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【子育て】自分の33年を振り返って考える、「一人っ子の育て方」

私は一人っ子として育ってきましたが、同年代はまだ「きょうだい」がいる人が多いこともあり、特にここ数年で「一人っ子ってどう?」とよく聞かれます。

恐らくは、一人目を授かり、二人目を考えるタイミングでの質問だと思うのですが、これに対しては必ず「僕みたいになるけど、それでも良ければ一人っ子も悪くないよ」と答えます。そして、それの反応が「あ、二人目頑張る」です。やんなっちゃいますね。

自分が経験してよくわかりますが「一人っ子」と「きょうだい有り」はもう全く異なります。そんな中、普通だと思っていた我が家の教育が、どうやら普通ではなかったということがここ数年で分かり、一つの「ユニークなリファレンス」になると思いましたので、こちらにてご紹介します。あくまで、僕個人の考えと経験談を綴ります。

キーワードは「社会の有無」です。

「一人っ子」として育つことの、本人におけるメリット・デメリット

色々ありますが、僕の考える最大のメリットは『良い意味で「周囲の目」を気にしない性格になりやすい』です。

これは、家の中に自分と同じ目線の人間がおらず、「与える人間」と「与えられる人間」しか存在しないことによって発生します。言い換えると、「比較対象する人間がいない」ということです。

例えば「これ食べちゃったら、お兄ちゃん困るかな」とか「お姉ちゃんがお母さんにAをしてもらったのは、きっとBをやったからだ。私もBをやってみよう」とか、「比較対照可能な他人を起点とした思考・発想」が家庭内では発生しづらいです。

そうすると、自分の発想は常に「自分が主語」になり、当たり前のように「自分の世界の主人公は、自分」と思って育ちます。なので、社会に出てからも他人の意見に左右されることなく、自分の信じた道を歩いて行きます。

一方、デメリットは「協調性が無い」とか「尊大だ」とか「唯我独尊」、と言われやすいように見えます。僕だけかもしれませんが。。。(33年間、言われ続けて生きてきました笑)

これは、メリットの完全な裏返しです。当たり前のように我が道を歩いていたら、(今の日本では特に)こう言われるわけですね。よく兄弟をお持ちの方に、「一人っ子は周りを気にしないから良いよなー」と言われます。まさに、これですね。

「社会が無い」のはどうしようもない。では、どうするべきか

個人的には、一人っ子の教育の方がリスクが高いと思っています。というのも、きょうだい有の家庭は、「家庭内社会」が自動的に子供達に気付き・学びの機会を与えてくれるので、(親の手間とかは遥かに大きいでしょうが)「教育」という面で見れば、「ボラティリティ低め」だと思います。

一方、一人っ子の家庭では、幼稚園や保育園は当然ありますが、家では親以外に子供を教育してくれるものはありません。黙って座ってiPadでスタディサプリを見る子もいるかもしれませんが、それは「勉強」であって、ここで意味する「教育」とはちょっと違います。

でも、「同じ目線の関係を作るために、親が子の立場まで降りていく」のは違いますよね。それは子供にとっての学びにはならないですし、逆に「甘え」を醸成することになりそうです。

ということは、残る選択肢はひとつ。「子を親(大人)の立場に引き上げる」ということになります。つまり、元服とか成人といったイベントは関係なく、早い段階から子供を「大人(社会を構成する一員)」として見做して接してあげる、ということです。

よく覚えている親の言葉に以下の三つがあります。いずれも大体9歳頃に言われた言葉です。

“人に物事を伝える時、何か説得をしたい時に、感情的になるな。泣くな。感情を見せたら負け。泣き終わってからもう一度来い”(親と喧嘩して、泣きながら自分の考えを伝えている時に)
“一回正しい行動をしたからといって、それ単体で評価されると思うな。人間は人間を「一連の行動」で評価する。それまでの行動が間違っていたり、評価されないものであったなら、それを覆すためには相当の努力が必要。”(掃除してなかったか何かでずっと怒られていて、一回ちゃんとやったのに小言を言われて言い返したら)
”何か相手にお願いをして、それが本当にやって欲しいことならば、ちゃんと記録に残せ。「言った言わない」の話になって困るのは自分”(録画をお願いしていて、やって貰えなかった時に、お願いした・してないの話になり)

