性別不合 何百万、何千万と積んでも手に入らない 健康
ども、洸です。
先日 Xのフォロワーの方が 東北へ用事のついでに おいでになりました。
そこでお話しした 一幕。
▽
「戸籍の一文字を変える程度のことに、手術は 要らない。
どうしても手術が必要な人は してほしい。したい人はして、しなくていい人は それでいいの。だって 健康な身体だよ?メスを入れた後 健康でいられるか保証は無いの。手術しないで済むなら、それが良いに決まってる。」
「私は脊椎狭窄症で、3分立っていれば 脚先が痺れてきて、5分経てば 立つのが苦しくなって、10分経てば ぐったり寝たきりになってしまうんだけど。
手術による治療法はあるけど、脊椎を痛めて むしろ今より悪くなる可能性もあって。今より悪くなるくらいなら、と手術しないでいる。
少し触るのだって めちゃくちゃ医師は慎重になる。」
「なのに 性別のことになると、どうして気軽に手術をすすめる?」
「戸籍を変えても身体を変えないなら認めませんという人がいたけど、あの院長だって なんぼ金を積んででも 健康が欲しいと言って、手に入れることができない。
奴らは何百万、何千万と積んで それでも健康を手に入れられないのに、赤の他人に 健康を害すようなことを 平気ですすめる。どうして医師がそれを言うのか。
どうして健康の価値が 分からないのか。
あれほど欲しくてやまない 健康。
一度でも失ったら、もう手に入らない 健康。
私には分からない。」
▽
「胸オペ、失敗したり後遺症が出るほどの手術じゃないとは聞くけど、何も無いように。」
と だるま をいただきました。
昨日は おめめ を入れました。
追記 : だるま に私が考えたこと
健康 の定義とは何でしょうか。
外から見て健康であるように見えて、本人が不健康であると思うなら健康ではないし
また「疾病がある」=「健康ではない」ということにも 必ずしもなりません。
本人が 健康であると思うか にかかるように思います。
このため 上記の話の通り 状況により、本人の考えによっては、治療をそれ以上望まない場合と、それでも治療を望む場合が 出てきます。
「健康な身体を傷つけなくていいんだよ」というようなことを 時たま言われることがあります。
個人的に、私は 首をかしげることがありますが、特に訂正というか、するつもりがないので そのまま言葉を受け取ります。
どちらの考えが 正しい、と決めて両者 納得に行き着くには、この場合難しい と私は考えるからです。
いずれにせよ 私が胸オペを受ける意志は変わらない。
しかし終盤に出てくる だるま は 私の選択に対する 尊重、理解という意味があるように、私は感じました。
うまくいきますように。
この点で 気持ちは一緒です。
右の おめめ を入れる日は いつになるでしょうか。
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