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私が「子どもヴィジョナリーキャンプ」をやる理由③-日本の教育を変えたい原体験-

こんにちは!みまひとみです。
ご訪問ありがとうございます。

この記事は、連載物です。 
①↓ から読んでいただけると良いかと思います。

原体験②までで、小学生の時の、「学びの本質」を教えてくれた福島先生の教えから中学・高校で、「学びの本質」がないことに失望したことを書いた。高校生までは、「不満」「反発」でしかなく、言語化もできないモヤモヤだったが、日本の教育に対する疑問が「このままではいけない」という「確信」に変わった体験を書きたいと思う。

「ここの人たちは学ぶことに対する自由を削ぎ、学ぶことに対する情熱を奪い、ただ私たち子供に勉強を押し付けたいだけだ。」

という強い憤りを抱えたまま、一浪して、日本で言うところの「一流」に震いする大学に入った。それも、どちらかといえば、

「教育に文句を言うには、自分が一流大学に入っておかないと、言う資格がないと言われるだろうから」

だった。日本の教育は間違っている。こんな、試験でいい点を取るためだけに全てが仕組まれているのはおかしい。

「どういう未来に進みたいから、こういう勉強をする」と言う将来からの逆算であるべきなのに、「君の学力ならこのくらいの大学を目指しなさい」という指導しかない。

もちろん、いい大学に入ることで、そのための勉強をしておくことで、成功体験が積まれ、そのことで自尊心や自己肯定感が上がり、勉強による視野が広がることで将来の選択肢は広がるかもしれない。

でも、やはり、日本の一般的な中学高校の学びは、個人個人の興味関心や、内発的動機を膨らましていくタイプのものではない。

自分が何を考え、何が好きで、何が得意なのか、そこから、社会の何を学んでみたいと思っていて、どんな未来の選択肢がありそうなのか。

そういう自己理解と想像力を養っていくような、本質的な学びではない。
それがとにかく不満だったけれど、当時の私には、それを言語化することはできなかったし、ただの粋がっている子どもになってしまうのは悔しかった。

だから、せめてもの将来への抵抗として、一流大学に行った人間が、「この教育はおかしい」と言うことで説得力を持てるように、一橋大学に入ることを選んで入学した。

やはり、私の違和感は継続した。

みんな「レールに乗って」来たにすぎないからだ。

「頭いいね」「神童だ」「この地域での天才」
「君ならこのくらいイケる」

そうやって周りに煽てられて、大学に入ってきた。
だけど、そこに「自分の意志」はあまり感じられない。

自分が何が好きで、何を目指し、どう生きるのか。

そんなことに真剣に向き合っている人は少なかった。

そのことに、失望した。苦労して入った。一浪していた期間はそれなりに苦しかった。

でも、「あなたはなぜこの大学に入ったの?」
「この大学で何を学び、どんな未来を描いているの?」

という答えを持ち合わせている人は、あまりいなかった。

私自身も、未来を描いていた訳ではない。
ただただ、日本の教育制度は間違っている。こんなの学びの本質じゃない、っていうことを訴えるために、「いい大学」と言われる場所を体験しにきただけだった。だからこそ、大学で何をどう動いて、私のこの怒りを、憤りをぶつけて解消していけばいいのか、さっぱりわからなかった。

大学が、大学の講義が、案の定、面白くないものが多すぎて、私は、サークル活動で、カフェの創設というプロジェクトに関わることになった。

これは完全に内発的動機からだった。
「事業の立ち上げ」に学生から関われるということに、猛烈に情熱が沸いたのだ。このカフェの立ち上げは、別の記事で詳細に書いているので、そちらに譲ることとして、

この「内側から出る情熱」から関わったこのプロジェクトが、本当にとてつもなく楽しくて、自分の壮大な学びになった。

情熱を持って人と関わることの大切さ、ビジョンを掲げる意義、ビジネスにおけるペルソナ設定の大切さ、わからないことは、すでにわかっている人の元に教えを乞いに体験しにいけば良いこと、などなど。

わからないことを放置しがちだった私や周りの友達に比べて、わからないなら、身をもってリサーチしよう、企業に、大人に、聞きにいこう、という姿勢を教えてもらった。

どんな授業よりも学びが深かった。

そんなカフェの創設に関わる大プロジェクトが落ち着いた頃、私は日常に戻ることができなかった。

燃え尽き症候群のようにもぬけの殻になったのだ。そのプロジェクトに関わっていた人たちはかなりイレギュラーで、
自分達の内発的動機から、明確なビジョンや意志を持って関わっていた仲間であり同志だったけれども、

ひとたび、そのプロジェクトを離れてみたならば、
そこには、やはり、絶望的な、日本の旧態依然な授業や日常があったからだ。

もちろん、公認会計士や弁護士になろうと、大学に加えて専門校に通う、いわゆるWスクールをする人はいたし、大学こそ適当にちゃらんぽらんして遊ぶためにあるでしょと割り切って、別名飲みサーという名のテニサー(テニスサークル)に入る人など、いろいろだったけれども、

私には、それらは何か全てが嘘っぽく写った。

「本当に、それ、あなたの意思でやりたいの?なりたいの?」
「親の希望じゃなくて?」
「あなたは、あなたの人生を、ちゃんと歩んでいるの?」


同級生や同じ大学の先輩たちを眺めて、そういう感情が湧いてきた。

なんというか、確かに目標達成する力はある人が多く、だからこそ一橋に受かったのだろうけれども、未来のための勉強だと言って新たな目標を設定している人に限って、身体から湧き出る・迸るようなエネルギーが感じられないし、目が輝いていなかったからだ。

単純に、大学に受かってしまって、次の目標がなくて腑抜けていたから、わかりやすい資格試験を次の目標に据えておくことで、精神衛生を保ちたいだけなんじゃないの?

そんな風にしか思えなかった。


その時、ふと、日本を離れようと思った。
お試しにイギリスにもフランスにも行ってみたが、
長期で行くなら、NYだと思った。

そうやって留学を決めたのは、日本にいても、同世代には、ロールモデルがいなかったから。

「何かが違う」という漠然とした不満を抱え、私は、2005年4月、NYに導かれるように、向かった。


子どもヴィジョナリーキャンプin糸島

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