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占いは非科学的ジンクスとして嫌悪感を持つ人も少なくありませんが、東洋運勢学のベースになっている「陰陽五行論」は、古代から東洋の基層文化に深く根付いています。

ホロースコープ(占星術)の世界では、第一次産業革命以後200年続いた、物質文明を象徴する「土の時代」から、精神的豊かさを追求する「風の時代」へ移行しました。

AI(人工知能)が人類の頭脳労働を脅かしていますが、ひとの優しさや情愛など感情移入には至っていません。

東洋運勢学には、人が生きてうえで必須の、永久不変のセオリーが息づいています。一度しかない人生です。悔いのない人生を歩むためにも、運勢学の智慧を活用していただくことを渇望しています。

私の寿命は、日本人男性の平均寿命まであと少ししか残っていませんが、人生の晩年は衰退ではなく、これまでの人生において継続してきたものが、ようやく花開く収穫の時期だと思っています。

私がライフワークにしている東洋運勢学は、奥が深くて私が存命中にゴールに到達することは不可能です。少しでもゴールに近づくために、私は常日頃から130歳まで現役を続けると公言しています。


旧約聖書によると、最初の人類アダムからのノアまでの10世代は、900歳までの長寿を全うしています。醜い争いを繰り返す人間を懲らしめるために、ノア(ノアの洪水)の時代から、120歳に寿命を地締めたそうです。

数年前からブームになっているヒトゲノムですが、これまで解読できなかった8%が、1昨年解読できたと話題になりましたが、これによって長寿遺伝子が発見されれば、人類は1000歳まで寿命が延びるそうです。

私たち人間の原動力なっている心臓は、1日に約8万回脈を打っています。80歳を過ぎた私の心臓は、約20億回以上も脈を打ち続けてきました。

神秘的なメカニズムをもった人体ですが、脳の寿命は本来300年もあるそうです。残念ながら骨の耐用年数が125年しかありません。でも人間の臓器をパーツのように交換できる、サイボーグ人間が現れる可能性が目前に迫っています。


コロナパンデミックやウクライナ戦争で、世の中の景色は一変しています。人工知能で人々の仕事の大半が、コンピューターに奪われる時代が来ています。

仕事だけでなく、私たちは自分のことについて(自分の自は自然、分は分身)、どれだけ知っているでしょうか。フランスの画家・ポール・ゴーギャンは、「人はどこからきて、どこへ行くのか」と、人類の永遠のテーマにについて疑問を投げかけています。

人生には不確定要素が多く含まれています。科学万能の時代ですが、今の科学では運命とチャンスを専門に研究する学問がありません。運命を計測するためのプロセスが、現代科学では説明できていないのです。「運命を知りたい」それは人類の切なる願い、究極の欲望だといえます。


ところで皆さんは、運命と運勢、運気の違いについて説明できますか?

運命・宿命とは Destiny
人間の意思とはほとんど関わりなく、一生の間に巡ってくる吉凶・禍福のことです。「運命論」といえば、人間のすべてのことは超人間的な力によって、支配されている考える思想のことですね。

運命には宿命的な「先天的運命」と、「後天的」な運命の二つがあって、この二つが一緒になって、総合的な運命を表しています。東洋運勢学の王様と言われている「四柱推命」では、生年月日で表す誕生命式は、自分の意志では変えられない先天的運命(遺伝子のようなもの)、後天運は10年ごとに転機を迎える「大運」と、1年ごとに巡ってくる干支(歳運)が、後天運になります。

運勢とは Fortune
運命が大局的な立場からの表現だとすれば、運勢は局所的なものです。今年、今月の運勢は強いといっても、今年、今月の運命は強いとは言いませんね。運勢とは運命の断片的なもの、運命におけるある期間における勢い、働きのあり方をいうのです。

運気とは Luck
天気、空気、元気、英気、才気などの気。気は万物が生成する根源の意味があり、運気はその意味から、運命の根源的なもの、質、傾向の基を表しています。資質も運気の一つの異名になります。

例えば今年の運勢とは、運気の働きを言いますが、今年の運気といえば、今年の運勢を左右する根源的な原動力となる要素で、いわば「兆し」「運命的な可能性」とも言えます。

今年は結婚する運気があるといえば、潜在する可能性が存在するということで、それが実現するかどうかは別問題です。運気を「気の機会」と見ることもできます。

機会はあっても、それをキャッチできるかどうかは別問題で、それを掴めるのは、運命の働きとともに、その人の努力と力量によるものです。

 東洋運勢学ではひとの運勢は、生まれたその日から動き出すと考えます。よく「あの人は銀のさじをくわえて生まれてきた」とか、「私は悪い星のもとに生まれてきた」などと言いますが、自分の意志では変えられない生年月日は、運命・宿命だと言えます。星という字は、生まれた日と書きますね。それでは、悪い星のもとに生まれた人は、一生浮かばれないのでしょうか。

 宿命(生年月日・両親)は変えられませんが、運勢や運気の後天運は自分で操縦することが可能です。人は社会性をもった環境の動物です。どんな本に出会い、友と出会い、師と仰ぐ人と出会ったかが、人生の分岐点になります。

 さらに私たちの体は「気を容れる器」です。(道教のカリスマ老子の言葉、宇宙は大きな人体、人の身体は小さな宇宙)犬や猫などの動物、草花にも体内時計があるように、人の身体も大地の磁気に影響され、腹時計という自然の循環を察知する受信機をもっています。

