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死んだときのリザルト画面

はじめまして、ひきこもごもと申します。

メディカルソーシャルワーカーを中心としたひきこもり支援に関する任意団体「ひきこもごも」と申します。 支援員視点と、元当事者のメンバーによる、ひきこもりの状態にある方のいまと、気持ちを一緒に考えています。
いままでひきこもりの方、そのご家族、現行の支援とその課題、支援者のあり方を発信してきました。

今回は「死んだときのリザルト画面」という内容をお伝えします。

死んだときのリザルト画面

リザルト画面という単語は、強迫性障害を持つ男性のインテーク時に初めて聞いた単語でした。10代の不登校の男児で、親が課題感をもって相談に来たことがきっかけで私が派遣され、ご自宅に訪問した際は、家の中のあらゆる手を触れる場所(ドアノブ、リモコン、カップの持ち手)にラップが巻かれていました。本人は洗面所で手を洗っているという話で親御さんと1時間程お話をして、その後、手を洗い終えた本人とお話をしました。
学校に行きたくない、行く理由がない。パフォーマンスが悪い。「支払う嫌な思い」と、「得られる幸福」が釣り合っていない、という主訴でした。

リザルト画面

FPSゲーム(ゲームキャラクターの視点になって戦うゲーム)の対人戦(複数のユーザーがオンライン上で集まって対戦するモード)において、結果発表のような形で、今回のプレイ内容をまとめた数字を表示する画面のことをリザルト画面というそうです。
・倒した回数/倒された回数
・与えたダメージ/受けたダメージ
といった自身のプレイを反省し次の成果につなげるデータとして活用するそうです。

人生もそのような集計がされていて、死んだときに表示される画面に、「支払った苦痛」と、「得られた喜び」があり、そのレート(パフォーマンス)が悪いことはしたくない。

というお話をされました。一見、哲学のようにも見える考え方ですが、精神福祉としてはどう見えるでしょうか。支援者によると思いますがわたしは統合失調症などの妄想の固着のような、なんとも言えない極論・空論感を感じました。被監視妄想のリスク状態にも見えますが、本人は通院されているご様子ですし私は鑑別するような立場にはないので彼の病理的な状態はさておきヒアリングを行いました。

複数の課題感も。

学校の勉強はわからない。聞いていられないから寝ていた。友人等は必要ない。教員からは嫌われていて信頼関係がない。という本人の気持ちや状況が見えてきました。(嫌われているという表現も被害妄想的と言えるかもしれません)

復学が私に期待された役割

わたしたち支援員は、徹頭徹尾こどもに寄り添い伴走します。
しかしクライアント(費用負担)は親御さんになることがほとんどです。
つまり支援員は「クライアントから期待される役割」と「いまこどもに対してしてあげられること」の板ばさみになる運命にあります。
今回の場合、親御さんは不登校に悩んでいて、相談機関を紹介されています。つまり解決して欲しい課題は不登校です。
しかしいまこどもがおかれている状況は、もっと手前の段階で、学習の遅れ、孤立、ラポール形成(信頼関係)の欠如など、このまま復学だけを達成してもすぐにもとに戻るか、いやな思いを重ねるような結果が想定される状況です。
私たちはまず友人としてみなしてもらえる関係性を育むことから始めます。

切れた関係

親御さんは性急に結果を求めていました。学習の遅れに特に危機感を感じていた親御さんは、すぐさま復学する必要があると感じていたのではないでしょうか。我々の支援がさぞ左顧右眄に見えたことでしょう。訪問の約束にキャンセルがあったあとに、次回の相談がありませんでした。医療でいうところのインフォームドコンセントが充分ではなかったか、あるいは説明を聞いた上で納得できなかったかもしれません。後日聞いた話によると別の機関と関係を持ったそうです。この業界は一応競合他社があり、経営層は市場を気にしていますが現場は他機関との横のつながりを大切にしています。今回わたしとは縁がなかったわけですが、今回の私の冗長さは、次の相談機関で同じ思いをされたり、あるいは希望に近い支援を得られた際に無駄ではなくなると信じています。

印象にのこる単語

数えきれない支援を日常にしているわけですが、それでも印象に残った言葉はなぜか忘れません。この死んだときのリザルト画面という単語も10年以上前に1回言われただけなのですがいまも印象に残っています。

ひきこもりには理由がある

「親がしてはいけないこと」と銘打ち「ひきこもりには理由がある」を合言葉に、いまひきこもっているひとが、いまどういう状態なのかを考えています。ひとは理由なくひきこもりません。根源的な課題解決なしに性急に回復したような状況だけを求められてしまう当事者はたくさんいらっしゃいます。その環境出力だけを達成しても予後がよくない傾向にあります。いまどういう状態なのかをきちんと考える事で、一時的な状態変化に惑わされず、いま必要なものが考えられます。
当事者にとっても、家族などの身近な伴走者にとっても、理解してほしい、一度考えてほしい内容になっています。ご一読くださいませ。


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