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インタビューその8:「人が好き」を極めたら、人の人生をつくり出すようになった人

イラストレーター・取材&コラムニスト・陽菜ひなひよ子です。

今回の記事はインタビュー企画です。わたしのまわりにいる「クリエイティブな活動をしている人」に「仕事や創作」について赤裸々にきき、その人の「クリエイティブのタネ」を見つけよう!という企画の第8回

今までのインタビューは、↓コチラ↓でごらんになれます。

今回お話を伺ったのは、キャリアコンサルタントの柴田朋子さん。

柴田さんの略歴など。

柴田朋子しばたともこ
JUNOユーノー代表 キャリアコンサルタント。1961年、秋田市生まれ。
1984年、南山大学文学部独文学科卒業。
同年、(株)リクルート入社。求人情報誌の編集担当。
2000年、瀬戸市役所(愛知県)に中途入社。キャリア教育、商業振興、社会起業創出事業などに携わる。
2013年、キャリアコンサルタントとして独立。

わたしが柴田さんを知ったのは、ズバリ2014年11月のこの記事です。

アメブロだけで2400もの「いいね」がついているこの記事の「バズり方」は尋常じゃなかったようで、わたしの元にもFacebookでシェアされてきました。

最初はてっきり、柴田さんは東京の人だと思ったのですが、何かのきっかけで同じ愛知県在住の方だと知り、ものすごくお会いしたくなったんです。

コンサルに参加しようかどうしようか迷ううちに、結局、共通の知人に誘われた飲み会でお会いすることに。ホント、ナゴヤって狭いです。

その頃のことは、この記事に詳しく書かれています。

キャリアコンサルタントってどんなお仕事?


――――最初に柴田さんのお仕事内容について伺いたいと思います。キャリアコンサルタント(以下キャリコン)って具体的にはどんなことをするお仕事なのでしょうか?

柴田:一般的には、就職相談、転職相談をイメージしてもらうとわかりやすいと思います。ハローワークとか転職エージェント、大学などにいて、「仕事どうしよう?」と思った人が相談するような。

今は厚生労働省がキャリコンを増やそうと頑張ってます。企業の人事や、部下のいる人に有資格者を増やして、今後は従業員個人の悩みだけではなく、組織全体の人材育成課題にも取り組む人を増やしていこうという方向に動いているんですね。

――――なるほど、全体を見ることのできる人材育成を行っていこうという事ですね。いい試みですね。


柴田:キャリコンって勉強する領域はかなり広いんですよ。心理学・労働・社会・マネジメント、それからカウンセリング。最近では本人や部下が発達障害であるとか、うつなどのメンタルヘルスの問題なども増えています。

――――業務も想像以上に幅広いんですね。

柴田:キャリコンの業務は、弁護士などと同じで、人によって得意分野が分かれますね。研修講師メインの人もいれば、人生の岐路や人間関係、独立や離婚問題まで相談に乗る人など、わたしの場合はあれもこれも雑多にやってる、って感じかな。

――――まさに「悩んだ時は柴田さんに聞け!」というイメージです。それにしても離婚問題までとは。

柴田:2人目の子どもどうする?なんて相談もされますよ。

――――確かにキャリア形成に結婚(離婚)や子どもの問題は欠かせませんね。いつするか?いつ生むか?は重要ですよね。


「幸せな人生をつくる」クリエイター

柴田:メンタルヘルスの問題では、うつなどは、もちろん精神科のお医者さんにかかります。でも、治ったと診断されても、万全の状態で仕事に復帰できるかといえばそうじゃないですよね。

でも会社からは「治ったんでしょ」と通常通りの業務を命じられてしまう。そういった「医療からはみ出すスキマのようなとき」こそ、キャリコンの出番なんです。病み上がりの人がどれくらいの業務量から復帰するかという着地点を考えます。

そうじゃないと、復帰してもまた再発してしまうケースが多いんです。

――――知人のうつの人で、復帰してから再発してしまった人、いますよ。そういう人を支えてあげられたらって思いますね。

柴田:それ以外に、いつも職場で「うまく行かない人」っていますよね。もめ事が起きやすいとか、上司に嫌われる、職場が楽しくないなど。いつも同じようなことを繰り返してしまうパターンです。

本人は「運が悪い」というんですが、本当にそうなのか?話を聞いていくうちに、その人に「人とのかかわり方」や「考え方」にクセがあることがわかってきます。

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――――以前に柴田さんのコンサルで「自分の考え方のクセを見つける」テーマでグループコンサルをやりましたよね。すごく興味深かったです。

