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疑い、考え続ける ー人生を豊かにする7つの方法 その3ー

 シリーズの3回目です。これは人生を生きていく上で必ずしも必要なことではありません。けれども苦しさや迷いにいつまでも囚われない、そして今よりも少し良い人生にするための方法です。
 今すぐに豊かになるわけでも、人生が激変するわけでもありません。少しずつ確実に前へと進んでいくための話です。今日より明日、明日よりも明後日がより良くなるために。



情報過多の時代に

 現在の世の中は『情報』というものが溢れる返っています。ネットというツールが良くも悪くももたらした影響でしょうね。この『情報過多』といわれる時代において、何が真実で何が嘘なのかを見極めることが必要になっています。

 どうして真実を見極めるなければならないのか?
 それは正しい道を歩むことと間違った道へと誘導されないためです。正しい道とは自分の人生の道という意味です。真っ当なとか人が羨むという意味ではありません。間違った道とは人を傷つける道です。

 ありとあらゆる『情報』がやってくる中で、見極められなければ簡単に人を傷つけてしまう。さらにはそれさえも自覚することが無くなってしまいます。

 人はその人生において、何人もの人と関わり接しながら生きていきます。その中で、自分が正しい道を歩めるかどうかは真実を見極める目を養うことにあります。

 見聞きすることの本質を見定め、真実を見極められなければ正しく情報を得られないのです。見聞きすること全てが正しいとは限らない。
 中には綺麗に覆い隠して、その真実を視えなくしているものもあります。しかもそれが、他人の善意によって自分にもたらされることもあるのです。

 その時に真実を見極められなければ、簡単に流され騙されてしまう。真実を見極める術を身につければ、人の言葉に流されずに物事の真実が見える。そうすることで、自分の行くべき道である正しい道が見えてくるのです。


まずは「疑う」

 真実を見極める方法はこの1つしかありません。

 「疑い、考える」こと

 まずは「疑い」、そして「考える」。これが物事を見抜く最良の方法です。
 見聞きしたことを何も疑わず、そのままを鵜呑みにして信じ続けることは愚かなことです。
 昔は見聞きする情報が少なく、その1つ1つを精査する時間が多かったのですが、昨今の情報過多時代ではとてもじゃないけど、その1つ1つに時間を割いては要られません。

 だから取捨選択をしなくてはいけません。全てのことに対して精査するのではなく、自分にとって必要な、成長できるものだけを選んで精査するのです。それは、年齢や地位、立場によって変化していくだろうし、時と場合によっても選ばなくてはなりません。
 ありとあらゆる情報が入ってくる中で、ただ雑学的に通り過ぎていく情報は捨てるべきだと思います。そんな情報は役に立たないし、正確な判断をする際に邪魔にしかなりません。

 取捨選択を繰り返していけば、自然と自分にとって必要な情報のみを選択できるようになっていきます。おそらく無意識下で判断しているのかもしれません。
 取捨選択をして必要な情報を取り入れた次は、その情報を精査するのです。

 「疑い、考える」

 『情報』というのはネットやテレビのことだけではありません。人の話から歴史、常識に至るまで見聞きする全てのことです。
 情報を得る時は、その話の中身すべてを知る必要がある。最初と最後だけ知って、全てを知ったつもりになってはいけません。
 もし中身すべてを知ることができないのなら、判断を避けるべきでしょう。まずは情報をしっかりと全て知った上で、そのことが真実かどうかを見極めるのです。

 真実を見極めるには、情報を知ったあとにもう一度、それを振り返ることです。
 そして振り返る時に「疑い」をもって、最初から最後まで精査していきます。その時、話のどこかに矛盾点がないかどうかを「考える」のです。
 その情報が真実ならば、矛盾点は見つからないでしょう。しかし、真実でない場合はどこかに矛盾が生じています。
 情報の全てが間違っているとはかぎりません。話の一部分だけが間違っている場合もあるのです。それを見極めるのです。


必ず「考える」

 話に矛盾が生じた時、どこのどの部分が矛盾しているのかを探して見つけ出す。そのために「考える」わけです。
 そうすると、その情報の本質が見えてきます。その情報を人が話しているのなら、その人の本心が見えてくるでしょう。

