2021年9月3日17時より、前田陽汰の生前葬を執り行います。


葬想式でどんな場をつくれるのか、覗いてみたい!というお声をいただいたので、私の生前葬を開いてみました!
9月3日17時〜9月6日17時までアクセスできますので覗いてみてください!
今は亡き(ことにして)私に向け、メッセージを残してくれると嬉しいです。

私の生前葬はこちら
⇒  https://www.sososhiki.jp/event/uzrF9u5f6Ur7A4w3Fxj5

余談ですが、生前葬はとても興味深い営みだなと思っています。

死(ここでは他者の死ではなく自身の死とします)は内なる自然なので自分にはどうすることもできません。
医療や福祉の発展により、生老病死に抗えるようにはなってきましたが、死を完全に克服することはできていません。いずれ嫌でも死ぬことはわかっているのですから、少しでも今の生に活かせたら儲けものと考えても良さそうです。死を生に活用する仮説の1つが、生前葬です。

抽象化すると、他者との関係性の中で自身の生(死)を位置づけてみること。
これは棺桶写真館という棺桶に入れるイベントをやったときに持った仮説です。カップルで来てくださった方に対して、「パートナーさんが本当に死んでしまったと思って、最後話しかけて棺を閉めてください」と弊社の巫女さんが女性に声をかけました。その女性は泣きながら閉めていました。女性にとっては限りなくリアルに他者の死を感じる行為でしょう。男性にとっては、限りなくリアルに自身の死を感じる行為になっていたはずです。
限りなくリアルに自身の死を感じるには、物理的に死にかけるか、他者から死んだとラベリングされるしかないと思います。「自分が死んだら、この人はこんなに悲しむのか」と想像はできてもリアリティは持てないでしょう。そういう意味で、リアル・ガチ・棺桶を用いて他者との関係性の中で自身の生を位置づけてみることを実践するのは、立派な死の活用方法なのではないかと考えます。

これと同じような力を生前葬が持ちうるのではないかと思います。
それはバーチャルだからできることできます。会っていない、実体がないからこそ、死んだこととしやすい。

そもそも、実体のない「あいまいな喪失」が増えています。葬儀にいけない、墓参りにいけない。「〇〇さんが亡くなりました」と耳にするだけ。
生前葬も、それと分別がつかないくらいになってますから、「あいまいな喪失問題」の解決を目指すのも1つですが、その問題を乗りこなして活かしてみよう、くらいの遊び心もあっていいかなと思います。

ということで、3日間、生前葬をやっていますので「あいまいな喪失」を感じつつ、私を弔っていただけると嬉しいです!

追伸:
自分も生前葬やってみたいぞ、という方も是非使ってみてください。
葬想式のサイトから利用登録してもらってOKです!
料金はかからないのでご安心ください。
https://www.sososhiki.jp/

東京近郊にお住まいの方に限られてしまいますが、棺桶に入ってみたい方はこちらのフォームにご登録ください。
https://forms.gle/kdQBqzBy1L7qmeVPA

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