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ワガママ判定をやめることの難しさと、その尊さ

ベビーカーに無理やり乗り込む娘

先日、1歳の弟をベビーカーに乗せて
4歳の娘の幼稚園のお迎えに行きました。

最近は、お迎えの時間は暑いので、
車で行くことが多かったのですが、
この日は涼しかったので、少し久しぶりに
ベビーカーでお迎えに行きました。

すると、娘は、ベビーカーに乗った弟を見るなり
「自分も、ベビーカーに乗る!」と言って、
一人乗りのベビーカーなのに
弟を半分下敷きにしながら、
無理やりベビーカーに乗り込みました。

わたしは、「みんな歩いて帰ってるから、
◯◯も歩いて帰ろうよ。」と説得しつつ、
半ば強引に、娘をベビーカーから下ろして、
娘はなんとか歩いて帰りました。

わたしは、「またわがまま言って困るなぁ。」
なんて思いながら娘の姿をみていました。

ベビーカーで迎えに来て欲しくない理由

その翌日の朝、
娘と息子と幼稚園に向かっている時、
娘がぽろりと、

「今日はベビーカーで迎えに来ないでね。」

と、言いました。 

わたしは、その言葉を聞いたとき、とっさに、

「弟を抱っこして迎えに行くのは大変だから、
あなたの言うことばかり聞けないよ。」

と、言いたくなりました。

しかし、
その日はのんびりした気持ちで歩いていたので、
いったん娘の言い分を聞いてみようかな、
と思い、
ベビーカーで迎えに来て欲しくない理由を
尋ねました。

すると、

「ベビーカーを見ると、乗りたくなっちゃうから。」

とのこと。

一瞬、どういうことだろう?と思ったけれど、
少し考えて、
「娘は、自分でもベビーカーに乗るのは
ダメなことだとは分かっているけれど、
見ると自分の気持ちをコントロールできなくて
乗りたくなってしまうんだな。」
ということを理解しました。

発言から汲み取った、娘の成長

このとき、以前、参加した、
モンテッソーリ教師あきえ先生のセミナーで、
以下のような話をされていたのを
思い出しました。

・0〜3歳は、まだ脳神経が未発達なので、相手の気持ちを考えたり、自分をコントロールしたりすることが難しい。
・大人からみると、3歳頃の子どもは、十分に会話が成り立つから、自分たちと同じように自分の行動をコントロールできると捉えてしまいがち。しかし、この段階だと、ダメだとわかっていても、行動を制御できずに、やってしまうことが多い。

この話と、娘の発言を結びつけると、
以下のように考えられます。

・娘は、弟のベビーカーを乗るのはダメだと分かっている。
・でも、ベビーカーを見ると、自分をコントロールできなくて、乗りたくなってしまうのもわかっている。
・だから、本人の対策として、そもそもベビーカーを見ないようにしたい、と提案してきた。

このように捉えると、

娘は、わたしが想像しているよりも、
自分自身のことを、
本当によく理解しているんだな、
と、なんだか感動しました。

もちろん、娘は、
そんなことなんて考えずに
発言していると思いますが、
それでも自然とその発言が出たことに
娘の成長を感じました。

無意識にワガママ判定していた自分

わたしは今まで、
娘が、わたしにとって不都合な発言をすると、
無意識のうちに、
意地悪だな、わがままだな、などと判断して、

「そんなこと言ったら悲しいよ。」や
「それはみんなが困ることだよ。」などと、
声をかけていました。

しかし、娘の発言を、ワガママ判定せず、
「なんでそう言ったのだろう?」と
疑問を持つことで、
娘の成長過程を手にとるように
感じることができました。
そして、これは、
とても尊い瞬間に感じ、深く心に残っています。

「ベビーカーで迎えに来ないでね。」
「ベビーカーを見ると、乗りたくなっちゃうから。」

文字で見てもやっぱり、
ワガママだと判断したくなるこの発言。

でも、「ワガママ」で終わらせなかったことで
見ることが出来た、
娘の切り取られた成長の瞬間。

これからも、できるだけ、
子どもの発言を、ワガママとして終わらせずに、
その発言の理由から推測できる、
今だけの子どもの成長過程を
見守っていきたいです。

なんだかとりとめのない話に
なってしまいましたが、
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。

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