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「趣味:観戦」 かもしれん

お腹の中にいるときから、Jリーグの観戦に連れられていた。
幼い頃の生活ルーティンの中にはサッカーがあり、スポーツを応援することが生活の中にあった。

そうなるともちろん、将来の夢に「サッカー選手」と書く時期も来る。わたしの場合は短かったけど、そういう時期もあった。ただ、運動が嫌いだったのでスポーツ少年団に入るみたいなこともなく、サッカー選手を本気で目指すことはなかった。
(当時の女子サッカーはそんなに知名度も人気もなく、まさか世界一になるとは誰も想像していなかった)

そのあともスタジアム観戦には足を運ぶことはやめなかったし、いまでもサッカーを見るのは面白いと思う。スポーツの中で見ていて面白いのは27年間ずっと「サッカー」だ。

水泳をならったり、一輪車を自分で練習してできるようになったりしたけれど、結局プレイヤー側でなにかにハマることはなかった。

そして20代に入ってから急に麻雀にハマった。
とても「イマ」っぽく、Mリーグ観戦から麻雀にハマったわたしは、手で山を積んだりなんとなく点数計算をしたりはできるようになった。
スポーツ観戦が自分の心にもたらす影響についても再解釈を重ね、幼い頃のサッカー観戦は心を育ててくれたな、と思う。

さらに最近、FPSゲームの国内外大会を観戦するようになった。
ずっと「一人称視点は酔う」と避け続けてきたFPSゲームの観戦だったが、ハマったVtuberが偶然低感度設定のため酔うことがなく、ゲーム自体の面白さにハマっていった。
なにより、好きな人を応援して、その勝敗に喜んだり悔しがったりするその構造がやっぱり面白かった。
業界もプレイヤーも若い世界だからまだ色々あるけど、試合はやっぱり面白い。
麻雀なんかより実力が勝敗を分ける「スポーツ」としてのゲーム。
自分とチームのプライドを背負って努力して、貪欲に勝ちを目指す姿がかっこいい。

あと単純にValorantは点の入り方がサッカーに似ているのでハマったという説がある。1点ずつしか入らなくて、野球で言う満塁ホームラン、麻雀でいうオーラス役満ツモみたいな逆転がない。3-11の負け側の空気って、こう、人間が出るからいい。サッカーの後半37分2-3負け側、みたいな。理論上返せなくはない状況こそがスポーツだよな、って、まあずっとサッカー見てるから思ってる。

そうなんだよね。
どれもみるけどやらないんだよあんまり。

麻雀はプレイに結局ハマれなかった。誘われたらもちろんやるし、家に人を呼んで三人麻雀で遊ぶこともある。友達も増えるし、遊べば人間性が透けて見えるからそのあとのご飯や飲みも楽しくなる。でもどうやったらもっと強くなるか、みたいな研究をすることはないし、コンスタントに雀荘に行こう、みたいなことにはならなかった。
4〜5年麻雀見てるとは思えないくらい下手くそである。

FPSだって見てるだけで自分でやろうとはミリも思わない。
なんかこう…頭悪いから向いてないしたぶん…
あと人生にゲームがなかったので自分でやるという発想があんまりない。

もうこれは「観戦」が好きなのだと思う。
物事を立体的に認知するのが苦手な自分にとって、俯瞰でコートを見るサッカーも、河を真上から見る麻雀の神視点も、プレイヤー全てが映ったミニマップを見ながら観戦できるFPSの本配信も、ゲームの理解を高めて面白くなってくる。ほんとに、見て応援するのが好きなのだと思う。

演劇だって演技はしなかったし、仕事だってプレイヤーというよりは俯瞰して状況を整理し、陰から支える業務がおもろい。「見てたら自分でもやりたくなった」のはバンドだけで、極めることなく”場を作るおもしろさ”に魅入られた。

多分、ずっとこういう人生なんだろうな。

いただいたサポートでココアを飲みながら、また新しい文章を書きたいと思います。