戦争を無くすたった一つの方法。
第二次世界大戦の語り手がいなくなってきているという問題が度々議題として上がり、僕ら世代が最後の聞き手とか言われることがある。
戦争の語り手と言うのは、直接戦争を経験した人間では無ければいけないのか?
自分はそうは思わない。
少なくとも、その時代を生きていただけでも語り手になり得ると思う。
しかし、語り継ぐためには傍観者ではいけない。
傍観者とネット調べてみると、
「その物事関係のない立場や態度で見ている人物」
と出てくる。
世界で起きている悲惨な実情に関心を持たず、何が起きているのかすら分かっていない人が傍観者に該当するすると自分は思う。
今、目の前にある国際問題はロシアのウクライナ侵攻。
自分が、家族と朝食を食べたり、映画を見ている時間に、戦争に怯え震えている人が世界にはいる。
子供という、純粋者達が、何も知らずただ恐怖心を植え付けられた挙句に無くなっている実情がそこにはあるのだ。
この実情に何故、関心を持たず、理解もせず生きていけると言うのか。
遠い国の話だから関係ないという人は、江戸以前の日本と話でもしているのか?
現代は間違いなく国際社会であり、日本からロシアまで飛行機で10時間程度で到着するような時代だ。
戦闘機のF15は、旅客機の3倍の速度なので、単純計算で3時間弱で日本ロシア間を移動できる。
ミサイルの速度は戦闘機のさらに2倍程度なので、ロシアがミサイルをぶっ放せば、1時間半程度で日本着弾する。
そもそも、国連や国際法があるのも国々が傍観者ではいられない社会になったからではないのか。
国が国を巻き込み起こる戦争は決して他人事ではないのだ。
では、自分に何が出来るのか。
私は、議論する事であると思う。
問題を理解して、誰とでも良いから議論する。
日本の社会問題だって、議論の末、多数決にやって政策が決まり実施される。
そもそも、議論によって人類は国家として成立して来たのだから、一民衆が行う小さな議論も馬鹿にできたものではない。
常識の通用しない暴力国家は、他国の議論の末に淘汰されて来た。
全世界が議論の出来ない国々で有れば、核戦争によって一瞬で世界は破滅するだろう。
難しい議論をしろと言う事ではなく、同じ時代を共有する1人として、理解を深め、相手との意見交換を行えば良いだけなのである。
国際問題について議論をする事ができれば、貴方は傍観者ではない。
同じ時代を生きた当事者なのだ。
そして、当事者には、惨劇を繰り返さない為に悲劇を語り継ぐ義務があると思っている。
そして、また次の世代にも議論してもらう。
この繰り返しによって、平和による議論が増えて戦争の火種となるような発想を持つ次の世代が減っていく事でいずれ戦争が無くなっていくのかもしれない。
あなたが今すぐ、戦争をなくす為にできる事は議論なんだよ。
追記:
偉そうな事をつらつらと書いたが、私には国際問題について多少なり知る必要がある。それは、自分の子供が国際問題に興味を持ったとしたらきっと父である私に質問を投げかけてくるだろう。
その時に、「なにそれ?どんな問題?わからない…。」では父としての面目がある潰れだからである。
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