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なんでここまでやるかな。

農家ではないのに畑に入り浸りの嶋田です。


採種(種とり)

関東はまだ梅雨入りしていないようですが、にわか雨も多くて、今日は晴れ間の隙間の終日雨。カンカンに晴れる日というのがほとんどない5月末、6月初旬の印象です。

やっと乾いた種もちょっと氣を抜くとびしょ濡れになり完熟が遠のきます。

びしょ濡れになる前に少し採種。

とはいえ、正直、まだ畑に置いておきたいくらいなんですよね。種にも熟成が必要。だけどその前に濡れてしまうと鞘の中でカビてしまうこともあります。なので採れそうなものだけチマチマとってきました。

グリーンピース、カブ、キャベツ、ブロッコリー。

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ダイコンは黄色くなってたから平氣かなぁと思ったけどまだ乾ききっていませんでした。

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この種たちはみんな次のシーズン用です。

乾燥剤と一緒に封筒へ入れ、冷蔵庫で保管をしておきます。そうです。我が家の冷蔵庫の野菜室の一角は種保存BOXが鎮座しています(笑)



やる、の裏がわ

それにしても、こんなことを自分でもよくやるなぁと思うのです。

種の値段って、高くても500円くらいかなと思います。(わたしが今までで1番高かったのが524円。ただし比較は難しくて、1袋あたりに入っている種粒数はまちまちです。)

種の寿命は1年から2年がスタンダードなので、2年使えば高くても300円くらい?ならば毎年買っても良さそうなものですよね。

固定種の種を買って栽培したものだって「固定種野菜」ですからね、そうやって謳っても大きな問題はなさそう。(本来固定種というのは代々種が引き継がれているものをいいます)

実際、慣行農家さんは毎年F1種の種や苗を買っています。もちろん価格は無農薬種子や苗より安いことも多いので慣行農家さんの方がコスパが良いからできる、ということもあるのかもしれません。
野菜を栽培して売る。
これを考えればコスパは大事な要素です。


わたしは野菜を栽培して売ることを生業にしていません。農を業にしていないんですね。だったらなぜわたしは種を採ることまでしているんだろうか。と考えてみました。なぜ、育苗までしているのか、と。

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やりたいからやってるんです!
なんて無責任なことは言いません。そんな若くもない笑


やっぱり本当の安全を守りたいんですよ。子どもたちのために。子どもたちの子どもたちのために。次世代のために。

ワク○ンのこと、種子法のこと、ゲノム編集のこと、農薬のこと。入ってくる情報は本当に怖くて恐ろしいです。本当に人間が決めているのかと。未来を考えているのかと。
温暖化、原発による汚染、自然破壊。今の地球に夢や希望なんて全く持てません。

そんな未来を、地球を、子どもたちに残さなければいけないことに、わたしは憤りすら感じることもあります。


だけど。

子どもたちには「生ききる」をしていって欲しい。

それは生命を長らえるということではなく、そのいのちがそうなりたい方を生ききって欲しいということ。


そのためにちょと先に生まれたわたしができることがあるならば、伝えられることがあるならば、

それは、我が子をどんな世界でも生きることを諦めない人間に育てること。自分を生きる強さを育てておくこと。

そんな地球に生きることを「どうせ」と思うのではなく「だからどうしたいんだ」と行動できる子に育てること。

そのために固定種の野菜をつくり本当の野菜の姿を知ってもらい、本当のおいしいの悦びを味わえるおむすびを伝えておこうと思ったのです。



”生ききる”とはどういうことか。

2020年の春に、いわゆる「キャベツ」になったものを、収穫をせずそのまま種用にしようと畑に置いておいたキャベツ。結局梅雨の長雨によって朽ちてしまったかと思われました。

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ですがこの緑のところが生きているように感じて、この状態になっても破棄せずずっと畑においておきました。

ちなみにF1種でつくる慣行栽培は「置いておく」は一切しません。どんどん新しい野菜をつくって売る必要があるからです。”廻す”ということですね。


すると秋に脇芽が出てきたのでそれをチョキんと切り植えたところ

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ひと冬越して2021年には花が咲きました。

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そしてこの5月、2021年の春には種が取れたんです。

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セオリーに全く添うことなく。生きることを全く諦めていなかったキャベツ。子孫を残す=いのちを繋ぐことを諦めていなかったキャベツ。

いのちってこういうことですよね。

生ききるってこういうことだと思うのです。



本物のクリアなエネルギーで生きる

遺伝子組み換えや品種改良といった一切人間の都合によるコントロールを受けない固定種という野菜と、そうではない野菜。

肉体や思考に受ける影響は大きく変わるとわたしは体感しています。

いのちを諦めないもの、そのいのちがそうなりたい方へいくエネルギーを持つもので肉体をつくること。そのDNAが引き継がれたもので肉体をつくること。

それは「自分はそう在りたかったじゃないか!」を呼び覚ましてくれると感じています。

ですが残念なことに、固定種という野菜は一般にはほぼ流通していないですし、種ならまだしも苗はほぼ手に入らないと思っていいと思います。だからつくるし、伝え続けよう、と決めて動いているんですね。


その観点から考えると、お米、お塩、お海苔、お水と、誰の家にもあるもので味わえる心がほどけるおむすびは、固定種野菜と違って誰もが自分で自分のクリアなエネルギーを味わったり、自分で自分を元氣にしたりしながら”いのちがよろこぶ”を軽やかな氣持ちで体感できる素晴らしい存在だと思っています。



生きるということがどういうことか。

いのちを全うするとはどういうことか。

自分を生きるために必要なことは何か。

そのいのちがそうなりたい方は、いのちがよろこぶ感覚に誘われていきます。


「よろこび」を体感覚で知ることができるのが心がほどけるおむすびであり、固定種野菜なんですよね。


どんな世界であっても自分を生きることを諦めないこと。そのためにはどんな思考でどんな肉体であるかは最重要項目です。

願わくば、そんな子が同志となってくれたら。夢を、希望を持って生きられる世界になるんじゃないか。

そう願って仕事にしています。


今のあなたのために。あなたの次世代のために。採種や栽培、堆肥づくりに必要な資材を買ったり、本当に心地よい環境にするために使わせて頂きます! 応援ありがとうございます♡感謝します☺︎