夏の暑い日に汗だくで居場所に来て、悲しくなった話
こんにちは!
ひきこもりの生きる道@茨城です。
先日のとある暑い日にふと、僕が保健所のひきこもり当事者の居場所に参加した同じ暑い日の出来事を思い出しました。
あの時は恥ずかしくて、悲しくて、惨めで、ショックだったな…。
というわけで、今回は「夏の暑い日に汗だくで居場所に来たら、他の人は涼しい顔をしていて悲しくなった話」を書いています。
※あくまで個人の経験と体験に基づいて書いた記事なので、ひとつの見方として読んでいただければ幸いです。
なぜ、居場所に来るのに汗だくになっていたのか?
暑い日(最高気温33~35℃)に自宅から自転車で30分以上かけて居場所が開催されている保健所に来ていたからです。
僕は特別汗っかきというわけではないですが、夏の暑い日に自転車をこいで来ると汗がしばらくは拭きだしてきて、止まらなくなります。(身体が体温調整するため)
好きで自転車で来ていたというよりは、やむを得なく居場所に来るにはこの手段しかないからという感じでした。
そもそも暑い日に自転車で来るのは無理がありますからね。
なぜ、他の人は涼しい顔をしていたのか?
汗だくの僕を見て蔑んで涼しい顔をしていた…というわけではありません(笑)
他の人は暑いの日に居場所に来るのに適切な手段を使っていたからです。
夏は車でエアコンを効かせていても暑いですが、直接外に出る時間は短いので自転車で来た僕のように汗だくになることはないです。
他の人のあまり汗をかいているように見えない姿を見て、僕は涼しい顔をしていると表現しています。
ひきこもり当事者が自分の車を持っていることについて
他の都道府県の状況はわからないですが、僕の地元である茨城県は公共交通機関が不便で車が県民の足となっているので、ひきこもり当事者でも自分の車を持っているのは珍しい事ではないです。
それでも車を持っていない立場からすると、車は税金や保険という維持費がかかるのでひきこもり当事者が持つのには負担が大きいのでは?という疑問もあります。
人には色んな事情があるので、僕は自分の車がある=恵まれているとは安易に考えずに単に人はみんな自分の置かれている環境にあるものを精一杯使ってい生きているだけ、と思うようにしています。
おそらく、自分の車で居場所に来ている人は車がなければ居場所に来れない事情(住んでいる場所とか)があるからです。
なぜ、汗だくは恥ずかしいのか?
自分の汗だくの姿を人に見られるのは一般的にも恥ずかしいものだと思いますが、ここでは僕が汗だくで恥ずかしい理由を挙げてみました。
さらに僕はひきこもっているうちに恥の意識が強化されてしまったように感じます。
1人だけ汗だくの姿が恥ずかしいのとひきこもりで強化された恥の意識のせいで、当時の僕はすごく惨めで嫌で「早く汗よ引け!」とひたすら念じていました。悲しくてその場から消え去りたいとも思っていました。
なぜ、ショックを受けたのか?
汗だくの姿が恥ずかしくて惨めという感情の他に「汗だくなのは自分だけ?」という状況に酷くショックを受けました。
ひきこもりなる人というのは世の中や社会の少数派になってしまった人が多い気がするのですが、その少数派が集まる居場所においても自分は少数派になってしまうという事実に衝撃を受けました。
僕はひきこもりの前に茨城県の中の少数派でもあったんだ…。
そして同じひきこもり当事者でも確実に格差はあるということを嫌でも実感させられました。
居場所に頑張って行く価値はあるのか?
僕のように暑い日に熱中症リスクがあっても居場所に行く価値はあるのか?ということについて考えてみます。
当時は僕は居場所に対して漠然とした希望を持って参加していたので、モチベーションは高かったし、暑い日にリスクを冒しても参加する価値は感じていました。
保健所でまだ居場所を始めたばかりで、力を入れていてやる気があったというのも大きかったです。
一方で今の僕は色んな居場所と関わることで「居場所の限界」を知ってしまったので意見が異なります。
支援者や居場所の運営者が気づいているのかはわかりませんが、僕は居場所はあくまで気休めで当事者を救う手段にはなりえないと思っています。(何かのきっかけになる可能性はあります)
というわけで、今の僕は「暑い日にリスクを冒してまで行く必要はないし、無理していく価値はない。行ける時に行くだけでいい」という意見です。
居場所は過度な期待をせずに利用すれば貴重な資源ではあるんですけどね。
こうして現状の居場所の利用イメージを挙げてみると、「何とかしたい!」という強い焦燥感を抱えている当事者には適さないのかもしれませんね…。
居場所に来るための補助でもあればいいのに
せっかく保健所という行政が居場所をやっているのだから、様々な状況の当事者が公平に来れるように交通費の補助でもあればいいのに…と思います。
昔の僕のように無理して自転車で30分かけて来たり、親に送り迎えをしてもらったり、自分の車がないと来れない居場所っておかしくないですか?
ひきこもり当事者はたとえ親と同居していても自分が使えるお金に困っていたり、交通手段(足)がないから遠出できないという人が多いと思うので、行政がやっている居場所だからこそ、より困った状況にある当事者が来られるようにして欲しいです。
実際はこんなに上手くはいかないでしょうけど、居場所に来たことで何人かに1人(その人の状況にもよる)は運良くきっかけを得て社会復帰する人が出てくると思います。
つまり長い目で見れば交通費の補助をしても行政は損をしないのではないでしょうか?
あ、でも実際に交通費の補助をする制度が出来ても行政の申請手続きや審査が複雑すぎて、当事者がほとんど恩恵を受けられないオチはありそう…。
まとめ
今回は過去の僕が夏の暑い日に保健所の居場所に汗だくで来て、恥ずかしくなってショックを受けた感情と理由を丁寧に分析してみました。(少し話が散らかり気味だったかもしれません…)
ひきこもり当事者は置かれた状況や家庭環境によって、どうしても格差が生まれたり少数派になってしまう人が出るので、せめて居場所や支援の場では公平になればいいな…と願っています。
今回も最後まで読んでいただいて、ありがとうございました!
ブログにも僕が保健所のひきこもり支援を利用した感想を書いていますので、こちらもよろしかったらどうぞ!
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