中級者向け 物語構造のパート別組み合わせバリエーション「禁止」と「違反」 クリエイターの為の批評コラム

前回はこちら。

物語構造論を利用しても面白い物語にならない、という説をどう覆すか、という批評的目的がありつつ、面白い物語に見られるパターンを知り使いこなす方法について書いていく方向性が見えてきた連続コラム。今回は「禁止」と「違反」です。

これまで大体「逆行する感じ」があると物語らしくなる、というヴィクトル・シクロフスキーの成果を用いてきたのですが、今回は持ち出すまでもなく逆行しています。「やっちゃダメ」「けどやっちゃう」というパターン。ウラジーミル・プロップの「31の機能」にあるこれらは、プロップの示した構造通りの順序で使用するとその大本であるロシアの魔法民話っぽくなるという(現代日本で面白い物語を作るには)欠陥があるのですが、部分部分で使える機能をユニット化し、入れ替えたり組み合わせたり順序を違えながら同じユニットを複数回使用するなどの応用を利かせる事で実用的な方法として確立出来ると思います。

「物語の構造」は決して創作に役立たないものなのではなく、むしろきちんと役立たせる発想を加えていけば今まで以上に面白い物語を作りやすく出来る。そういう観点から書いています(専門的には「物語工学論」辺りの系譜を意識していますが、ま、それはそれ)。

で、「禁止」と「違反」ですが、このユニットの使い方は世界観が前提となります。「禁止」とは何による禁止なのか。社会のルール、近代国家の法律、近未来ハッカーの共通ルール、神の律法、王命、教会の規則、校則、軍規、村の掟、親の言いつけ、空気、不文律、等など。何らかの場や組織、国境等の区切りがその効力を発揮する領域を定め、その場の倫理観やルールの根源(何の為のルールか)があるものです。特殊な世界観、特殊なルールであれば、それが物語をドライブする「謎」となるでしょう。

実際に使われる段になると、何も知らない人物が先に「違反」してから「禁止」を知り、拘束されてから「何故禁止されているのか」を疑う、という手順や、初めからルールを守る気がないキャラクターが無鉄砲な行動をしてあっさり御用、という展開をよく見掛けます。キャラクターに「物語らしさを生む要素」を埋め込む、という発想は以前にも示しましたが、「ルールを破りそうなキャラクター」を作る事も同様の発想から得られる方法と言えるでしょう。ルールを遵守しそうなキャラクターには状況を整えるとか、ルール以上に大切なものを用意して、ルールを破らせましょう。

中級者では「物語らしくする」際に「物語らしさを感じる基本要素」の全てを使い慣れ、長篇の中で形を変えて何度も使えるくらいになる事を意識するのが大事かなと思います。ワンパターンにならないように、しかし捻り過ぎて物語らしくない物にならないように、鑑賞者を飽きさせない多様なツールの複雑な組み合わせに徐々に慣れていくのがいいんじゃないでしょうか。

具体例としては、ラッキースケベです。何か大変な事が起こっていたりして主人公の男性が焦って行動する状況を作り、結果いやらしい事になる。いやらしい事を唐突に行うのは社会倫理的に注記するまでもなく「禁止」されていると鑑賞者に了解されているので説明は不要。でもいやらしい事になるので「違反」します。大概この後はビンタを喰らうとかで「処罰」のフェイズがあり、嫌われる・嫌がられる・苦手意識を持たれる等の「欠落」が生じ、それをどうにかする(それがどうにかなる)ステップに移るでしょう。

どうにかなるには、「欠落」に対する「回復」、つまり何か現状を変える為のものを導入する事です。事情を説明するとか、目撃者や証人が現れるとか。それで「処罰」(ビンタ)がやり過ぎだったと彼女が思えば、「回復」は以前以上の関係構築(フラグ、もしくは好感度UP)に進展します(物語の構造の最後は大体「新秩序」によって元居た世界が変革されるものです。「31の機能」で言えば「結婚、もしくは即位」ですね)。仲直りというのも「嫌う→元通り」という逆行ですし、また「違反」(時に加害と見做されるそれ)の理由も「それ以上の酷い加害から守る為」(命に関わる場合さえある)であれば逆行です。助けてくれた事には感謝するけど、いやらしい事をした事への怒りはそれとは別、というのもまた逆行。