柴田:やりましたね。結局それって「生きづらさの原因」なんですよね。

うまく行かなくて、世の中にすごく腹が立っていた人でも、「自分のクセ」に気づくことで、「もっとやれることがあった」と気づくことが多いんです。

たとえば、再就職の相談を受けた時に、理由を聞いたら、離婚したいからだって言われて。でも話しを聞くうちに「夫、いい奴じゃん」って結論になって、結局離婚はやめて、再就職だけしたってこともあります。

――――おもしろい!自分の考え方のクセを知るだけで、幸せになれるってことですね。「生きづらさを抱えている人」こそ、キャリコンの力を借りるとよいんですね。

柴田:本当にそうなんですよ。


しっかりもののお姉さん


――――子どもの頃はどんなお子さんでしたか?

柴田:3つ年下の弟がいるんですが、典型的な「お姉ちゃん」でした。

――――ああ、なんかいきなり「ナットク」です。

柴田:母は4人きょうだいの末っ子で、絵に描いたような「末っ子キャラ」だったんですよ。母の兄二人も頼りなくて。その分、母の姉である伯母がものすごくしっかりした人でした。

母が働いていた時のことで、すごいエピソードがあるんですが。

母は知多半島にある役場で働いていたんですが、あるとき愛知県庁へのお使いを命じられたんです。でも母は電車に一人では乗れない

それで、伯父が会社を休んで母に付き添って行ったんです。

――――ええっ。電車って言っても新幹線じゃないですよね。名鉄めいてつ

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知多半島は濃いオレンジ部分。
主要駅「知多半田駅」から名古屋市内の「金山駅」まで名鉄で約30分
そこから地下鉄名城線で約12分現在の交通なら、約45分程度で到着。
とはいえ、1950年代当時はまだ地下鉄名城線は未開通。(地下鉄東山線の開業が1957年、名城線の開業が1965年

柴田:母にとっては同じようなものですよね。それにしても、普段どんな仕事してたんだろうって思いません?

母が「頼りないお嬢さん」だったので、わたしは真逆に育ったんですね。自分がしっかりしなくては、と。どちらかといえば伯母に似ています。

――――母と娘の関係って「すごく似る」か「反面教師」か、いずれかのことが多そうですよね。

柴田:確かに。うちは「反面教師」でしたね。


――――生まれたのは秋田県でしたよね。

柴田:秋田はホント「生まれただけ」なんです。父が転勤族で、1歳のときには秋田から引っ越して、幼稚園は2つ、小学校は4つ変わりました。

――――それはすごい。小学校は2年もいられない学校もあったんですね。

柴田:そんな甘いもんじゃなくて、最初に入学した小学校は3ヶ月、卒業した小学校は5か月しかいられなかったんですよ。さすがに怒って親に抗議しましたけど。

弟は、小さい頃はすごく泣き虫で、わたしが幼稚園に行くと泣いて追いかけてくるような子でした。父が撮った「泣いて追いかけている弟の写真」が残ってるんです。

弟はすごくかわいくて、みんなにかわいがられていて。そんな弟を守ってやらねば、と思う反面「ケッ」って思ってましたね。

――――あはは。「ケッ」っていうの、ちょっとわかるような気もします。

柴田:弟は父が死んだときにも号泣したんです。わたしはちょっとびっくりして。弟には中学生の娘がいて、その子が弟のことをよしよしってなだめているのが、昔の自分を見ているようでした。

――――確かに「プチ柴田さん」の片鱗を感じますね。


世界を疑うということ

柴田:子どもの頃から年齢より上に見られて、「しっかり者の朋ちゃん」と言われ続けていたんですね。

小学3年のときに変化があったんです。

担任の先生が20~30代くらいの若い美術の先生で、ひげを生やしていて、すごくおもしろい先生で。

授業で写生をしているときに、わたしは太陽は赤、空は水色、木は緑と茶色でベターッと塗っていたんですが、そこに先生が寄って来たんです。

わたしの絵を見て「ちゃんと木を見て描いてごらん。そんな色してる?太陽は本当にそんな色?」っておっしゃって。それまで、絵がうまいとも言われなかったけれど、ダメだとも言われたことがなかったので、とまどって。

――――それで、描いてみたんですか?

