twitter:https://twitter.com/zaccoflyman
Email:info@sososhiki.jp



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