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コミュニケーション能力アップのためにも、私たちは色めがねをかけて生きているということを知ろうではないか。

私たちは、固定概念・思い込みという色めがねをかけて生きています。

人それぞれの生きてきた中で得た知識、経験、環境等により、それぞれの色めがねの色は違うし、日本人という単位で同じ色のめがねをかけていたりもするのです。

4、ありのまま因子(独立性と自分らしさを保つこと。自分を他者と比べすぎず、しっかりとした自分らしさを持っている)を伸ばそうとするとき、他者との比較や他者からの視線が気になって、ありのままの自分でいられない人は多く存在します。

自分も皆も「ありのまま」でも過ごしやすい世界になるためにも、

自分が他人を観察するときも色めがねをかけている。
と同時に、
他人が自分を観察するときにも色めがねをかけている。

これに気がつくだけでも、視野や心の器が広がるように思うんです。
※【ありのまま】の概念は複雑で、また別の記事にしたいので、ここではさらりと読んでくれたら嬉しいです。

私は、幸せな人が増えるためにも、多くの人に、自分の持っている固定概念・思い込みに気がつくことで他者に送る視線も自分へ送る視線も優しくなってほしいし、多くの人が自分の持つ固定概念・思い込みに気がつくほど、多くの人が優しく生きやすい世界になると思っています。

自分への理解力が広がると他者への理解力が広がります。心から自分への優しさが広がると、なぜか他者から優しい扱いを受けるようになります。

自分がどんな色めがねをかけているかに気がつく第1ステップとして、自分の中で「〜すべき。〜じゃなければならない」という思考が出たときに立ち止まって自分の思考を観察してみませんか。

私が以前勤務していた会社では、新入社員が先輩社員よりも早めに出社して部署の人たちの机を拭くということが長期間行われていました。とある年、新入社員が早起きできず、早めの出社ができないため、先輩社員が出社して着席している中で机を拭いていました。その部署でずっと働いているお局は、「新入社員は早めに出社して机を拭くべきなんだよ。」とご立腹し、新入社員に注意をしていました。さて、お局の意見は正しいのでしょうか?


現在、コンプライアンス違反にも厳しい世の中であり、仕事の片付けなどについても業務時間の中で行うよう指導されている会社もあります。それにも関わらず、業務時間外に早めの出社を強要し、かつ早出残業もつかないとなると、現代では問題となる可能性も出てきますよね。

お局は、ずっと続いている伝統を「しなければならないこと」という色めがねをかけていたのです。(なお、幸いなことに、コロナウイルスが流行したことにより、他者の机を拭くルールはなくなったのですが、、、)

自分が所属しているコミュニティのルールに加えて、時代の流れも考慮しなければ、会社の場合には、コンプライアンス違反として注意・指導・処分がなされる可能性もありますし、会社でもプライベートであっても、思い込みが強い人に対して、頑固・頭が固い・融通がきかない・老害などと評価がなされることがあります。

思い込みが強い人=自分の持っている色めがねを外さないよう、他人からどんなにいい色のめがねを紹介されても、レンズに傷がついて世界が濁って見えていても、めがねをかけかえないように頑張っている人です。

他人からの視線などを気にして自分では配慮しているつもりなのに、コミュニティにとって好ましくない色めがねなどをかけ続けた結果、老害・頭が固い、などと言われるのは不快な気持ちになりませんか。

私が相談業務を行っているときに見ているだけでも、老害・頭が固いなどの評価をされた人は、コミュニティの中で近寄りたくない等の扱いとなりがちです。本人は、自分が老害であることの自覚がないので、客観的にみると、他人には害をなすような言動を行っているのだが、自分では周囲から害と思われている言動を正義だと思い込んでおり、ますます孤独を深めていく、というケースを度々目にしてきました。

そのため、私としては、自分がどんな色めがねをかけているかを見つけていくことを含めた内観をおすすめしており、自分を知ることにより、内側と外側の解離を無くしていくほど、生きやすくなっていくと考えています。

自分のかけている色めがねに気がつくと、
めがねをかけかえることも外すこともやりやすくなります。

自分の感情が動いたときというのも、なんらかの色めがねを見つけることができます。

現実で起きていることは、それが起きた、以上。であるのですが、感情が動くということは、その反応に「なにか」があるのです。

まずは、私たちは、それぞれが色めがねをかけて生活しているということを頭の片隅に置いてみてください。

それぞれが色めがねをかけて現実を見ているから、自分の現実の中では意味不明な主張を他人がしてきても、相手の色めがねを通した世界の中では筋の通った主張だという理解はできるのではないでしょうか。

同じ物事を見ていても、色めがねをとおした世界をそれぞれが見ているのです。

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