うーん、今思い返しても、9歳の時に言われたとは思えない言葉達ですね笑

しかし、今となっては当時「無理に子供の意見を汲もう」とされるより、「社会的に評価されない行動を、無理に評価」されるより、良かったなと心から思います。

お陰で、自分が社会に出た時に「家庭と社会のズレ」が少なくて済みました。言ってもかなり甘かやされて育ったので、歪みは小さくなかったですが、「社会との対話」という意味ではすんなり入って行けたんじゃないかなと思います。

子供の選択に対して「YES」と言えるかどうか

基本的に、自分の人生で「これやりたい」と言ったことに対して「NO」と言われたことはありません。例を挙げると、

将棋、宝塚鑑賞、中学受験、卓球、大学受験、就職活動、結婚(離婚)、、、

勿論金銭的な問題はあるので、僕が「バイオリン!」と言っていたらどういう反応をしたかは分かりませんが、金銭的に許される範囲内だったのか、前提として全て「YES」から会話が始まっていたように思います。
(ノスタルジーじゃない事を祈る!)

これは、「家の中に社会が無い状態」で何でも言ったことを叶えてあげてしまうと、『あ、何でもお願いした通りになるんだ』と子供が勘違いしてしまうので、危険です。

でも、ちゃんと社会があれば、「論理立てて相手に説明すればちゃんと意見が通る」という思考になります。これは非常に大きな違いだと思います。

また、私は小6〜大1までめちゃくちゃ太ってましたが、それについても「早く痩せろ」とか「太ってて良いことはない」とか、そういった事は言われませんでした。自分自身、「太っててHAPPY」というメンタルでは無い中で、親からルックスに対してネガティブな事を言われ続けていたら、より屈折していたと思います。

結局、大学1年で無謀にも体育会に入り、急速に痩せることになるのですが、それも「自分で選んで自分で痩せた」ので、納得感がありましたね。

もう一つの強み、「自己肯定感」

ここ最近、「自己肯定感」という言葉が雑誌で特集されたり、本のタイトルになったりしていますね。個人的な印象ですが、一人っ子にこの「自己肯定感」を持った人が多いように思います。

おそらくその理由は「尊大さ」と「自己肯定感」がかなり似たものであるためでは無いでしょうか。

共通点は「自分の人生や自分自身に納得していること」。違いは、「尊大さ」が「他者との比較」に向かう一方、「自己肯定感」は「自分自身」に向かうものである、という事だと思います。

一人っ子を「尊大な子供ではなく、自己肯定感の強い子供」に育てるには、上記の

①同じ目線の人間から、「大人」としての指導を受ける
②その上で、自分のやりたいことは、やりたいようにやらせてくれる

が非常に有用なように思います。そうすることで、

・自分の「在り方」を積極的に評価できるようになり、
・自分の価値や存在意義を肯定できる人間になる

ような気がします。いかがでしょうか。

終わりに

なんか偉そうなことを色々書きましたが、私の大学一年生の時のあだ名は「尊大」でした笑

これは、家庭内の影響、というよりは中学高校と「同じ価値観を共有出来すぎてしまう仲間」と6年間を過ごし、アルバイトなども一切やらなかったことで(禁止されていたので)、社会との接点が全く無かったことによるものです。

ここで体育会に入り、いきなり「縦社会」に触れ、最初はめちゃくちゃに怒られましたが、この4年間で「リアル社会」と「家庭内社会」がうまい具合に融合したように思います。

就職後もきっと「尊大」に見える人もいたのでしょうが、自分の中では「揺るがない自分」が入社当時からいて、他人の意見や目に左右されすぎない「自己肯定感」に昇華されていました。

もしこの記事が、一人っ子の育て方を模索しているご家族や、一人っ子との付き合い方に困っている人(笑)の助けになれば幸いです!

細田 薫

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