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正欲(朝井リョウ):まともな輪郭と多様性の矛盾

こんにちは。Hinaです。
今日は流行りに少し出遅れて、こちらの本の読書感想文を投稿します。


もう既に読まれた方も多いかもしれません。
内容を正確に要約する自信がないのと、まだ読んでいない方に「読んでみたい!」と思っていただけるよう、あくまでも感想にとどめさせていただきます📕
既に読んだ方は、自分が抱いた感想と私の感想との差異を感じてみてください。
コメントでご意見をシェアしていただけると嬉しいです。

この本のテーマは”多様性”とされています。
多様性という言葉から、どのような印象を受けますか?

”あらゆる信条を受け入れる、前向きな風潮”
”みんな違ってみんな良い”

私はこのように、どちらかというとポジティブな、色で言うとパステルカラーのような明るい色、温度で言うと温かみのある感覚を想像します。

しかしこの本を読んでからは、その感覚は本当の多様性ではなく、見せかけだったのだと感じてしまいます。

◇本について簡単に説明

自分が想像できる”多様性”だけ礼賛して、秩序整えた気になって、そりゃ気持ちいいよな――。息子が不登校になった検事・啓喜。初めての恋に気づく女子大生・八重子。ひとつの秘密を抱える契約社員・夏月。ある事故死をきっかけに、それぞれの人生が重なり始める。だがその繫がりは、”多様性を尊重する時代"にとって、ひどく不都合なものだった。読む前の自分には戻れない、気迫の長編小説。

https://www.amazon.co.jp/正欲-新潮文庫-78-3-朝井-リョウ/

Amazonの商品紹介ページより、引用しました。
タイトルの読みからも想像できますが、この本の登場人物は一般的ではない”性欲”を持っています。
それは例えば足フェチや香りフェチ、腕フェチ、幼児愛などではありません。
もっと一般的ではない感覚、それは対象が人ではなく、蛇口から出る水だとか、膨らむ風船だとか、その感覚を持っていない人からすれば「なんで??」と思えるようなものが、欲求の対象なのです。

この本のポイントは、その感覚を彼ら自身は”受け入れて”いますが、”社会に受け入れてもらうこと”は全く期待をしていないという点にあります。
「自分が持つ”この”感覚は、社会では受け入れられない」
つまり、”多様性の範疇を超えている”と思っています。

本の中に何度も出てくる、あるセリフが印象的です。

「でも、キチガイは迷惑じゃなぁ」

この言葉に、多様性の矛盾が全て詰まっていると思うのです。

”色々な感覚を持つ人がいることは素晴らしい!”
”色々な考えを受け入れる社会にしよう!”

そんなことを言いながら、ある一定のラインを超えた信条を持つ人のことは受け入れない。
多様性の範疇を超えた信条や感覚を抱えた人は、多様性が広まった今の社会でも常にマイノリティです。

だからこそこの本に出てくる彼らは、”多様性=自分に正直に生きる社会”の方程式が成り立ちません。
自分たちが”キチガイ”に分類されるとわかっているからです。

◇自分の世界の輪郭を見る

前項の冒頭に「一般的な性欲」という表現をしました。
でも、一般的ってなんでしょうか?
一般的な範囲に明確な輪郭があるわけではないのに、私たちは「一般的に考えて、これは間違ってるよね。」等、ある程度共通の”一般的な範囲”の認識を持ち合わせています。

本の中で、主人公(夏月)の同級生が、酔っ払った状態で海に飛び込んで亡くなってしまった事件がありました。
その事件について、夏月と、もう一人の”一般的ではない性欲”を持つ友人が話をするシーンもまた印象的です。

自分がそういう人間だって疑わないんだよ、あいつは。

もし俺が蛇口や水に興奮するって言ってたら、あいつは飛び込まなかったかもな。自分の考えなんか全然及ばない世界があるって事、あいつももっと認識できたんじゃないかなとか思うんだよ。

正欲(朝井リョウ)

ノリが良く、みんなを引っ張るリーダータイプだった同級生が調子に乗って海に飛び込んだ。
それに対して「自分がそういう人間だって疑わない」という言葉。
自分の考えには及ばない世界があると、知らずにいること。

これこそが、”一般的な範囲”の中で生きている人と、そうでない人の境界なのだと思います。

”まとも”には輪郭がありません。
それでも、この世の中の多くの人がある程度同じ内容で”まとも”を理解しています。
「いろんな人がいるのはわかるけど、そこを超えたら犯罪だよね」
「流石にそれはダメでしょ」
など、多様性と言いながら”社会的に超えてはいけない範囲”があるのが現実なのではないでしょうか。

ここで一つ問いかけです。
みなさんには、マイノリティになり得る感覚はありますか?
この本で出てくる”変わった”性欲のように、自覚しているけれど社会的に受け入れられない気がするから心の中にしまっている。
そんな感覚はありますか?

それとも、常に多数派ですか?

多数派であるということに安住し、自分という個体について考える機会に恵まれないのは、一つの不幸でもあるのかもしれない。

正欲(朝井リョウ)

多数派だと、自分が持つ感覚を疑いません。
何もしなくても周りが受け止めてくれ、あえて疑う必要がないからです。
しかし少数派な感覚がある場合、”この感覚はおかしいのかな””この感覚を持って生きるためにはどうしたらいいか?”と、自分の感覚を疑ったり、扱い方を考えたり必要があります。

小さなことですが、私がこのnoteで発信している内容は、どちらかといえば少数派になるのではないかと思っています。
職場や利用者支援に対して抱く疑問や思考を、同じ職場で働く人とうまく共有することができずにいました。
「私のこの考えは、ここの人たちの持つ意見とは違う。この中では、私は少数派だ。」
そう気付き、この職場内での少数派になってしまった私の感覚の表出先として、noteを書いています。

少数派になったからこそ、多数派の意見もそうではない人の考えも”わかる”ようになったのです。

◇正欲とは何か

最後に、東畑開人さんが解説として書かれた文章を紹介します。
(中略していたりと、そのままの文章ではないので引用リンクは使用しません)

解説を書くにあたり、東畑さんは「どの言葉を使えばいいのか気になって怖い」と語っています。
「できれば誰も傷つけず、自分も傷つかない言葉が欲しい」
つまり、「正しくいたいという正欲にまみれている」と表現されています。

多数派になることの安心とは、この”正しくいたい”感覚と深い繋がりがあるのだと思います。
輪郭が曖昧な”正しい””まとも””一般的”という感覚の中に自分の身を置いておきたい。
そのような欲が、誰しもあるのではないでしょうか。

多様性が広まる世の中において、昔よりも多数派になり得る人の種類が増えたと感じています。
かつては少数派だった人が、多数派になり得る時代が来ている。
それと同時に、それでもまだ多数派になれない人がいて、その人が多数派になると社会の秩序が乱れる可能性がある。

そんな”多様性の矛盾”に気づかせてくれる本でした。
多様な人を受け入れることはできなくても、まずは一歩”自分が知る多様性を大きく超えた人がいること”を、少しでも多くの人に知ってもらいたい。

そう思いました。

長く、少し重くなりました。
では、また🌻

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