あとからやってくる運勢(後天運)を自在に操って、自分の人生は自分でデザインしていくべきです。チャンスは誰にでも公平に訪れますが、準備をしていないものにはせっかくのチャンスを生かすこともできません。「果報は寝て待て」は絶対にありえないのです。


進化論で有名なダーウインは、「生きることは進化することだ」といっていますが、変化は突然ではなく、小さな努力の積み重ねで生まれます。(人が持っている最大の特徴は、動機づけ、ワークモチベーションがなければ機能しないことです)

個性(キャラクター)も不変ではなく、毎日変わります。自ら変える勇気を持つことです。人間はつくられるものであって、生まれるものではありません。脱皮しない蛇は死にます。失敗は人生の免疫をつくるもとです。

 悩み迷いのほとんどが、人間関係の軋みから生じていますが、自分や相手の気の流れを知ればストレスを溜めることもなくなります。

占い師の使命は、運気のボタンを掛け違った人の修正をすることと、自然界から与えられた好機を逃がさないように、タイミングを測ってお伝えすることだと自覚しています。

占いという職業は、AI(人工知能)や、ITテクノロジーで職を奪われる時代になっても生き残る、ミッションを担っていると確信しています。なぜなら私たち人間の本質(心・精神)は、科学技術ほど進歩していないからです。

ある科学者は、「感覚のあるものは、過酷な世界で生き抜くために、原始人たちが自ら身につけた能力だった。だが今日では、そういう感覚は私たち人間の中で委縮するか眠っている」と、言っています。

古代人のもっていた霊的感性が退化しているのです。科学万能の世界に慣らされ、道具なしで生きられないほど、他の生物より退化しています。多分道具なしでは、現代人の生存能力はゴキブリにも劣るでしょう。

 東洋運勢学では太陰太陽暦(干支歴)を用いますが、この干支歴が渡来したのは推古12年(602)です。その時に占いの書「奇門遁甲」が、ラクダや羊、地理、天文の書と同時に、中国からプレゼントされました。干支歴は日本の権力者が一番欲しかったものです。

それまで暦がなく、日本の正式な歴史書も編集できなかったからです。干支歴が渡来した100年後に「古事記」(正確には712年)が出版されて、そのまた8年後(720年)に「日本書紀」が編纂されました。

神武天皇が樫原神宮で即位したのが、紀元前660年2月11日(現在の建国記念日)と定められました。

 古事記が世に出されると同時に、天皇の直轄機関に「陰陽寮」が設置されました。寮とは今でいう庁や省と同じ政府機関です。安倍晴明など占い師の大先輩は、れっきとした国家公務員だったのです。

陰陽寮は明治新政府ができるまで続きましたが、今でいえば宮内庁や国土地理院、気象庁、文部科学省などを包括した役割を担っていたことになります。

 干支歴は明治5年1月に、現在のグレゴリオ暦(太陽暦)に改暦されましたが、そこから自然の移ろいと暦との誤差を生じるようになりました。

旧暦と新暦の差は約1か月ありますから、「立秋」は新暦では8月7日、夏真っ盛りで、秋の気配は感じられません。

旧暦では見ると9月7日になります。7月7日の七夕祭りも新暦では梅雨のさなかで、けん牛、織姫のデートも雨で天の川が渡れません。七夕は旧暦では8月7日になります。有名な仙台の七夕祭りは8月に行われますね。

干支歴は自然の循環に合わせて作られていますから、太陽暦では自然の循環にシンクロしていないのです。

 干支歴は二至二分四立二十四節気で成り立っています。古代中国人が高さ1m80cmの棒杭を立てて(日時計)、太陽の公道を地上の影で観察し、24分割(二十四節季)して作成したのが、干支歴です。約2000年前に太陽観察だけで計算された、1年365日の暦は現在も使っていますね。

ところで皆さんは、ご自分のエトを知っていますか。エトとは天の気の十干と、地の気の十二支がワンペアになってできています。

十二支も動物ではなく、本来は人類に幸福をもたらすと見られていたジュピター(木星)が軌道を一周する、12年を数える数詞として生まれたものです。

 宿命(生年月日・両親)は変えられませんが、運勢や運気の後天運は自分で操縦することが可能です。人は社会性をもった環境の動物です。どんな本に出会い、友と出会い、師と仰ぐ人と出会ったかが、人生の分岐点になります。

あとからやってくる運勢(後天運)を自在に操って、自分の人生は自分でデザインしていくべきです。チャンスは誰にでも公平に訪れますが、準備をしていないものにはせっかくのチャンスを生かすこともできません。「果報は寝て待て」は絶対にありえないのです。

 悩み迷いのほとんどが、人間関係の軋みから生じていますが、自分や相手の気の流れを知ればストレスを溜めることもなくなります。

占い師の使命は、運気のボタンを掛け違った人の修正をすることと、自然界から与えられた好機を逃がさないように、タイミングを測ってお伝えすることだと自覚しています。

人類発祥のときから営まれてきている、占いという職業は、AI(人工知能)や、ITテクノロジーで職を奪われる時代になっても生き残る、ミッションを担っていると確信しています。

なぜなら私たち人間の本質(心・精神)は、科学技術ほど進歩していないからです。

 人生100年時代ですが、生涯現役を貫くためには、高校や大学で学んだ知識だけで生きていくことはできません。

コロナパンデミック以降、世界の風景は劇的に変わりつつありますが、最先端技術にキャッチアップするのも限界があります。

 旧きを訪ね新しきを知る(温故知新)という言葉がありますが、東洋運勢学はどんな時代になっても人間を幸せにする知恵にあふれています。2000年3000年も生き続けてきたのが、何よりの証です。

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