見出し画像

一度死んで蘇る

~長期旅行者の「沈没」から考察する「飽きる」と「変化」の関係~

はじめに


誰もが情熱を解き放つ社会を創る
を理念に活動している、三間瞳(みまひとみ)です。

人がその人らしさを発揮するには?

というのが永遠のテーマな私ですが、

それには、その人を深く深く掘り下げて
その人の人生のテーマ、背景を深く知ることはもとより、

「人間の普遍的な性質」

についても、とても関心があります。

映画やドラマや漫画からも、
そんなヒントがあるので、よく観ていますが、

アクション系のストーリーなんかは特に、
主人公は、よくエンディング手前に、
大ピンチを迎える

画像1

っていうのは、定説というか、
お決まりのパターンかと思うのです。

すんなりエンディングになったら、
話として面白くないですもんね。

で、そのとき、イメージとしては、

一度死にかけるとか
大事な人が亡くなって、一度自暴自棄に陥るとか
そのぐらい強烈な瀕死状態っていうのが、訪れたあとに
本人も知らなかったチカラがみなぎって

最後は、勝つ!とか、ハッピーエンディングに!

っていうイメージ。

画像2

で、今回は、
この「一度死にかける」ということは

人間の性質上、どういう作用が起きているのか、

ということを
旅行者コミュニティたちの間では鉄板の

「沈没」という現状と照らし合わせて考察しよう、

というのが、この記事のテーマである。


「沈没」という状態とは


そもそも「沈没」という言葉をご存知だろうか。

長期旅行をしているバックパッカーからしばしば繰り出される単語。

これは、観光など本来の旅の目的から離れて、
一ヵ所に長期滞在し、ダラダラと時間を過ごしてしまうことをいう俗語。

旦那が20代の最後に、約1年半、
職業=旅人、なごとく、

バックパッカーで世界中を旅行していたので、

「沈没」

という言葉を知っていたのだが、

これが長期旅行者にとっては、
常識的な言葉となるぐらいだから、
人は、「変化」を受け入れ続けることへの
許容量の限界ラインがあるんじゃないか?と思う。

画像3


人間というのは、
ただ何の目的もなくいても、

また何気なく日常生活を送っていても

「飽きる」

ずっと同じことを続けてることに飽きるので、

人は刺激を求めて旅をするのかもしれないが、

一方で、旅をし続けていると、

その「新しいことの連続」であることにもまた

「飽きる」のである。

私も21日間のバックパック旅行をしたことがあるが、

まさにこんな感じだった。

だけど、旅行中の「飽きる」というのは、
やはり、日常生活を送っていての「飽きる」とは
ちょっと違う要素がある。


習慣化がもたらすもの


ここで、もう一つ、

人間がエネルギーが最も必要となる

習慣化」する、ということについても言及しておきたい。

何かを習慣化するときにはエネルギーが膨大にいる。

学校に通い始めるとき
何かのスポーツを始めるとき
習い事~お花や習字など~を始めるとき

人生で、必ずや「新しいこと」を始めるタイミングを

経験してきたであろう。

そういったとき、

思い返してみてほしいのは、

慣れてしまえばそれでよかったのが

最初は、結構、苦痛だったのではなかろうか。

・そわそわする(落ち着かない)
・これで大丈夫か?と不安がある

そんな体験を覚えているだろう。

画像6


人の人生は、
ある意味、「習慣の塊」であり、
「習慣の連続」でもある。

朝起きて、歯を磨いて、顔を洗って
ご飯を食べ、着替えて、会社(学校)に行って
帰ってきて洗濯してご飯食べて
ちょっとした楽しみをして寝る 

新しいことを始めるとき、

慣れるまで継続できれば、

その行動が、イレギュラーではなく、
日常のこととして組み込まれ、

習慣化され、逆にそれをやらずには
気持ち悪いぐらいになるもの

だが、習い事や運動など、
慣れる前に、習慣化される前に、
やめてしまったこともあるだろう。

それは、人の脳は

「今までと同じ」であることを好み

できるだけ慣れ親しんだ行動パターンを崩さないように

前に前にと戻そうとするからだ。

だから、慣れないことをするとき、負荷がかかるのだ。

新しいことを

習慣化しようとする自分と、

前の状態に戻ろうとする脳の動き。

長期旅行を始めると、

この状態がずっと続いているのだ。

慣れる前に次の場所に移動する

次の街は、また、初めての場所。

そうすると、ついに

脳がいっぱいいっぱいになる。

もう、新しいことだらけな、

慣れないことばっかりを辞めてくれよー!

的なパニック。

水を注ぎすぎてコップが溢れてしまった的な。

で、これ以上、不安定な状態で
動き続けることをよしとしなかった脳が

「旅」にストップをかけて、「沈没」という状態。

とにかく、刺激を減らし、

その場でぼーっとすごす、的なことを

欲するのではないかと思うのだ。

そして、注ぎすぎて決壊したコップを修復して、

あらたに前より少し大きなコップとして修復されたときに、

また次の旅に出る。

画像4

私もそんな体験があった。

「今日は何もしたくない。

観光とか、そんなもの何もしたくない」

そういう旅路での「(プチ)沈没」体験後、

また動こう、と思えるとき、
それは自分のなかで、

何か新しい自分が形成されたような気分なのだ。

画像5

一度死んで蘇るということ


話を最初に戻す。

ストーリーの主人公は、大ピンチを迎えるとき、
一度死にかけたりすると書いた。

これは、大きな大きな変化を遂げるために、

あらゆるたくさんの「新しいもの」に触れ続けた結果として

大きな成果となる「エンディング」に向かって、

前に進んで変化をし続けたときに

一度死にかけるぐらい自分が壊れる

っていうのが、次の飛躍のサインなのかもしれない。

ということ。

一度死んで蘇る。

それぐらいのショックや新しいことを自分に与えることを躊躇わない勇気、

そして、そのぐらいのショックが自分に起きても、
「その状態をも」受け入れる勇気、

それを持って生きることが、

人が人として成長し、才能の蓋を剥がすきっかけになるのかもしれない。


#習慣 #変化 #没頭 #飛躍 #ストレス #不安

#新たなスタート #私の仕事

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?