かように「逆行する感じ」は物語らしさの随所に見られる特徴な訳ですが、「禁止」と「違反」のユニットそのものに逆行するとも言えるユニットがありまして、それは「難題」と「解決」になります。

以前逆行の具体例として「仕事がない(金が欲しい)」「でも働きたくない」という例を挙げましたが、これが『カイジ』になると実際に何が描かれるか。「難題」と「解決」です。『カイジ』の作品世界は「禁止」を「違反」すると情け容赦ない「処罰」によってとんでもなく酷い目に合わされます。世界観によっては「違反」が齎すものを「回復」可能な「欠落」ではなく取り返しがつかないもの(死や烙印等、何かしら解消不能のもの)と設定する事で「禁止」→「違反」で物語を展開するのではなく「難題」→「解決」で鑑賞者を牽引する物語世界が構築されるでしょう。「難題」の「解決」はその通り難しい、とてもできそうもない物事をやり遂げてしまうとか解いてしまう事なので、「まず無理」「なのに出来る」という逆行がありますね。

先に名を挙げたシクロフスキーは「逆行する感じ」とは別に、「まず最初、虚偽の認識がなされ、そのあとで真相が解明される」というところから「完結性」が発生していると言います。ストーリーテリングとして、物事に対して間違った認識を先に与え、あとで真相を明らかにする、と書き直すとありきたりなようですが探偵物や刑事物が如何に物語的であるかが分かろうというものです。ラッキースケベでも構造的には同様だというのが意外なのかどうなのか。いや虚偽でも間違いでもないか、いやらしい事になっちゃったのはなっちゃってるんだから。

ともあれ「逆行する感じ」にせよ「虚偽の認識」→「真相の解明」にせよ、意外性がある事には違いなく、よく言われるような「意外性がポイント」という内容は間違ってはいません。次のステップで引っ掛かってしまうのはどのように具体化するか。つまり意外性を演出する方法論なので、このコラムではそこを反復的にやっていこうかなと思っています。

手を替え品を替え意外さで鑑賞者を惹きつけ続けるには、沢山の方法を知る必要があって、その為に沢山の方法について具体的に書こうという訳です。

さて、ここまでで「逆行する感じ」、「虚偽の認識」→「真相の解明」、「難題」→「解決」、というトピックが出ました。前2者は物語らしさという印象を齎す要因の抽象的な表現ですが、最後のはもう少し具体的な物語構造ユニットで、作中で使用する場合には具体的な障害と説得力のある解決策が効果的に示されねばなりません。「難題」→「解決」は上手くいけば盛り上がる方法ですが、難しい課題を自ら設定し自ら解かねばならないという困難と抱き合わせです。こうした困難は「虚偽の認識」→「真相の解明」においても(つまり探偵物や刑事物を作るケースで常に)、また「逆行する感じ」をキャラクターの持つ要素、キャラクター性として埋め込む方法を使いこなし習熟する中にも、同様にあります。

端的に言うと、頭が良くなければ面白い物語は作り続ける事ができません。少なくとも勉強は常に必要で、教養が求められるものです(「禁止」について理解する為にルールを、倫理を知る為には、文化、宗教、共同体、国家、封建、近代、現代の倫理、社会、哲学、思想を学ぶ状況に是非もなく追い込まれます)。

逆行を意識して使いこなす演習的創作だけでなく、自分の記憶や好きな作品から「虚偽の認識」→「真相の解明」のパターンを見つけて創作の下地にするのみならず、古典や名作を漁りまくって血肉に変える事が必ず力になるでしょう。と、この場では指摘するに留めておきます。

面白い物語を作り続ける為のスピード・パワー・テクニック・バイタリティ・タフネス・アイディアをどうやって調達するか。これからも書き続けていこうと思います。

続きます(次は多分キャラクターの「葛藤」の話)。



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