柴田:まじめな優等生だったので、先生の言うとおりに描いてみたんです。確かに先生のおっしゃる通り、太陽は真っ赤じゃないし、木も真緑じゃないということがわかって。

そしたら先生がすごくほめてくれて。図工の中で唯一、絵を描くことは好きになれたんですよ。工作は嫌いだけど。

――――ちょうど、子どもの絵から写実の絵に移行するはざまだったのかもしれませんね。

柴田:その先生と出会って、自分がこうだと思い込んでいる世界を疑うことを覚えました。もし先生と出会えてなかったら、もっと頭の固い子だったかもしれません。


友だちになるかどうかは、わたしが決める


――――秋田から引っ越してからはずっと愛知県内にお住まいなんですか?

柴田:小学校6年生の11月に、三重県の菰野こものに引っ越しました。

菰野こもの町」と言われてピンと来なくても、御在所ございしょと言われれば、東海地方の人なら誰でも知っている名所

――――三重というと、関西弁ですね?

柴田:関西なまりですね。引越していきなり笑われましたからね、名古屋弁。笑われて、カッチーンと来て

――――「カッチーンと来る」んですね。笑われて「恥ずかしい」とか「悲しい」ではなく。

柴田:三重の言葉ってやさしいんですよね、「せやなぁ」とか。男子の言葉が女の子みたいに聴こえて。

「こんな女みたいになよなよした奴」に笑われたと思うと腹が立ったんですよ。こんな奴らと友達にならなくていいやって。

――――言葉を理由にいじめられるという話はよく聞きますが、逆に友達になる気がなかった・・・・・・・・んですね。

柴田:ですね。友達になってあげる・・・・・・気がなかったです。

――――強い!

柴田:子どもなりに理不尽を感じてたんですね。何で卒業間際のこんな時期に転校しなくちゃいけないの?って。みんな別れをさびしがってくれたけど、「ずっと友だちなんて嘘」だってわかってたし。

弟はまだ小3だから、すぐに友達を作っていたし。自分だけ割を食っていると感じました。実際そのあとも割を食い続けるわけですが。。。

――――「しっかりしすぎていると割を食う」ってこと、ありますね。「この人は大丈夫だ」と思われてしまうんですよね。

柴田:そうなんですよ。ウチは常に「弟が優先」で。

社宅はわたしが中学卒業と同時に出て、尾張旭(愛知県近郊の都市)に家を建てることになったんです。その時期も弟の受験とはかぶらないようにして。わたしは三重から愛知の高校を受験したんです。

朋子はしっかりしてるから大丈夫、って思ったようで。わたしは常にババを引かされて、父とはよくぶつかりました。と言っても、父と理屈を通した話ができるのは、弟よりわたしのほうでしたけど。


「優等生」から抜け出た中学時代

柴田:しっかりした子だと言われ続けてきましたが、不思議と小学校から高校を通じて「学級委員」や「生徒会役員」などはやったことがないんですよ。

――――へぇ、意外!

柴田:中1のときは地味で目立たない子で、中2のときにちょっと不良っぽい子と友達になって、男女3✖3で遊んだりしてたんです。

楽しかったんですけど、まじめだったわたしが急に変わったので、先生からは心配されてましたね。

―――青春ですね!その中の男子と付き合ったんですか?

柴田:そこはグループ交際で。わたしは野球部の子に片思いしてました。

でもね、悲劇が訪れるんです。わたしは中学時代に18cm身長が伸びて、148cmから166cmになって、好きな子を「ごぼう抜き」にして行ったんですよ。そうしてどんどん「好きになれる子」がいなくなっていくんです。。。(※現在は167cm


――――進路については、いつ頃から考え始めたんですか?

柴田:初めて何かになりたいと思ったのは、中学の頃です。転校生の子とお手紙交換をしていたのですが、その子が「我が道を行く」タイプで。

すごく文学的なんです。何かで読んだ「キレイな言葉」や、詩や短い小説を手紙に書いてきてくれて。すごく影響を受けたんです。わたしもキレイな言葉をいっぱい探そうって国語辞典で探したり。

――――素敵ですね。

柴田:もともと国語は好きだったんですが、俄然文学に興味がわいてきました。その子とは「リレー小説」みたいなものも書いていて、はじめて「小説家になりたい」って思ったんですよ。

――――小説は、その後も書き続けていたんですか?