 ただ、そこで決してしてはいけないことが『指摘』です。

 相手の嘘や矛盾、間違いを『指摘』してはいけません。たしかに間違いを指摘することは正しい行為かもしれません。
 がしかし、相手にとっては好ましくないことなのです。それは人との亀裂を生み、恨みや怒りを買うことになります。
 本当に正しい行為とは、ただ黙って相手の言うことに頷くだけです。ただ頷いて、聞き流せばいいのです。
 賢い人は聞いている相手の表情や態度から察します。そして自分の話の矛盾にも気づくでしょう。賢くない人のことは、そのまま放っておけばいいのです。いずれ本人の方から遠ざかっていきます。

 先ほども述べたように、この話はただ単純に人の話のことだけではありません。全ての事柄に対しても同じことが言えるのです。ですから、世間で『常識』とされていることにも当てはまります。

 例えば『赤信号はなぜ止まらないといけないのか?』

 こんなことも「疑い、考える」のです。
 何故、赤信号で止まらないといけないのかは『危険』だからです。決して『ルールで決まっている』からではありません。
 冷静に文章にすれば、こんな簡単なことは当たり前のように分かりますが、複雑で大多数が盲信することだった場合は、この「疑い、考える」ことをしなければ時に間違った方向へと進んでいく可能性があるのです。

 単純で疑いやすいことであれば分かりやすい。けれども中には本当に華やかで綺麗に見えて、実はその中身が毒で溢れ、刃が隠されているものもあります。
 物事の本質を見極めなければ、いとも簡単に騙されてしまいます。そうならない為に「疑い、考える」のです。
 ただ「疑う」だけでは足りません。「考える」ことが大切なのです。「疑い」そして「考える」ことで、正しい選択ができます。人と違っていても何も臆することはないのです。
 皆がしていることが正しいとは限りません。常識とされていることが間違っていることもあります。逆に非常識と思われていることが、実は正しいこともあるのです。

 大勢の中で自分一人だけ反対のことをするのは難しいです。そんな時はその場のその一時のみ同じことをしている振りをして、調子を合わせておけばいいでしょう。表面だけ合わせて、大事なところでは踏み間違わないように、進まないようにするのです。
 これも賢い人はちゃんと見ているものです。そんな人に聞かれた時は正直に答えて教えてあげるといいと思います。あなたのしていることに納得して、同じようにするでしょう。
 もし文句を言ってくるようであれば、それは賢くはない人です。優しく放っておけばいいし、言わせておけばいい。上手くかわして相手にしないことが得策です。


「疑い、考える」者だけ

 全てのことに「疑い、考える」癖をつければ、次第に物事の本質がすぐに分かるようになってきます。そうなれば1つの『悟り』を開いたも同然でしょう。
 そんな人は一目置かれることになります。そうなれば入ってくる『情報』も正しいものが次々と入ってくるようになる。何も考えない人間のところには正しい『情報』なんて入ってこないのです。正しいかどうか分かる人間のところに正しい『情報』はやってきます。

 何も考えないというのは、一見すごく楽で生きやすいように感じるかもしれません。しかし、いざという時には誰も助けてくれないのです。『自己責任』という重い言葉を浴びせられるだけです。
 反対に何事も考えて正しい『情報』を得ようとする者は一見、大変そうに見えるかもしれないが実は歩きやすい道を選んでいるのです。
 例えるなら前者は森の中をただ闇雲に突き進んでいて、後者は獣道を探して進んでいるようなものです。どちらが歩きやすいかは明白でしょう。

 「考える」ことを止めてはいけません。何が正しく、何が間違いなのか、「疑い、考える」ことで物事の本質が見え、真実が見極められる。
 先入観を取り除き、真っ白な状態で「考える」といいでしょう。色メガネでは正しく見れません。無色透明の透き通った目で見るから、先が見通せるのです。
 そのために「疑い、考える」のです。
 バカにされても、文句を言われても「考える」。最後に間違いのない道を歩いているのは「疑い、考える」ことを続けた者はだけだから。




あなたの明日が良くなることを祈って


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