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おとなの楽器教室に通って

私は沖縄の楽器「三線」(サンシン)の教室に行くようになりました。

子供の頃、3歳からピアノを習ってた。楽譜の仕組みが分らないまま、耳で覚えてしまった。つまり、9年間「楽譜を読んでるふり」して弾いていた。先生は「弾けた=読めてる」と思っていたようで、音符に「長さ」がある事実は一切知らされなかった。

小学校では、聞いたことある曲はすぐ弾けるのに、初見のカスタネットは全く叩けない。それが普通と思ってた。今思えば、学校の先生からしたら「本当は弾けるくせに反抗してる。ふざけてる。問題児」に見えたのだろう。
小学校では音楽の先生からいじめられました。
記憶から消していたけど。最近知り合いに話したらドン引きされた。

小学校の音楽の先生は、無言で私の両肩をつかんでベランダから突然落とそうとした。本当に落下しそうになったのでショックで振り向くと先生は満足そうに微笑んで去って行った。

また、音楽の授業の後、無言で体罰を受ける事も。
片耳だけをつままれたまま引き寄せられ、全体重を持ち上げられる。耳を責めるって音楽教師って感じで怖いですね。

大抵人から見えにくい状況で突然始まり、無言なので、ショックで声を出すこともできなかったな…。傷や血が出る事も無かったし、先生に叱られているのだと思って恐怖しかないので、誰にも言えなかった。だから忘れるようにした。

今は、五線譜ではありませんが、「三線の楽譜」をゆっくり読みながら弾けるようになって。
練習した曲を三線の先生に聞いてもらうことが楽しみです。

こんな気持ちは生きてて初めてです。

三線を上手に弾こうとすると、先生は雑に誉めます。
何か自分なりに工夫して良く伝えようとすると、先生は気分良く心から誉めてくれます。対面で向かい合って。

子供の頃のピアノ教室では、目の前の人に発表することも、褒められたこともなかったな。先生は並列で、向かい合ってないし。
聞かせるキモチも、良くわからなかった。ロボットのように耳コピしてた。

もう人生で思い残すことはありません。

あまり伝わらないかもしれませんが、譜面の概念や、意味がわかるということは、覚えていろんな細かい事も工夫できて、人と演奏を共有できるという事です。

それが出来なかった(単に、耳で聞いて短期記憶のテストというピアノ教育を受けてしまった)ので、今、三線の楽譜を読んで弾けて、下手なりによりよく弾くことが出来るのが、革命的です。

この春、楽譜が読めて弾けた時は感動して号泣してしまいました。

嬉しいという涙と、あと、たぶん、あまりにも子供の頃からの長い孤独を、今さら突き付けられて泣いているのかもしれません。