柴田:その子が同じ学校にいたのはほんの数ヶ月で、風のように転校して行って、わたしも小説を書かなくなってしまいました。


南山大学からリクルートへ

――――大学は名門・南山なんざん大学ですが、独文科に進んだきっかけは?

南山大学・・・旧制南山外国語専門学校が前身であるように、
外国語に力を入れていて、留学生や帰国子女が多いイメージ。
同じカトリック系大学である上智大学とは姉妹校関係にある。(ひ)

柴田:当時は、「4大卒の女は就職できない」って言われた時代だったんです。わたしも滑り止めの金城きんじょう短大は受かっていたので、親はそこでいいじゃないかと。でもわたしは、どう考えても自分は「金城のキャラじゃない」と思っていて。

――――ああ、わかります。わたしもキャラじゃないなー。

金城きんじょう学院・・・名古屋のお嬢様学校として有名。幼稚園から通う生徒を「純金」、中学から通う生徒を「18金」、大学から通う学生を「金メッキ」と呼ぶ、らしい。

柴田:親には「人生を考える時間が必要だ」と説得して、4大を受けることになったんです。国文科に行きたかったけど、少し偏差値が足りなくて。

独文科を選んだのは、「女子は仏文科でしょ」って空気がイヤで。ドイツ語なら自分も周りも0からのスタートだから、何とかなるだろうと思って決めました。


――――大学卒業後はリクルートに就職されて。わたしの周りのリクルート出身者は、柴田さん含めすごく優秀な方ばかりです。

柴田さんが就職されたころのリクルートは、まだ今のような大企業ではなかったですよね?

柴田:まだまだ、全然です。わたしはリクルートが4大女子を本格的に採用した1期生なんですよ。

当時のリクルートは、4大女子を採用したくてもルートがなかったので、主要大学に標準を合わせて、高額報酬の1日アルバイトを募集していたんです。モニターとして研修に参加するものなんですが。

――――リクルートの社名は知ってたんですか?

柴田:知らなかったです。男の先輩に「リクルート受けてみない?」って言われたんですが、はじめて聞く社名で。その先輩自身も別の有名企業に勤めていたし。

その後、就職指導室にリクルートのバイト募集のチラシが貼ってあって、事務局の人にも勧められたんです。ゲームをするだけで1日8,000円もらえるというので、行ってみました。

――――ゲーム?

柴田:グループワークですね。「クイズを6人で協力して解く」というものでした。

テーマが「野球」だったんですが、女性ばかりという事もあり、6人中4人が野球のルールも知らなかったんですよ。わたしは知っていたので、立ち上がってホワイトボードに図を書きながら、ルールの説明をしたのをよく覚えています。

もう一人のルールを知っていた子もガツガツ行くタイプでした。そういった様子を運営側は見ていたんですね。それで評価されたのか、2回目のワークショップには6人の中でその子とわたしだけが呼ばれて。

――――適性を見極めるためのワークショップだったんですね。

柴田:その「もう一人の子」は、わたしよりリクルートに詳しくて、「やりがいあるよ」「男女差ないよ」なんてことを教えてくれて。「それならいいかも」と思って、その子もわたしも入社したんです。

でも、仕事は大変で、入社してから後悔したんですけどね。


リクルート時代~挫折から編集職へ

――――いよいよリクルート時代のお話ですが、最初はどのような業務に就かれたんですか?

柴田:最初の2年は広告営業です。いわゆる飛び込みで。もうこれはわたしにとって人生最大の挫折でしたね。

――――柴田さんにもそんな時期が!

柴田:人生で初めて「劣等生」の気分を味わいました。会社もよくクビにしなかったと思います。

――――どうやって乗り越えたんですか?

柴田:人事に異動依頼を出しました。

名古屋支社にも求人誌を作る編集部があったんです。編集部は正社員1人とアルバイト2人の3人体制で、そこに入れるかどうかもわからなかったんですが、とりあえず希望だけは出しました。

無事、編集部に異動できて4人体制になったのに、3か月後にはわたしと入れ替わりに社員の先輩が営業に異動になってしまって。

のんびり教えてもらおうと思っていたら、いきなりベテランアルバイト2人を従える「チーフ編集者」になっていたんです。

――――すごい!それは、会社が柴田さんならやれると判断したからなんでしょうね。

柴田:そうなんでしょうかねぇ。確かに、人事の評価は不思議と高かったみたいですね。

――――営業時代も、この人はもっと適所に配属すれば力を発揮できるはずだと評価されていたのでは?

