見出し画像

親としての想い

 この方の10年前は、私にとっては、○○年前になるのだけれど・・・。ずいぶん経ってしまったなあ・・・。

 出会いの中で、一番素敵だったのは○○年前に娘が生まれたこと、そうして、その3年半後に息子が生まれてくれたこと。

 この記事の中のお父さんのお気持ち、私は痛いほどわかる。26歳で親になった私。至らぬことだらけで、しかも、慣れない土地での子育てで、どれほど自分が落ち着かない状態で子育てしてきたことだろうかと反省することしきりである。気候の違う土地で、身体が思うように動かなくて、思うように世話できない自分と闘って、その時のことを想って、のちのちどれほど胸を痛めたか知れない。

 元教員、しかも高校生相手にしていて、もしかしたら、大人相手にしがちな自分が、きちんと子供らしい気持ちに寄り添ってやれているか?と悩んだこともあった。

 しっかりした娘。私が彼女に何かあると真剣に悩むので、彼女はいつしか心配事を自分の胸に秘めてしまうようになったかのようで、何度申し訳ない想いをしてきたことだろうか・・・?

 しっかり者の娘。弟が生まれて、それはそれは喜んだ。やきもち焼くどころではない。大事な大事な弟。どこかに何か重要なことで、1人で行かなければならないときにも、しっかり弟を連れて行った。頼りになる弟。自分が頼っているくせに・・・。弟を守ることで、自分をしっかり保っているようなところもあった。 

 弟は弟で、生意気なことを言いながら、姉を頼っている。甘えている。姉ちゃんがいるから、自分が好きにできるということを分かっていないようだった。そして、自分は姉を頼りにしているくせに、姉を支えているつもりでいる。 

 考えてみたら、一生懸命だった、一瞬一瞬を逃すまいと必死で子育てしていた娘のとき、娘に手が掛かったせいか、ほとんど転がすように育てた息子。この二人は二人で、調子を取っていたらしい。与えられたものから絵を選択した娘と、いろんなことさせてもらえる姉の様子を見て、いろんなことをやりたがった息子。

 どちらも成人してしまって、もう、子育て時代は遠い思い出となってしまったけれど、それでも、今も懐かしく、その楽しさ、その裏にある、なんともいえぬ苦さを覚えている。 

 いつも、自分の至らなさを責めていたような気がする。

 いてくれるだけでいい。本当にいてくれるだけで、親はありがたく、たくさん成長させてもらって感謝している。

 ただただ思う。届いていないかもしれないけれど、たくさんたくさん愛してきたんだよ!ということ。至らない親だったけど、でも、想いだけはいっぱいあって、精一杯やってきたんだよ!ということ。

 愛情を掛けられて育ってきたことだけは、ずっとずっと忘れないでいてほしいと思う。何か起こっても、愛された記憶だけは、しっかりと自分を支えてくれるものだから。

 私も、読書が愛人さんと同じく、本が大好き。本を読むことが好きになってくれて嬉しかった。私より3倍くらい速く読むので、悔しい想いもしたけれど・・・。(笑)

 

もしもサポートしていただけましたら、そのお金は文章を書いて人の役に立つための経験に使います。よろしくお願いいたします。この文章はサポートについて何も知らなかった私に、知らないうちにサポートしてくださった方のおかげで書いています。