見出し画像

積み上げることの大切さ、逃げ続けることの怖さ

家族と言うのはいじらしい努力の結晶だという評論文を読んだことがある。
昭和な時代。
父たちの世代が特にそうではないかと思われるが、とにかく一生懸命に仕事して、お金をお家に持って帰ることが最大使命。できれば出世もしたいかもしれない。そのことが男性らしさとして通っていたような気がする。
まだその名残を持った父親を持った私たち世代の男性は、さあ、どっちに傾くのだろうか?

企業戦士は、私が結婚したころでも、時には午前様で帰ってきて、七時ごろには家を出て行った。
生活を合わせていると身体に悪いからと、婚家から電話があったりした。
新婚生活は大変だった。
慣れない生活。遠いところにやってきて、しかも職場結婚が多く、お茶会でもその話が多かったのに、私は極端に共通の話題が少なかった。

夫は一生懸命にやってきたというけれど、男の人ってこういうものなのか?と思うほどに、小さな齟齬を何とかちゃんとしていこうとは思わない。
姑との間にも入らなければ、ほかの奥さん方とのことも完全ノータッチ。
途中からあてにするのはやめにした。

最近、私たちより若い世代のご夫婦の話を聞いていた。
その話が本当の話かどうかは分からない。
どちらが正しいとかそうでないとかは全くわからない。
でも、目の前で話している人の話を聞いていて、

ああ、私って、うやむやにできず、一つ一つをちゃんと片付けないとダメで、事実そうしてきたんだなあ・・・、と思った。

だから、言ったって仕方がない人には言わずに自分のやり方で片づけてきたし、ちゃんと筋を通してきたから、本来ならできなかったような生活スタイルで日々を送っている。

小さなことが大事だと思う。
ちょっとした気持ちのすれ違い。
子どもたちの教育。
激務をこなしてきて、それで家で子どもたちのことについての相談をされても身体も気持ちも動かないというのもそうかもしれない。
そして、子どもたちのことは全部母親のせいにされる。

かつて、手相と八卦で見てもらう占いをしてもらったことがあった。
それをいいこととして言っているのでもないが、私は、「穀物就実の木」なのだそうだ。だからいろんな人から、こっち来て・・・、と言われるのだそうだ。

そんなこと忘れていたのに、もう何十年も前のことなのに、ふいに思い出した。
どこかで働いたり、どこかに住まったりして、そのどこにも、思い出がたくさんある。そして、逃げるよりも、たくさんあれこれして、思い出が凝縮しているくらいに、そこここに思い出がありすぎるのである。ずいぶん成長もさせてもらった。

昨日、かつて住んだ県庁所在地に行く用事があった。
今いる市よりは都会である。
大都会大阪生まれの私が言うのはおかしいし、かつて初めて住んだ時には、そのコンパクトさがたまらなかった。何よりアマゾンがない時代。本屋さんが少ないことに閉口したし、それより買うお金もなかった。

嫌な思い出もある。超絶辛かったこともあった。
こんなに情けない思いをしなければならないか?と思ったこともあったし、仕事に就こうともくろんだこともあった。

それなのに、戦災に遭ったために大きな道路の多いその街を車で走っていると、

ああ、あそこは○○のときに、~したところだったなあ・・・。

とか、

ここはかつての私の庭だったところ・・・。

などと思っているのに、辛い思いもしたことがあったろうに、すべて楽しい思い出に変わってしまっていることに気付く。

私は逃げない。
しんどくてもちゃんと立ち向かって、工夫してきた。
なあなあにしてきたこともなかった。
嫁だから、なんとなく耐えなさいという雰囲気にも飲まれるばかりではなくて、自分を伸ばせる方向を模索してきた。

昨夜、卒業生と電話で話していて、

先生って、何のかんのあっても、全部乗り越えちゃうから・・・。

と言われ、

だから、自己肯定できているんですよね!

と言われ、

エッ!?自己肯定してるの!?私?

と思わず叫んでしまった。

乗り越えてきた自分を認めているのだそうだ。

たしかに、人間関係調整能力に長けているという夫のへの操縦法も研究した。ある二つのワードがめちゃくちゃ利くということも発見した。
彼は何かを積み上げてはこなかったが、私はあちこちで勝手に積み上げてきた。
人間関係にしても、どこかで無償で何かの貢献をすることにしても、単に仕事にしても。子供たちの所属するチームなどでもそうだった。
だから県内に人間関係がたくさんある。
今更大阪人扱いされると苦笑するくらいに、おそらくは生まれてこの方ここから出たことのない人と同等かそれ以上にこの地のことを知っている可能性もある。

そう逃げずに積み上げてきた。
だからあちこちに思い出とともにあちこちに人間関係がある。
誰に電話したって、

ああ、元気だった?

と言われるだろうことは想像できる。
積み上げるということは大事である。
仕事についても、家のことについても、育児という点においても、親業についても。

表面だけなら親にだってなれれば、婚姻関係上の親子にだってなれる。
でも家族は、構成員の誕生日を祝い、いろんな行事を祝い、プレゼントし、あるいはお土産を買ってきて、家族という確認をしあうのである。
誰かが困っていたり、成長の過程でその節目にあるときは、みんなで協力する。助け合い、支え合う。
そういう積み重ねがあるから家族である。

ドイツ人によるユダヤ人へのホロコーストのとき、別々の収容所に離れ離れになっているにもかかわらず、生存者の組み合わせとして、母と子という組み合わせが多かったそうである。
見えない絆。思い合っている気持ち。

そういう目に見えないつながりってあると思う。
離れていても感じたり、守り合ったりする絆。
共に生活していればなおさらその瞬間瞬間の重なりによって、積み上げていく思いや気持ちがあるだろう。
だから家族なのだ。

互いを思いやる気持ち。
自分さえよければというのではない。
時には説明しなければならないし、助けを求めなければならない。
家族のためにだったら、ほかの誰かに何かを代わってもらう工夫も必要だろう。

そういうことは一朝一夕にできるものではない。
誰が誠意を尽くし、何とかしようと努めたかによって結果も思いも変わってくる。
親が互いに相手の悪口を言わないことも、ましてや子どもたちに言うなどということがあってはならない。
親の苦労を子供に聞かせるのは、虐待の一種であり、明確な定義ではないが、毒親にすら当たる。
親が親同士、男女のパートナーとして人間関係を構築し、恋愛の時期のホットな感情などそうそう続かないから、共に暮らす情というものを育てていかなければならない。それが夫婦である。それが努力である。
片方が大変な思いをしているときに、自分の大変さばかりに目が行き、助けてくれないと不足ばかりを思うのではなく、逃げるのではなく、共に同じ方向を見て助け合わなければならない。

一人で乗り越えた思いというのは、きっと後々になって自分をも逆襲するだろう。

積み重ねること。
かつて勉強で教わった、ちゃんと予習したり復習したり演習したりするように、家族というのも、ちゃんとみんなで取り組まなければいけないものだと思う。

もしもサポートしていただけましたら、そのお金は文章を書いて人の役に立つための経験に使います。よろしくお願いいたします。この文章はサポートについて何も知らなかった私に、知らないうちにサポートしてくださった方のおかげで書いています。