柴田:当時応援してくれた人事の方には、いいように誤解されていたのかもしれません。ありがたいことに。

――――リクルートと言えば「とらばーゆ」

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1992年発行の『とらばーゆ』(関西版)。
現在とはロゴが異なりますが、やっぱりコレだよね、という感じ。(ひ)

柴田:最初はB-ingビーイングのみで、1991年の東海版「とらばーゆ」の立ち上げにも関わりました。

――――ちょうど創刊の頃、よく買ってました。けらえいこさんのマンガとか、読んでましたよ。単行本も買いました。

柴田:けらさんは一瞬だけ担当してました。

『たたかうお嫁さま』(けらえいこ・メディアファクトリー・1992年)
1995年、日本テレビ系列でドラマ化もされた大人気コミックエッセイ。
『あたしンち』で国民的漫画家となった、けらさんの出世作。
リクルート発行「とらばーゆ東海版」に連載後、メディアファクトリー(元リクルート出版)(現在はKADOKAWAのブランドの1つ)より単行本化。

――――わぁ、自分が若い頃に買ってた雑誌の編集さんにはじめて会いました!

柴田:編集長はすごくデキる人だったんですが、内容についてはうるさく言わなかったんです。だから自由に作らせてもらえたのはよかったです。


編集者から市役所へ

――――リクルートはどうして辞めることに?

柴田:編集部には、いつまでもいられないとは感じていたんです。読者層が25~6歳と若いので、年をとると異動になることはわかっていたので。

――――ああ、そういうものなんですね。

柴田:35~6歳のときに辞めることを考え始めたんですが、最初はフリーライターや編集者になることも視野に入れていました。でも先がないなぁと。5年後から先が見えなかったんです。

――――そうか、わたしと同業の可能性もあったんですね。


柴田:リクルート時代のわたしは、決して「できてた人」じゃなくて、後半はもう自己評価最低だったんです。とにかく新しい場で再スタートしたかったんですよ。

――――迷いのないように見える柴田さんでも、葛藤があったとは意外ですが、ご自身も悩んだからこそ、相談者の悩みも理解できるんですね。

柴田:もちろん、悩みましたよ。ただ新しい場所でスタートするだけじゃなく、なるべく「自分が意味を感じる仕事を創りたい」と考えて。教育に興味があったので、「子どもの教育」に関わりたくなったんです。

――――教育に興味を持ったきっかけはあるんですか?

柴田:リクルートの後半は、講演の依頼が増えて、編集部がその受け皿になっていたので、よく大学に行っていたんです。

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現状の日本の教育だと、大学生になってからようやく、自分の職業のことを考え始めますが、それだと遅すぎると感じました。せめて中学か高校くらいで考え始めないと。そういったことを変えていきたいと思ったんです。

それで、38歳のときに瀬戸市役所に転職しました。


――――リクルートから公務員というのは、180度の転換ですよね。

柴田:市役所がどういうところかは覚悟の上でした。

リクルートの友人たちにはこぞって「3日もたない」と言われましたが、そこはなんとかできると思っていたんです。だって、わたし自身は、自分は「リクルート人としては半端なヤツ」だと思っていましたからね。


市役所勤務から独立へ

――――瀬戸市役所ではどのような業務をされていたんですか?

柴田:最初は広報誌を作っていました。

あとは期間限定で2005年の愛知万博の準備にも関わりました。国際交流を主に担当して、外国人の住民向けの講座企画やら、万博のボランティアや民泊事業の立ち上げなど。

――――素敵なキャリアではありますが、柴田さんがやりたいこととは少し違った。。。のかな?

柴田:次に教育委員会の中の生涯学習を行う部署に配属されて、そこではじめて「キャリア教育」などに関わることができました。

――――ようやく、のちの柴田さんのお仕事につながるんですね。

柴田:でも次に「税金の担当」になって。

――――ええーーーーーっっ!!

