見出し画像

"揺れ響く世界" 偏頭痛性めまいとのお付き合い③

どこまでが有限なのか

人は、有限の中で生きている…

常に生まれた瞬間から最期を迎えるまで、全力で生きている。どんな人でも。意識はしていなくても…

ある日突然、自分の身体の感覚が揺れる様になった。目の前のものや、足元、この世界が止まっていた事が懐かしささえ思い始めている。

4年前の1/4。仕事をしていた。早退させて貰ったが、それが最後の出勤だった。

最近、有限だと思った期間が更に短く感じる。

事実、何故揺れるのか?偏頭痛性とは診断されても、医療機器で計れるものではないので分からない。

本当は、他にも違う条件が幾重にも重なり合っているはず。気圧や地震、遠く外国での気候変動もそう。もしかしたら、未知の病気もあるかもしれない。

また、コロナ禍で世の中のエネルギーの変化にも対応する事が難しく感じる事が良くある。

人は、渦の様に心が乱れそれが多くのエネルギーの流れとなる。すると、自分の隠れていた辛い感情や、ストレスとなって蓄積されているのが分かる。

余りに蓄積されると、突然眠く怠くなり、何時間も食事もせず眠り続けたり、頭痛や耳鳴りがひたらすら続く事もよくある。足元や体、心もフラフラする。

特に心が辛い。とにかく自信がなく、自己評価が低く、そして何事にも自己を責めがちだ。

何故今この症状に陥ったのか分からず何の価値があるのか、自分で自分が分からなくなる。

せめて誰かの役に立ちたいと今の仕事をしている。時折どうしようもなく苦しい。

だから書きたいと思う。自分のためにも。この時間にも意味があるんだよ、と思いたい。

響く世界

耳鳴りは、常に両耳に虫が鳴いている。

突発性難聴から始まったこの耳鳴り。当初はうるさくて気がおかしくなるかと思った。

当然すぐに診察に行き治療を受けた。幸い聴力はほぼ戻ったらしいが、どうもその日によって聞こえ辛かったりする。「1ヶ月もすれば皆慣れるよ」と言われたが、未だに慣れない。

耳が痛くなる事もよくある。でも、付き合っていくしか現代医学では仕方ない。

これは、防御本能でもあると感じる。自分の辛いと感じることを聞かずに済む様に守ってくれているのだと。数年鳴り止まない耳鳴りと仲良くしていくためにはそう感じた方が気が楽だ。

たまにふと気づいた時、風の音が聞こえる時がある。「耳鳴りがしない!」「周りの音がクリアに聞こえる!」そう意識した瞬間から悲しくも耳鳴りがまた始まってしまう。

たまに、数分ご褒美的に世の中の本当の音が聞こえる事が唯一楽しみだ。

揺れる世界

最近は、体幹が無くなって来たのか、以前登れていた普通の坂がまるで登山の様に感じ足が前に出ない。

杖の助けがあっても、足元が回転する感覚がある。ぐるっと180度。突然、急に何度も。

それとは連動しないよと言わんばかりに、頭の中でグニャグニャと体全体が揺れる感覚が追加される。

更にダメ押しで、視界そのものが揺れる。

常にこの3つがバラバラにフラついたり回転する。

よくよく考えたら、回転するスケボーの様な乗り物に、目が回りながら体も反転して坂が登れるか?と思うと無理に決まっている。

たまに心がどうしようもなく辛くなり、杖をついて登り切ることがある。悔しくて悔しくて、周りの人がさっさと2・3分で登る坂を10分くらいかけて登る。

登った先には、ごく普通の景色が広がるが、自分にとっては例え様ないこの上なく美しい景色だ。

記念写真を撮ったりして、「なんて綺麗なんだろう。」とマスク越しに独り言を言ってしまい慌てて黙る事もある。

ずっとその景色を見たい。

大した坂でもないのに、こんなに美しかったなんて毎日歩いて登っている人は幸せだ。

でも、どうしても下らないといけない。

冷や汗かきながら、ヘルプマークを付けた杖でとぼとぼ歩く。

視線が痛い。ヘルプマークを付けて何か意味があるのだろうか?といつも思う。大抵、マークを見て視線が逸れる。

でも、何あった時のために見た目では全く分からない症状なので必要だ。もしかしたら、気にかけてくれているのかもしれないと感謝しつつ、杖とガードレールや壁をつたって下りる。

下りた頃には、冷や汗で無事に真っ直ぐな道にいることを確認する。ずっと足元は回る。

またウォーキング…というより、走りたい。

マラソンではなく、「ちょっと待ってー」と小走りをするくらいな日常が恋しい。

自分では意を決して登って下りた道程を、大変だったね、頑張ったよね、と言い合える仲間がいない。

ただ今日もひたすらに孤独な症状と闘うわけではなく付き合い向き合う。

この時間が有限であると、どこかで信じながら。

出来る事なら、命あるうちに揺れ響く世界から解放されることを願いたい。いつかそんな日が来るのだろうか…またスーパーに行って、荷物を沢山持って帰り夕飯を作りたい。

運転がしたい。電車に乗りたい。

外に出てみたい。今年になって、初詣と1・2回付き添ってもらい買い物に行っただけだ。

怖くてたまらなくなった。そんな日々にさようならをしたい。仕事も精一杯頑張り何か解決策が無いか探している。無力な自分に腹を立てながら。

それでも、仕事が出来ることに感謝し、これを尽くす。

同じ症状がある方に、こんな人もいるよと届けば。こんな身体になってしまった自分を許すためにも。

長文ありがとうございました。



もしもサポートいただけたら嬉しいです。大人になっても親になっても病気になっても、いつでも再スタート出来る。ゆっくりと焦らずに。そんなことを伝える活動のために貯めていきたいです。活用する際は使い道を記事にいたします☺️