見出し画像

きっと私は解放されたのだと思う

母の四十九日の法要と開眼供養、納骨を終えた。

納骨の予約の際に「開眼供養(かいげんくよう)が必要なのでワンカップのお酒と一握りの塩と研いだお米を持ってきてください」と墓地の担当者より言われ「開眼供養」が一体なんなのかわからずに確認したところ「その墓地に初めて遺骨が納められる際に行う供養のことです」と言われ納得した。両親は自身のお墓を予め準備していたが、母が亡くなり今回始めてそのお墓を本当の意味での「お墓」にするということなのだろう。

納骨の朝、家に置いていた遺骨や位牌や写真、墓地の承認書、お布施や埋葬料などのお金とそして開眼供養のためのワンカップのお酒と一握りの塩と研いだお米を準備した。遺骨はとても重かった。でもこんなに重いものだっただろうか。亡くなってからの二週間は救急車で運ばれる前の症状、救急車で心肺停止と言われたこと、病室に入ってからのモニターの音を思い出しては混乱することもあったがそれ以降は日常に戻り10数年忘れていた「自由」な感覚を思い出し始めていた。もしかすると私の「自由」を寂しく感じた母の思いが遺骨に乗ったのではないかと思った。

信仰している宗教は特になかったため、墓地のすぐそばにあるお寺さんにお願いをした。四十九日の法要の際に「お経を一緒に唱えてください」と言われたため椅子に置いてあったお経の本を広げ、聞こえてくるお経に合わせ声を出して唱えた。意味はわからなかったが何となく心の中で絡み合った糸がほぐれたような感じがした。現世に残っている私たちに対しても大切な教えなのだろう。

その後お墓の前で開眼供養と納骨を行った。午前中であったが夏の暑さで倒れそうになりながらも無事に終わり、亡くなってからの色々なことがようやくひと段落した。

ようやく解放された。

言葉は悪いかもしれないがそんな思いだった。だからといって母を忘れたいわけではなくむしろ母が感じていた幸せや晩年の苦悩により今の私があるということは心の中にしっかり刻んでおきたい。母から逃げていた私はそうしなくてはいけないという義務感が合ったが、なにも気負わず思い出として心に残せばいいのかもしれない。晩年の母のことを思うと複雑な思いがある。それでもいつかは素直にありがとうといえる日が戻ってくるのではないかと思う。