柴田:ムカつきましたよ。もっと適材はたくさんいるのに。法律に詳しい人とか。

もともと50歳で辞めるつもりではいたんです。世界を広げたいと考えて市役所を選んだので、リクルートとは全く違う仕事をしたくて。できるだけ「現場に近い仕事」を経験したかったんですよね。

――――もともと50歳で独立するつもりだったんですね。

柴田:市役所での仕事が楽しくて、ちょっとそのことを忘れそうになっていましたが、不本意な異動があって、「あ、やっぱり考えなくちゃだめだよね」ってハッとして。

ここでやっと「何をして独立しよう?」と考え始めたのですが、悩むというより「さあ、どっちに行く?」というポジティブな挑戦的な気持ちでした。

リクルート時代の友人たちが独立し始めたことも、追い風になりました。

――――それでキャリアコンサルタントとして独立することに。

柴田:ずっと考えていても嫌にならない、いつまでも考えていられることって何だろう?って自分に問いかけた時に、わたしにとってそれは「キャリア」だと気づいて。

リクルート時代にキャリアについてインタビューしてきた経験もあったので。いろいろ考えた結果、キャリアカウンセラーの資格を取ったんです。

――――この段階で「キャリアカウンセラー」が出て来るんですね。今まで、柴田さんは生粋のコンサル畑の人のように感じていたのですが、意外とスタートは遅いんですね。

このインタビューの裏テーマは「遅咲きの人」なので、ピッタリ。。。

柴田:遅咲きですよ!まさにピッタリです。


インタビューとコンサルの共通点と違い

――――柴田さんとお話していて、自分と同じだと感じるのは、すごく「人に興味がある」という点なんです。人に興味がないと、コンサルもインタビューもできませんよね。

柴田:そうですよね。わたしもひよ子さんが「人の話を聞くのが楽しい」って気持ち、よくわかります。

市役所にいた頃は、今まで生きてきて知らなかったような人にたくさん出会えて、本当におもしろかったです。

――――そうなんですね、リクルートより市役所の方がいろいろな人に出会えるとは意外です。たとえばどんな?

柴田:いわゆるクレーマーって言われるような人とか。「世の中のことは全て市役所のせい」だと主張したい人がいるんですよ。

市役所に電話する人は何かに困っているわけですが、明らかにそれ、市役所に関係ないでしょってことが多くて。

事件性のあることは「警察に」、体の具合が悪いという話は「病院へ」、所得税の件は「国へ」とアナウンスするんですが、「たらいまわしにするな!」と叱られるんです。

――――マジですか!

柴田:マジなんですよ。つくづく、いろんな人がいておもしろい、こんな生き方、こんな人生があるんだな、と感じますよね。でもそのおかげで、人を観察する力もつきましたし、大きな声を上げる人の本当に言いたいことを聞く訓練にもなりました。

――――いろんな人がいて「おもしろい」と感じるかどうか、ですよね。いろんな人がいて「メンドクサイ」と感じる人もいるでしょうし。

一方で、インタビューとコンサルで違うと感じるのは、インタビュアーは話を「聴く」だけでジャッジはしませんが、コンサルは相談者にとって良い方向性が見えるようにならなくてはいけないことです。

柴田:コンサルの場合も、意思決定は本人がするもので、本人の意思は尊重しますよ。

明らかに「正しい答えは『赤』だよね」というときでも、その人が「青」だという場合、その人なりの理由があるんです。だから、それを頭ごなしに否定してはいけない。

わたしは常に「わたしの敵はわたし」だと自分に言い聞かせています。どうしても「正しいのは赤だよ」と言ってしまいたくなるので。

――――その「赤が正解」と判断する基準は何でしょう?知識でしょうか?

柴田:知識は古くなるものですから、いつも疑うようにしています。

たとえ「赤が最善」だと判断しても、「赤にしなさい」とは言いません。

ただ相手に青を選んだ場合の「リスク」は示します。そのリスクを負ってでも青を選ぶ「覚悟」があるなら、その人にとっては「青が正解」なんです。


人それぞれ「見えている世界」は違う


――――「自分を戒め、疑いながら聴く」というのは簡単そうでいて、実際は難しそうです。

柴田:たとえば「50歳から女優になりたい」と言われても、そりゃあ無理でしょう、ってなりますよね。でも、今は技術も進化してるし、メディアも多様化している。

もしかしたら50歳の新人女優でも需要のある場所があるのかもしれない、「わたしが知らない」だけで

――――確かに。

柴田:でも、すぐにこんな風に考えられるようになったわけじゃありませんよ。イラッすることも多いし。

――――甘い考えの人とか。

柴田:そうそう。キャリアカウンセリングを学ぶ前の私は「説教ばばぁ」でしたよ。「甘いわよ!」「この人を正さねば!」なんて思っていたし。

――――初めてお会いした時に、「飲んだ席でコンサルをしてしまわないようにしてる」っておっしゃっていたのが印象的でした。やはりついつい「どうにかしてあげたい」って思ってしまうんですよね。

柴田:それもありますけど、どうしても「聴きますよモード」が入っちゃうんです。「同調(わかるわかるって感じ)モード」になれないんですよ。

――――聴きますよモード?

