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勝負事を応援する気持ちのふしぎ

応援しているVTuberは、主にFPSゲームで活躍している。
11月にはVTuber最協決定戦(V最)があり、その前週のCRcup込みで2週間、ずっと配信を見てその勝負の行方を追ってきた。
合間にもちろんMリーグのレギュラーシーズンが開催されていて、雀王決定戦なんかもあった。どれもこれも、応援している人たちは「いちばん」にあと少し手が届かないところで敗れていった。応援しているだけなのに、ずっとめちゃくちゃ悔しかった。

そんな2週間が過ぎ去った後、久々に神田なんしゅう家でMリーグ観戦飲みをした。

なんしゅう家で見るオーラス全員集合は面白い。
(※全員集合:オーラスの段階で持ち点が全員2万点台の状況のこと。日吉辰哉プロのオリジナルの用法で麻雀用語ではない)
全員が1000点ないしはテンパイを目指して、ドラの發には見向きもせずタンヤオもしくは門前方向で手を作っていく。こういう時に限ってドラが字牌なの、笑えるよね。

なんしゅう家では、その場にいる全員が箸を置き、選手の一つ一つの選択に色々な声をあげる。それが喜びだったり、野次だったり。実際に自分の目の前に、相手チームを応援している人がいるから、相手の選択が自分の利になったときに小さく喜ぶのも面白い。選手とそのファンに最大のリスペクトを示しながら、大きな声で応援するその瞬間はアツく、とても面白かった。

結果的には、自分が応援するチームがデイリーダブルを決めるという、自分にとっては楽しい1日だったわけだが、隣のテーブルの人はとても悔しそうだった。でも、最後に「うるさくしてすみませんでした〜!」「いえいえとんでもないです、お疲れ様でした!」「またどこかで!」「おめでとうございました!」「いや〜ありがとうございます!」なんて言葉を交わしながら帰っていく。全員が「Mリーグ」という公約数を持っていて、全員が熱くなって応援する。

競技を応援するというのはふしぎだ。
以前にもnoteに書いたことがあるが

自分にとって、勝負事を応援するのはあまりにも日常茶飯事だった。
定期的に応援しているチームの応援活動を行い、勝ち負けでその後のテンションが決まる、そんな日々は当たり前だった。

だけど、大人になって麻雀やFPSゲームを応援することを自分の意志で選んでからふと思う。競技を応援するって、とってもふしぎだ。

自分の努力ではその結果は何も変わらない。自分ができることは応援で、結果は全て選手たちによってもたらされるもの。応援が力になる、というのは嘘ではないんだろうけれど、自分達ができることは「応援まで」なのだ。なのにこんなに嬉しくなったり、楽しくなったり、涙を流すほど悔しくなったりするのは、なぜなんだろう。

でも、自分以外の誰かの勝敗を応援することでしか得られない心の動きがある。これはとっても尊い。心をたくさん動かして、自分だけでは味わえない喜びや悲しみや悔しさや楽しさを感じることが人生だから、そういうことは必要なんだと思う。

それに、自分が幼い頃「吹奏楽」という謎の勝負事の世界にいたことも影響しているんだろうな。評価はいつも主観と相対で、本来勝ち負けではないもので競っていた。その中で、ずっと勝ちに貪欲だった。イカれた小学生だったよね。

コミュニティも広がるし、心の動きは脳にいい刺激になるし、
これからもずっと、何かを応援して心をたくさん動かしていきたいな。

いただいたサポートでココアを飲みながら、また新しい文章を書きたいと思います。