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生きるということの定義

今日、ふと思ったのだけれど、生きる、ということは、人を信じようとする努力だなあ、と思う。

いや、毎日、絶望に近く、がっかりすることもある。

若い人相手の仕事だし、ちょうど思春期。

自分の中のどうしようもない、嵐が吹き荒ぶようなどうしようもないものと闘っている時期に、自分の心のバランスをしっかり取れる、なんて方がどうかしてる、というくらいのものかもしれない。

勉強したいのにその機会がなかなか、という場合もあれば、小さいときから、勉強してきて、勉強そのもののありがたさに気付く余裕もない、という子もいる。

別に、誰がどう思う、なんてことを考える暇なんてなくて、ただもう自分の気持ちをなんとかするのに必死だったりする。

それは、自分を思ってくれている人の存在に想いが至らない、という以前に、自分が自分をどうすることもできない、ということもある。

ただ、信じたい。

たぶん、信じ切るために私は毎日努力しているのだと思う。

信じることは、エネルギーのいることだから。

ものすごく強くならなくてはいけないから。

だから、私は、信じることを貫ける人間になりたい。

信じる、ということが一番強いことだから。

いやいや、油断ではない。

油断して、悪い人の思惑にハマる、なんていうのとは違う。

信じて待つ、ということが、信じて自分は進歩する、そして、誰よりも自分自身を信じること、これが、私なりの人生の定義だと、ふと思った。

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