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批判的思考を恐れる、そのココロとは

論理的思考が整うと批判されることが恐ろしくなくなる。

批判的思考はフィンランド教育ではこどもの頃から当たり前に取り入れられていて、なぜ?を追求するのも論理的な考え方を養うためだ。

日本の文部科学省による教育改革では、【対話的、主体的で深い学び】の文脈がテーマとされ、今のこどもたちはそんな教育を受けている。

批判的思考は対話のスキル、悪意を持って批判している訳でなく、課題解決のためのアクションなのに、日本人は教育改革前までの時代は決まったことに従うということに、教育の重きが置かれてきた。

そのため、間違うことを恐れる大人たちが億といるわけだ。

今のこども達はむしろ積極的に失敗して課題解決する力を身につけられている。

私たち大人たちが、批判されたり反対意見を恐れるのは、単純に慣れていないからだ。

そんなのは練習すればすぐにマインドチェンジできる、批判的思考により、反対意見に対峙したとき、冷静に思考し、現実は何かを洗い出し、事実に即した解決法を提案する、それがこれからの日本に課せられた教育である。

こどもたちは変化している時代、変わらなければならないのは私たち大人の方なのだ。

怒りの感情は、「自己肯定感」の低さ、「寛容性」の低さ。

器の大きな人間が増えること、これが少子高齢化時代、消滅の危機に瀕する日本にできること。

これは、企業でも行政でも必ず内部でできることであり、教育というコストはかかるかもしれないが、確実に具体的改善につながり、収益の増加、経済の活性につながる。

なぜやらないのか?
その知識もないのか?
トップにその能力がないためにできないからなのか?

なぜを問うのが批判的思考、様々なケースを想定しあらゆる可能性を模索する、それがプログラミング、システム開発に求められるスキル。

そして、プログラミングによるエラーは確実に原因がある。

それを見つけた時にごめんなさいと素直に誤り、それを説明しきること、それが私の若い頃培ったエンジニアスキル。

嘘とフェイクて作り上げられた日本の顛末は?

今私たちの見ている世界がその結果である。
対話のスキルを磨き、社会貢献を実現する、共生社会はその積み重ねで築かれる。


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