息子を「この子水みたいやな。」と思っていたこと。ー老子「上善如水」
いつも凪平さんの漢文についての記事を楽しく拝読しております。
漢文は、国語の教師をしてきた私にとっては一番遠いものでした。
まずは現代文を指導し、次に古文になり、最後は漢文。
今ではどれもいつ来ても授業したいものになりましたが、でも、それぞれに一生懸命に勉強した時代がありました。
まだ漢文にそれほどなじみがなかったころに、まずは娘が生まれ、ついで三年半後に息子が生まれました。
思わず知らず、それぞれに与えられた条件をクリアしたのちに、私はなぜか漢文から意味を拾い、名前を付けていたのでした。
カンカンに論理的な話が好きだった若いころ。
とはいえ、古文を読むと、どうしようもない日本人の心性、というか日本女性の心性を持つ自分に突き当たります。
そういう恋などしたことがないのに、というか、待つ恋などしそうもないのに、私が恋物語、それも特に『源氏物語』を語るときに、どうしようもなくその女人たちの心に連帯してくのはどうしてなのでしょうか?
自分のことを知っているようで、一番わかっていないのは自分だというのはたしかシェークスピアの言葉だったと思います。
私などきっと自分のことなど全く分かっていないのだと思います。
そうそう、一昨日本当に嬉しいと思ったことが、昨日あたりからまた、ちょっと面白くない出来事に転換してしまい、私は、ダイエット中なのに、調子が悪くなり、お昼に食べていた母のラーメンを(最近母は食欲がないのですが、工夫して作ってあげる、軟らかく煮たラーメンは食べられるのです。)一口もらったら、呼び水を覚まされ、自分の分も作ってしまったのでした。
なんと!炭水化物を吸収したのはおそらく一か月ぶりくらい。
私をしてその禁を犯させる人の力って、すごいなと思います。
もう、その人の我を感じて、痛い痛い。
それだけでは済まず、私は意志が弱いのではなく、わざわざ決意して、スタバに出掛けたのでした。
ストレスマックス。
昨夜22時から卒業生と電話で話すこと一時間半。
彼女も呆れる出来事。
その彼女は先日、ドイツの研修旅行から帰ってきて、教授の勧めでドイツ留学を考えていると言います。
高校の先生からは推薦のない大学受験を止められて、決して賛成されない受験勉強をしていたことを思い出します。
それを宥め賺して指導していた日々の後、大学に進んで大きく羽ばたいている様子です。
そんな彼女だからこそ、後輩を叱りつけた件、そのことが良いことになった件を大変に喜んでくれました。
すごいと思います。
後から、その指導がなかったらどうなっていたか・・・と想像して、また成長するような出来事になると思います。私はそうでした。笑
と送ってきてくれました。
ですが、当の本人に指導が入っているとは思えないような話です。
合格したのもみんな自分のおかげ。
誰かの世話になったとは思えない様子。
面接指導も当然やってもらえるものと思い込んでいる。
塾に来ることの意味を大きくはき違えているのです。
そのことについて相談したのでした。
ええ?彼女、お礼の一つもないんですか!?
あれだけ先生の世話になっておいて?
とびっくりしていました。
とりあえず、親御さんも生徒さんも、誰かが何をしたかだなんて考えてもおらず、もちろん感謝などすることは皆無に等しく、うまくいったらいいだけだと思います。
とはいえ、そこで指導の手を抜けるわけでもなくて・・・。
かつて、何かあったら感謝ばかりしている少年がおりました。
まあね、高校の教師をしていた母からすると、それはあまり外には出せませんが、
いったいなんやねん・・・?
という担任の先生の在り方に接したりします。
そんなときに、ちょっと茶目っ気もありながら、
ねえ、○○ちゃん、あなた、○○先生にお付き合いしてるんでしょ?
と不遜な言葉をかけてしまいました。こういうところ私の至らないところです。
ところが、息子は、
何言ってんの!?ぼくたちは○○先生にお世話になってるんじゃないか!?
