【エッセイ】他人の目を気にしなくなった
最近仕事で
大勢の人の前で話したり
TVに出演したり(地方局)
寸劇をしたり(レア)
することが立て続けにあった。
昔から自分の声にコンプレックスがあって
初対面の人と一対一で話すことすら嫌いな私が
何でこんなことをしないといけないのか。
数年前に初めて
TVに出演した時はとにかく緊張して
何度もNGを出した。
放送を見た先輩からは
目も当てられなかった
との感想をいただいた。
そんなの自分が一番よく分かっている。
こんなに気持ち悪い声なんだし。
こんな体験もう絶対ごめんだ。
*
そう思っていたはずなのに
ちょくちょくそういう機会はやってくる。
そうやって回数を重ねるごとに慣れてきて
少しは見られるようになってきた。
それでもやっぱり人前で話すことは苦手で
事が始まれば動悸が収まらなくなる。
見ている人はきっと心の中で
私のことを笑っている。
気持ち悪い声だとののしっている。
そんなことを考えては辛くなる。
一生この感情からは逃れられない。
そう思っていたけれどどうやら最近
そんな私に変化が訪れたように思う。
*
何がきっかけだったかは
全く分からないのだけれど
ここ最近急に他人の目が
気にならなくなってきたのだ。
誰も私の事なんて見ていない
誰も私の声なんて聞いちゃいない
誰も私になんて興味がない
それに明日にはもう会うことも無いし。
そう思ったら急に
人前で話すことが嫌じゃなくなった。
以前は人前で話すときに
緊張して、声がかすれたり
はっきりした音が出ないことが多々あった。
でも最近は違う。
腹の底から声を出して
はきはきしゃべることが出来る。
よく考えたら以前は謎の被害妄想が原因で
自信なさげに話してしまうことで
変な発声法になって痛々しい感じになってしまっていた。
緊張する→変な声になる→笑われる(気がする)→緊張する
みたいな負のループが出来上がっていた。
相手の頭の中なんて分かるはずもないのに
勝手に自分で決めつけて
勝手に自分で自分を追い詰めていたのだ。
傷つくのも、苦しむのも自分の
頭の中で起こっていること。
考え方を変えれば痛みも苦しみもなくなる。
頭のどこかでようやくそのことに気が付いた。
*
意外と人は寛容で
個性的な人を突然排除しようとしたりなんてしない。
人のやさしさに触れて
何となく自分の存在を肯定できるようになった。
ここにいても良いのだな。
生きていても良いんだな。
急に大きな話になってしまったけれど
それくらい、自分の思考回路は
変化したように思う。
他人からどう思われようと関係ない。
どう思っているかなんてそもそも分からない。
予測できたとしてもそんなの
正しいとは限らない。
私は私のために生きよう。
無駄な妄想をすることはやめにしよう。
*
今日やった寸劇は自分でも
びっくりするくらい緊張しなかった。
別に上手なわけでもないけれど
成功に終わったと言えるだろう。
すごく時間がかかったけど
今私は結構生きやすい。
ゆるりと過ぎていく時間に苦しい事なんて別になくて
あったとしてもさらりと流れて消えてしまう。
自分を苦しめるのは結局、自分自身でしかない。
幸せは与えられるものではなく自分の手でつかむもの。
どこかの誰かが言っていた。
確かにそうだ。
幸せをどうにかしてつかみ取ろう。
ちょっと違うか。
だって
もうすでに私は
結構幸せだ。