見出し画像

母と病気と私の関係、そして夏休み

この夏休みはいつもの夏とは異なる。ウイルス感染拡大に伴う自粛もあるが、自分の中でもいろいろな思いで過ごしている。

母は15年くらい前からパーキンソン病という難病指定された病気にかかっている。普通の人と比べると脳の中に生成されるドーパミンが少ないというものである。ドーパミンは快感や多幸感を得る、意欲を作ったり感じたりする、運動調節に関連するといった機能を担う脳内ホルモンの一つであり、そのホルモンが少ないことは生きていく上で大きな障害となる。ただし、病名は多分知られていると思うが実際にどんな症状がでるかというのはたぶん一緒に過ごしている人でないと理解が難しいものではないかと思う。体の震えから始まり身体機能が衰え、病気が進行していくと薬がなければ起きることも歩くこともできない状況にまでなる。それは表面の運動機能だけではなく例えば喉の機能なども衰え、呼吸することすら苦しい状況になる。

基本的には薬との相性がよければ、効いている時間はほぼ普通の人と見分けがつかないが、薬の相性を見極めるのに時間がかかる。体の動きは良くなってもその副作用のほうが問題となるなど、この相性をうまく見極められず苦しんだ時期があった。と過去形としたが、今もその時ほどではないものの苦悩している。

パーキンソン病の治療薬は不足しているドーパミンを補充するものや放出を促進するものが主であるが、それが作用しすぎたりとうまくいかないと幻想を見ることがある。具体的に言うと「悪口を言っている」「誰かが家に入り込んで家を乗っ取る」というような被害妄想、心の中にある怒りや不満、不安といった負の潜在感情やもともと持っている性格のようなものが全てオブラート無しで現れる。パーキンソン病そのものよりも、この薬の副作用に家族は悩まされることが多い。

私の部屋に来ては棒を振り回すことがあった。妄想の中で悪口を言っていた人の家を訪ねて散々文句を言いに言ったり、また誰かが家の中にいるなどと警察に電話をしたことがあった。それが病気や薬の副作用であることは、頭では理解しているが、日々突きつけられることで大切な家族と思えず、時には殺意すら感じることがあった。

この病気は治ることはない。もちろん将来的にはもしかすると薬や手術により完治できるようになるかもしれないが、少なくとも現在は投薬と動かすなどのリハビリによる治療しかない。今の薬の組み合わせは比較的長い期間安定していたが、最近では持続時間が短くなりしかも幻想を見るようになった。二律背反なのだろうか。薬を変えることはかなりリスクが高いが、変えなければ今より良くなることはない。

そういったことを含め、先を見据えて考えなくてはいけない時期がきている。薬が効いている時間帯は比較的元気なことがあり、認定結果がどうなるのかわからないが、家族だけで解決することがが難しくなるのはそう遠くないと思っている。

自治体の介護制度を改めて確認し要介護認定申請書を提出した。申請にはマイナンバーが必要である。マイナンバーカードは作ってないので以前送付された通知書があるはずだが、どこにあるかわからないという。取り急ぎ住民票の写しを取得すればマイナンバーが確認できるが、母とは世帯を別にしているため取得するのに委任状が必要で、また委任状を持って申請したとしても、マイナンバーが記載されている場合はその場で受け取ることができず郵送のみになる。結局は一度家に戻り母が調子が良いのを確認し、父を連れ出し役所に行き父名義で住民票の写しを取得しその足で介護認定申請書を提出した。

そんな手続きのことすら知らなかったことに愕然とした。結局私は母と向き合っていなかったのだろう。できる限りのことはしていたつもりだったが、何もわかっていなかった。そのことに母が気付きその寂しさや怒りの感情が幻想として表に出たのかもしれない。私と母との関係は戦うという言葉が一番しっくりしている。しかし決して戦いたいわけではなくただお互いに穏やかに過ごせればそれでいい。

向き合うことは難しいかもしれない。
ただ、もう少し寄り添ってみようと思う。

この夏休みはそのための日々とする。