見出し画像

Mリーグを通して「スポーツ観戦」を再解釈する話

「日本代表がどうやらドイツに勝ちそうだ」とTwitterで知り、焦ってアベマをつけたら最後のフリーキック取られたタイミングでした。笛鳴るの遅くて3日分の手汗かいた。

こんばんは。

生まれる前から浦和レッズサポーターだったわたしにとって、サッカーを見るのは日常の行為のほんの一部で、当たり前のことでした。

週末は3人で埼玉スタジアム(か駒場スタジアム)にでかけ、サッカーを観戦。シーズンチケットなので近くの席の人はみんな顔見知りで、近くの席の人に育てられたといっても過言ではありません。

レッズのサポーターは気性が荒いことで有名だけれど、みんな子供には優しいんだよ。

サッカーがテレビのチャンネル争いの上位なので、アウェイの日も当たり前のように試合を家で見ていました。
いろんな人の引退、優勝、悔しい負け、いろんなシーンをこの目で見てきたのです。(あんまり覚えてないけど)

そんなわたしにとって、勝ち負けのあるものを定期的に見て一喜一憂したり、地元が盛り上がったり(隣の駅の通りで発煙等が焚かれたり)するのは特別なことではありませんでした。

本当に当たり前のことだったんです。

だから、日本代表の試合を見るのも当たり前だったし、応援するのも当たり前だったし、W杯ってやたらと盛り上がるなあ、くらいの感じだったんです。

スポーツ観戦の魅力とか、それが人に何をもたらしているのか、みたいなことは考えたことすらありませんでした。

そんなわたしが、親の影響を受けずに好きになった「競技」が麻雀でした。

Mリーグが麻雀の入り口だったわたしにとって、チーム戦の魅力に気づいたのはずっとあとなのですが、改めて「試合を観戦する」という日常について考えるきっかけになりました。

応援している人がいて、その人が所属しているチームがあって、勝ったり、負けたりする。
それをみて、自分の心も大きく動く。
とっても嬉しかったり、とっても悔しかったりする。

これがこんなに人生を豊かにするなんて、知りませんでした。

「観戦」で得られる感情は、「観戦」でしか得られないのだなあと強く感じました。

そして11月23日、W杯日本vsドイツ。
日本や日本国民が本当にどう予想していたかはおいておいたとして、ドイツとドイツ国民は絶対に勝つと思っていただろう試合に、日本が勝った。

普段サッカーを見ない人も、
サッカーが大好きな人も、
スポーツ全体が大好きな人も、
ただ大騒ぎするのが好きな人も、
みんなが深夜に大きな声で雄叫びをあげて、
大きなガッツポーズをした夜がありました。

そうか、これがスポーツなのか。
これがスポーツを観戦するということなのか。
本当は25年間そばにあって、ずっと自分の心を育ててくれていたはずの感情にようやく気づいたような気がしました。


小学校1年生くらいの時、頑張って起きて見たオリンピックの開会式。
小学校6年生のとき、先生が好きでこっそり教室のテレビで見たwbcの決勝。
中学校3年生の時、魅了されて高校入試の推薦文にも書いた、オリンピック開会式のHey Jude。

どれもこれも、私の心を育ててくれた瞬間だったのです。

いろんなことをメタく考えてしまう私が、ずっとメタになれなかったスポーツ観戦。気づいた時には、浦和レッズとそのサポーターに感謝の気持ちでいっぱいになりました。

わたしはあなたたちのおかげで、元気に25歳になりました。

いただいたサポートでココアを飲みながら、また新しい文章を書きたいと思います。