と返されてしまったのでした。
これでは母の方が相当徳が足りていません。トホホ。
それからある障害をもった人と楽しいホームパーティをしていて、そこにいる子供たちで、紙風船で楽しい時間を過ごしていました。そこにいた大人たちも嬉しそうにその姿を眺めていたその時、障碍者の子が、その風船を本当に絶妙に壊してしまったのでした。親御さんもいらっしゃったので、その大したことではないけれど、みんなにとってちょっとつらい現実を突き付けられたようなその瞬間、こともあろうに、息子は、自分が率先して、
てへ?あちゃ?あら?
と言って、自分がもっと紙風船をつぶして、自分の頭にのせておどけてくれたのでした。
みんなは息子の姿に大笑い。
本当に助かった瞬間でした。
むしろおばあちゃんからは息子が濡れ衣を負わせることが多いのに、むしろ息子は率先して、その役を引き受け、その場を大笑いの場にしてくれたのでした。
そのときの、とっさの判断。正直、これは生まれもった徳だと、母親ながら思いました。
野球をしていても、監督やコーチから言われていたのは、
キャッチャーとして、あいつの優れたところは、別にお母さんが好きやから言うわけやないけど・・・(笑)(本当に(笑))。
あいつは、送球するときに、相手の取りやすい高さ、取りやすい速さを瞬時に判断してボールを投げるんや。そういうとこは先輩より優れてる。
私はその言葉を聞いて、本当に嬉しかったのです。
いつもお友達や大事な人たちのことを本当に大事にするのです。
人間関係的に、いつも一人でその場に入っていく立場になっても、いろんな人の中に自分から入って行き、みんなのためになることをしては、そうして信頼を勝ち取っていくのです。ありきたりの優等生というわけではなくて、周りを信じているからこその良くないこともして、それでちゃんと叱ってもらって、ちゃんと反省もするのです。
男の子らしく、小さいときにはギャングエイジよろしく先輩やお友達とつるんで悪いこともしました。
単身赴任で父不在の家で、息子の太ももを腫れるほど一回ぱちんと叩き、一緒に関係者に誤りに行ったこともありました。
ちゃんと悪いことをした後の心の痛みも知ってほしかったのです。
実感する前に頭でだけ知って、失敗することを知らない子になってほしくなかったのでした。
隣のチームにも勝手に出かけて行って顔を売ってきます。
まるで人間関係の橋渡しです。
隣のチームの同じ名前の子とダブル○○、などと呼ばれて親しまれていました。
いきなり知らない小学生が表れて、
あ、○○やー!
とフルネームを言って喜んだ挙句に、二人が両方から息子のほっぺをつまんでフニフニされています。隣のチームの先輩だったらしく、家の息子は、先輩にいらわれて、喜んでいるという、なんとも男の子らしいアホな面を見せつけられ、
やっぱり男はあほなんやわ・・・。
とますます尊敬できなくなったのでした。ウソウソ。
ある日、どこでも誰にでも人懐こく親しんでいき、自分にしてもらうことを心から感謝して、後輩にも、先輩、先輩と慕われれる息子を見て、
ああ、この子、なんか水みたいな子やな・・・。
と思い始めたのです。
水と言えば、息子のおじいちゃん、つまりは私の舅が、
家の三代目になるんやから、自分の一字を名前に着けてほしい・・・。
とおっしゃって、私は心底困りました。
だって、その一字は、その当時、もうはや流行らない一字だったのです。
さんずいへんの字です。
反乱を起こしたかったのですが、そうもいかず、父に、
おまえ、そういうことは言うことを聞いておくものや・・・。
とのことで、私は辞書に首っ引きで、もう一字なり二字なりを探したのでした。
そのうち、娘と同じ音の字が、音律的に画数的にもうまく当てはまるということがわかりました。
でも、女の子と男の子に同じ漢字をつけたくないなと思い、探しに探すと、ふと先輩が同じ音の字の感じのお名前だったことを思い出しました。
いい思い出のない方で、私が母校を嫌うきっかけになった方の一人でした。
そうそう、そういえば、昨日電話していた卒業生の大学の先生も、私と同じようなことを言ってらした方がいらっしゃるそうです。
大阪のよく似た進学校ですが、そちらの方がもう少し極端な進学校です。
その学校に行ったら、素敵な人がたくさんいるだろうと思ってたら、全然やった。電車に乗っても、私ら女子が一生懸命周りに座席を譲ってても、我先に座席を探して座るような奴ばっかりやった・・・。
と言われて、
そうよ、そうよ!私がいつも言ってるのはそういうことなのよ!
