白い洋館の記憶

夢という〈意識下でつづっている創作ノート〉———安部公房氏の短編集「笑う月」のように夢をスナップショットした小品を綴ります。覚えているのは大体悪夢。

古い洋館が目の前に現れた。白を基調とした気品のある、教会のように宗教的な清潔さがある建物だった。建物の中では、美味しそうなご飯が振舞われている。質素ではあるがスープやパンなどの食べものがひとつひとつ美しく並べられており、つられておもわず中に入ってしまった。そこに入ってはならないとわたしは知っていたはずなのに、悲しいかな誘惑には勝てなかった。

中には何人か人がいて、艶のある黒髪をひとつに束ねている、背筋の伸びた女性がリーダーのようだった。建物の中にいた彼らはとても優しく、そしてご飯もこの世のものとは思えないくらい美味しかった。あまり食べすぎると帰れなくなる、ということを既にわたしは知っていたのにお腹いっぱいに食べてしまった。わたしは既に罠にかかった獲物であった。
そして軟禁されることになった。軟禁といっても、この建物に住んでいる彼らと同じように生活をするだけである。やることといえば家事、主に掃除がわたしたちの仕事であった。わたしたちはみな役割を決められて、広い洋館を一生懸命に掃除した。洋館はもののけ屋敷のようなものだったから、しょっちゅう配置が変わって掃除が大変だったのを覚えている。

洋館には犬とウサギがいた。それらは大変可愛がられており、名前こそないものの彼らは洋館の秩序そのものであった。罠によってわたしたちを捕らえ、軟禁したくせに、彼らに気に入られなければ命がないも同然という理不尽な規律があった。洋館にはたくさんの規律があり、わたしたちは規律を守るために生活をしていた。わたしはずっと逃げたくて、苦しくて、毎日ありえないくらい泣いていた。ただその生活もずっとは続かず、怠慢によるものなのか仕事ができなさすぎたからなのかはわからないが、リーダーの女性からも犬からもウサギからも、わたしはなきもののように扱われるようになり、規律のことをとやかく言われなくなった。わたしはウサギからは嫌われ、そして犬からはこの世のものとは思えないようなむごい表情を向けられた。そのため「ああいう子は、操れてしまうから。」と女性のリーダーがわたしについて言及しているのを聞いてしまった。その言葉の真意はわからないが、とにかくわたしはほとんど自由になった。

あとから知ったことだが、ここにいるうちにほとんどの人は心地よさを感じてずっと居座り続けるらしい。清潔で美しい洋館、美味しいパンとスープ、規則を守り続ける平穏な生活はたしかに理想郷のようなものなのかもしれない。

わたしはこのままだと殺されてしまうことを知っていたので、隙を見て逃げ出すことにした。深夜、逃げ出そうと窓の鍵に手をかけると、反射しているリーダーの女性の顔が見えた。彼女はじっとこちらを見ていて暗闇の中でしっかりとは見えなかったが、彼女の目がいつにもまして円らな瞳をしていたように思った。一瞬だけわたしたちは死んだ時間の中にいて、彼女は声をかけることも追いかけることもせず、ただそこにいた。
恐れも不安もなく、わたしはそのまま静かに逃げた。

洋館を振り返ることはなく、ただまっすぐ歩くと古いバスが待っていた。携帯を取り出すといくつか連絡が来ていて、ほとんど友人からの「ひなちゃんもあそこに行ったんだね」という旨のメッセージだった。ある友人は、「みんな経験することだから」と意味深なメッセージを残していた。

わたしは古いバスに乗った。このバスがどこから来たのか、どこに行くのかはわからなかったが、このバスに乗るしか手段はないことだけはわかった。少しずつ空が白みはじめ、夜が明けていく。少しずつ温度を取り戻した身体だけが、ここにわたしが存在しているという証であった。

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