柴田:たとえば「上司にこんなこと言われた」って誰かが愚痴ったら、周りは「ひどいー」とか「ムカつくねー」みたいに同調するんです。

その中でわたしだけが「その上司はどんな状況のときにそう言ったのかな?」なんて聞いてしまう。それで一気に飲み会がシラ~~~ッとしてしまって。

どうしても、その人に「世界がどう見えている」か、その人のとらえる世界」を知りたくなってしまうんです。そこには「どうせこう見えてるんでしょう」という黒い自分もいます。

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――――柴田さんは、元々友人から、よく相談されるタイプだったんですか?

柴田:そうですね、しっかりしていたので、相談されることは多かったです。

――――今日お話を伺うまで、柴田さんご自身は受験も就職も起業も、そつなくクリアされて、順調に「うまくやって来た」方なのだと思っていました。

実際には挫折されたこともあったわけで、ホント聞いてみないとわからないものですよね。

柴田:つくづく思うのが、わたし自身は比較的適応力が高いんだろうな、ということです。まぁ良くも悪くもですが。

「これはこれとして、じゃあどうする?どうしたら自分にとっていい状況にできる?」って考えるのが得意なようです。なので、周りの理不尽があっても、そこで戦略立てて泥臭く(腹黒く)動くのが嫌いじゃないですね。

――――それはすごくコンサルという仕事に生かされていますね。

柴田:コミュ力は市役所時代に相当鍛えられたと思いますから、結果全部今に生きてますね。


にじみ出る人間性に、人は惹かれる

――――柴田さんと言えば、SNSやブログでの高い発信力にいつも感服しています。かなりの長文を毎日のように更新されていますよね。

柴田:アメブロの頃は毎日更新していました。今のnoteは週に3~4回ですね。思いつくと一気に書いてしまうので、早いと15分くらいで書き上げるんですよ。

――――15分で!

柴田:早く書けるときは大抵「仮タイトル」が浮かぶときですね。そういう時は迷いなく一気に書けます。ひよ子さんもお書きになるからわかると思いますが。

――――わかります。結局、書きたいことが決まってないと迷走して、結論がブレるんですよね。

柴田:そうそう。

――――それにしても、どうして柴田さんの文章はあんなに心に響くのでしょうか?

柴田:自分のことはわかりませんが、ほかの人のブログを読んでいて、「響かない」「つまんない」と感じるときに共通しているのは、「あなたじゃなくていいよね」ってことです。

ページを閉じた瞬間に、内容は覚えていても、誰だか忘れてしまうんです。その内容も、ググったらすぐに出て来るような「薄っぺらい」もので。「キレイ」にまとまってるけど心に残らない

――――血肉が通っていないという感じですね。

柴田:その人の「人柄」が伝わって来ないとダメなんですよね。キャリコンを何で選ぶかって言ったら、最終的には「人間性」なので。文章から染み出てくるものが信頼できるか、自分に合うかどうかで決めるんですよね。

