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何のための音楽か 2023.06.24

今日もレストランギグだった。帰りの電車でこのnoteを書いている。

今、日本からきている友人らが私のアパートに泊まっている。昨日私は予定があったので行けなかったのだが、彼らはImmanuel Wilkinsを観に行ったらしい。そういえばImmanuelの曲でGrace and Mercyが好きだったことを思い出し、今朝聴いていた。彼はもしかしたら(もしかしなくとも、そんなタイトルをつける時点で勘づくが)敬虔なクリスチャンなのではないかと思いグーグルで検索をかけ、ニューヨークタイムズの興味深い記事を見つけた。結構前のだけど。

この記事では彼の音楽を「黒人霊性」という文脈で語っている。人種差別の悲しい歴史や事件を題材にした曲の説明や、「黒人」としてのチャーチ的な要素をどう落とし込んだか、といったことが語られているが、わたしはそれ以上に彼が演奏することにおいて神を見出そうとしている、という認識を持っていることに興味を持った。

特に興味深かったのが、演奏することだけではなく音楽すること全体において、“ウィルキンスは、音楽制作のプロセスそのものが宗教的な体験だと考えている。「私は、私たちが音楽のための宗教的な器となるための空間を促進するような音楽を書こうとしている-私たちが実際にイエスのための器として行動するように」と彼は2018年にJazz Speaksに語った。”と述べられている部分である。

また、この記事では“Each player has his own religious outlook, but shares Wilkins’s conception of jazz as a conduit for worship.”とも語られている。“礼拝のための導管”としてのジャズというのは、今までもそうした認識があったミュージシャンは特にアメリカでは多いと思うが、そもそも私自身の価値観が変化したため、ものすごく新鮮に響いた。与えられた賜物をどう生かしていくのかというのはクリスチャン全員の人生の使命であるが、音楽することそのものを礼拝として捉えるという考え方は素直に実践してみたいと思える考え方であった。

何のために音楽をするのか、アメリカに来る前はそういった疑問を持ったことすらなかった...…というよりただがむしゃらだった、というべきだろうか。自分自身の価値観の変容に従い、自分の中で向き合うべき命題というものが浮き上がってきていることを感じる。


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