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【エッセイ】他人の目を気にしなくなった

最近仕事で
大勢の人の前で話したり
TVに出演したり(地方局)
寸劇をしたり(レア)
することが立て続けにあった。

昔から自分の声にコンプレックスがあって
初対面の人と一対一で話すことすら嫌いな私が
何でこんなことをしないといけないのか。

数年前に初めて
TVに出演した時はとにかく緊張して
何度もNGを出した。

放送を見た先輩からは
目も当てられなかった
との感想をいただいた。

そんなの自分が一番よく分かっている。

こんなに気持ち悪い声なんだし。

こんな体験もう絶対ごめんだ。

そう思っていたはずなのに

ちょくちょくそういう機会はやってくる。

そうやって回数を重ねるごとに慣れてきて
少しは見られるようになってきた。

それでもやっぱり人前で話すことは苦手で
事が始まれば動悸が収まらなくなる。

見ている人はきっと心の中で
私のことを笑っている。

気持ち悪い声だとののしっている。

そんなことを考えては辛くなる。

一生この感情からは逃れられない。

そう思っていたけれどどうやら最近
そんな私に変化が訪れたように思う。

何がきっかけだったかは
全く分からないのだけれど
ここ最近急に他人の目が
気にならなくなってきたのだ。

誰も私の事なんて見ていない

誰も私の声なんて聞いちゃいない

誰も私になんて興味がない

それに明日にはもう会うことも無いし。

そう思ったら急に
人前で話すことが嫌じゃなくなった。

以前は人前で話すときに
緊張して、声がかすれたり
はっきりした音が出ないことが多々あった。

でも最近は違う。

腹の底から声を出して
はきはきしゃべることが出来る。

よく考えたら以前は謎の被害妄想が原因で
自信なさげに話してしまうことで
変な発声法になって痛々しい感じになってしまっていた。

緊張する→変な声になる→笑われる(気がする)→緊張する

みたいな負のループが出来上がっていた。

相手の頭の中なんて分かるはずもないのに
勝手に自分で決めつけて
勝手に自分で自分を追い詰めていたのだ。

傷つくのも、苦しむのも自分の
頭の中で起こっていること。

考え方を変えれば痛みも苦しみもなくなる。

頭のどこかでようやくそのことに気が付いた。

意外と人は寛容で
個性的な人を突然排除しようとしたりなんてしない。

人のやさしさに触れて
何となく自分の存在を肯定できるようになった。

ここにいても良いのだな。

生きていても良いんだな。

急に大きな話になってしまったけれど
それくらい、自分の思考回路は
変化したように思う。

他人からどう思われようと関係ない。

どう思っているかなんてそもそも分からない。

予測できたとしてもそんなの
正しいとは限らない。

私は私のために生きよう。

無駄な妄想をすることはやめにしよう。

今日やった寸劇は自分でも
びっくりするくらい緊張しなかった。

別に上手なわけでもないけれど
成功に終わったと言えるだろう。

すごく時間がかかったけど
今私は結構生きやすい。

ゆるりと過ぎていく時間に苦しい事なんて別になくて
あったとしてもさらりと流れて消えてしまう。

自分を苦しめるのは結局、自分自身でしかない。

幸せは与えられるものではなく自分の手でつかむもの。

どこかの誰かが言っていた。

確かにそうだ。

幸せをどうにかしてつかみ取ろう。

ちょっと違うか。

だって

もうすでに私は

結構幸せだ。


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