となりました。
大きな楽器を運んでいても、その先輩は、女子をかばうわけでもなく、むしろ後輩の女子に負担になるほうをさっと持たせるような人でした。
だから、どれほど優秀でも、先生方から受けが良くても、私は嫌い。
私のことを、まあ、おっとりしていたからでしょうが、
ほんまにお前は〇高生か!裏口ちゃうか!?
と言われましたが、今思えば、先輩に品がないだけ。
性質が下品なのでしょう。
だって、体力的には違いがあります。
女性に重たいものを積極的に持たせようなんて、そんな人に魅力を感じるわけがない。
どれほどの業績を上げようと、品のない人は嫌いです。
その先輩のお名前の一字が、なんとぴったりにはまりました。
ええー!?
と思いましたが、
まあね、頭だけはいいわけやしね・・・。
ということで妥協の一字をいただきました。
とはいえ、字には罪はありませんから。
詠嘆の一字をつけて、わが息子の名前は、
ああ、なんとすがすがしいことよ・・・。
という意味になりました。
わかる人にはわかっていただいて、
ああ、○○ですな・・・。
と国文科出身の人からは私の気持ちを汲んでいただきました。
そののち、その名前の意味と、息子の言動が結び付きました。
その後、私は以前よりも老子の思想にはまり、それまで好きだった、知的なアプローチと相対的に物事を捉える荘子よりも惹かれるようになりました。
偉大なるかな、老子。
わが子の言動を見て、まるで水みたいだな、だなんて、どこかで水は上善のごとしという言葉を読んでいたのでしょうか?
それとも、西洋占星術で、地の星座の人にとっては水の星座の人は、地にしみこむ水のように相性が良いと言われることからでも連想したのでしょうか?
それでも、いつでも人間関係のバランスを思い、自分の言動をしっかり見極めていた小さかった息子の姿を、私がどれほど頼もしくいとおしく思っていたかを思い出すのです。
大人になってからそういう人に巡り合っても、その方の育ってきたその過程をどういうものか思うでしょうが、何を教えもしないわが子の姿からそれを連想するなんて、もしかしたら不遜かもしれませんが、それよりも、そう連想できた自分のしあわせを思うのです。
生まれたときから、息子をして、
ああ、これで家のメンツが揃った・・・。
と思わせられるほどの存在感でした。
どこか才気煥発の娘に対して、おとなしくて、こちらの気持ちが落ち着くような子でした。
それでも、小さいながらに家族は僕が守るとでも思っているように、誰が教えもしないのに、家族のために動いてくれました。
小さなことですが、児童クラブから春のボーリングに出掛けた時、障碍者のお友達と、卒業したそのお姉ちゃんが行くことができなかったのを申し訳なく思っていたのでしょう。自分がもらった図書カードをそのお友達のお家に投げ入れるようにして、
これ、図書カード!
と渡してきたらしいのです。
家に来ていたその子のお姉ちゃんにも、
○○(何気に呼び捨て。)、これ食べー。
と言って、その子に自分のお菓子をあげています。
息子としては、その人間関係的にボーリングに行かないわけにはいかない。でも、そうかといっていけない友達が気にかかる。
だから・・・、ということだったのでしょう。
みんなでバイキングに出掛けた時も、夜の八時からローストビーフが提供されると聞いて、大きなお皿に入れてもらう列に並んで取ってきて、家族に、
これ食べて!
と言ってくれるのです。
立身出世も大事です。
誰かを押しのけて自分が向上することも大事なことかもしれない。
それが自分の大事な人を守ることにつながることもあるでしょう。
でも、自分の周りの、身近な人を大事にできなくて、大きく人を大事にすることはできないと思います。
小さなことができない人に大きなことは任せられない。
人が表れるのは、言語化しにくい、そういう、目に見えないところに表れるものだと、私は思っています。
信頼を得るのは長い時間が掛かる。でも、信頼を失うのは一瞬で足る。
そしてその信頼を得るために、見えないような一瞬一瞬を大事にすることって大切なことだと思うのです。
それがその人のなんとなくの雰囲気、つまりは徳になるのだと思うのです。
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