わたしのところには、「ただ」やさしくして欲しい人は来ませんし。

――――わはは。わたしは「やさしい」と思いますけど、柴田さん。

柴田:よく「ズバズバはっきり言いますね」と言われますよ。そう言っているつもりはないんだけど。

リクルート時代には周りは「ハッキリ言う人」ばかりだったので、役所に勤めるときに、ちょっと弱めたつもりだったんですが、弱め方が足りなくて

自分で思うよりリクルートが強かったみたいです。


大事なことは、シンプルに、コツコツと

柴田:SNSはたまたま、うまくハマって自分の形ができ上がりましたが、基本的には不器用なので、コツコツやるしかないんですよね。

――――コツコツ、大事ですよね。そう簡単にうまく行くノウハウなんてなくて。

柴田:わたしの場合、強い想いで一気に書く方が文章に勢いがあって、より「伝わる」んです。だからブログを書き溜めておくってことができないので、常に自転車操業で。

アメブロのときは「毎日書くことがノルマ」でしたから、結構大変でした。

――――何日もかけてすごく凝ったモノを書いても、意外と読まれなかったりしますよね。

柴田:ありますね、大事なことを盛り込んで、練って練ってロジックに破綻がないように気を遣って、「いいこと書いてる」のにPVが伸びないってこと。

そんなときは、たぶん「重い」んですね。「想いが強すぎる」んです。

――――そうか、「勢い」は必要だけど「想い」は「強すぎちゃダメ」なんですね。

柴田:大事なことってシンプルなことなんですよね。

前に書いたことでも、大事なテーマだと、何度でも読まれます。その話にはじめて触れる人もいるわけだし。

――――確かに、ブロガーの中には、同じ記事を日付だけ変えて何度もアップするという人もいます。

柴田:わたしは同じ記事をそのままっていうのには抵抗があるので、テーマはそのままで深堀するというのはよくやります。


コメントとストレス

――――柴田さんの場合、書かれているのはnoteですが、Facebookでの盛り上がりが、いつもすごいことになっていますよね。共感の嵐で。コメントまでしっかり読んでしまいます、たくさんの気づきがあるので。

柴田:コメントを全部読むって人、多いんです。だから気を抜けなくて。

――――ひとりひとりにすごく丁寧にお返事されていますよね。

柴田:それもよく言われます。すごいねぇって。自分でも、こんなに根気があるとは思いませんでした。


――――もうひとつ柴田さんに聞いてみたかったのは、「読解力のない人」っているじゃないですか。

柴田:いますね。「ああ、そう受け取るんだ」って人。人は読みたいように読むものなんですよね。

――――そういう人へのコメント返しってどうしてますか?

柴田:わたしはコメント返しは「仕事」だと思ってやってます。だからストレスをため込むことはないです。悪意のあるコメントは、容赦なく消しますし。最近はそういうヘンなコメントはなくなりましたけど。

――――悪意はなくても、空気の読めないコメントもありますよね。

柴田:それもありますね。古い友人が「昔は朋子ちゃん、~だったのに」みたいなコメントをつけて来ることがあって。

それはもうメッセージで「営業妨害になっちゃうから勘弁して~」って冗談ぽくって伝えます。そう伝えてもOKな関係性の人だけですけど。

――――営業妨害・・・まさにその通り。

柴田:SNSをほぼプライベートな数十人の友人だけに公開してる人と、仕事で1000人単位の人にフォローされている人とでは、見えてる世界が違いますからね。

普段から友だちにしか公開してない人は、自分やわたしの子どもの名前まではっきり書いて来たりします。プライベートが駄々洩れなんです。気を付けないと、わたしのページは、あなたの数十人しか見ていないページとは違うんだからねって思いますよ。


SNSと営業力

柴田:フリーランスでも営業スタイルは人それぞれで、同じキャリコンでも、SNSでの発信を一切やってない人もいます。SNSは完全にプライベートという感じです。

――――イラストレーターにもいますね。SNSどころか、自分のサイトさえ持ってない人。

柴田:SNSをやってない人からは「すごいね」「発信力があってうらやましい」って言われるんですが、わたしからすれば、SNSをやらなければ「知ってもらえない」からやってるだけで。

――――(深くうなずく)

柴田:発信しなくても、企業から直接仕事をもらって、ちゃんと食べて行けている、あなたの方がすごいって思うわけですよ。

――――まさに!どうやって仕事をもらっているんだろうって思います。

柴田:それこそちゃんと営業しているってことですよね。わたしには出来ないんですが。

でも今は、発信ができれば、企業に直接コネがなくても仕事を得られるという点で、いい時代ですよね。


柴田さんへの連絡先

今回のインタビュー企画で3時間以上お話したのは、柴田さんが初めてではないですが、まったく疲れを見せなかったのは柴田さんだけでした(今のところ)。さすが、対話のプロ!

ちょっとわかりにくいかな?と思いながら発した質問にも、音がしそうにサクッと明瞭簡潔にお答えくださり、気持ちいいことこの上ない!

たとえ、自分の想いをうまく言葉にできそうになくて不安な人でも、柴田さんなら、きっとうまくくみ取ってくれます。そして決して否定はされません。(ここ、ポイント!)


そんなわけで、勝手に柴田さんの営業をしてしまいます。

このインタビューを読んで柴田さんに興味を持った人は、まずはnoteを読んでみてください。ビシビシ心に突き刺さりますよ。

いやすぐにでも話を聴いて欲しい!って思った人は、こちらからどうぞ。

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柴田さん、ステキなお話を、ありがとうございました!



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陽菜ひよ子 / イラストレーター&インタビューライター

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