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大切なこと

 経験談が続いたので、ここでひとつぐっと抽象度を上げた話を書いてみたいと思う。

 僕はこれまでお客さんとの距離が割と近い場所で演奏することが多かったし、たまにインタビューなんかをしてもらう機会もあったりするので、自身について他者から色々と訊ねられて、答えなきゃいけない時がしばしばある。「ケーナを始めたきっかけは?」なんてのはこれまでに数千回は訊かれていることだから、もう決まったいつもの内容を、所々端折ってみたり、少しばかりドラマチックに語ってみたりしながら、自分自身も飽きないように答えるわけだけれども、正直なところ、されて困る質問というのが実はいくつかある。

 例えば、「この音楽(曲)にはどういう意味があるんですか?」とか「今日のコンサートで伝えたいことは何ですか?」とか、この類の質問にはどうしても閉口してしまう。言葉では答えられない、というより、言葉にならないから音楽にしている。音楽で考え、音楽で表していることを、言葉にしてしまったらやはりずれてしまうし、下手をすると嘘になる。かの黒澤明さんが新しい作品を発表する度に決まって受ける「この映画はどういう作品なんですか?」という質問に、「映画に全部描いてある。映画を観てくれ」と答えたのは、気難しい態度でも質問者を小馬鹿にした振る舞いでもなく、とても誠実で真摯な姿勢の現れなのだと思う。

 もう一つ、これは上のとは逆に、答えを探し求め続けているがゆえに、容易に言葉にならないから答えにくい質問なのだけれども、「(音楽家として、もしくは人として)大切にしていることは何ですか?」といった問いかけがある。投げかけるというよりも、差し出されるように、しばしば静かに、しかし何かをこちらから引き出そうとする確固たる意志を持ってなされるこの手の問いかけに、僕はこれまで、その都度に言葉を選んでは、様々な答えを返してきたかもしれない。
 実は今日こんなことを書いているのも、不意にこの質問を身近な人からされたからに他ならないのだけど、やっとここ1、2年ぐらいで自分でもだいぶしっくり来る答え方が出来るようになった。
 今朝の僕はこう答えた。
「何も生み出していないのだという事実をしっかりと受け止める謙虚さを持って、自分が産まれ、いつか還っていくこの世界(地球)を大切にすること。そして美が人々と共にあり続けるために、自分自身の生命をアートとして生きること。」

 エクアドルの画家オズワルド・グアヤサミンさんが暮らした家は、彼が亡くなったあと美術館になっている。僕はここの美術館が本当に大好きだ。庭には大きな木があって、そこに彼は眠っている。風鈴や風車がたくさんぶら下がっているその大樹は、風が吹くと何とも言えないきらきらした音を奏でる。訪れた人はそれを見上げ、「あ!グアヤサミンがやってきた!」と言って喜ぶ。僕は、彼のたくさんの作品や今もなお創作の力漲るアトリエよりも、肉体を離れて風になった彼自身に感動する。

 僕もきっと音そのものになりたいのだ。


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